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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 赤羽(あかばね)駅 JR-East Akabane Station
2022(令和4)年1月訪問 GoogleMap

駅名標 駅舎 駅構内

上野駅から電車で10分。現在の東海道本線と東北本線を結ぶために1885(明治18)年に設けられた駅では、1899(明治32)年頃から1991(平成3)年まで稲荷寿司などの駅弁が売られた。駅はその後の高架化で姿を変え、面影も記憶もなくなったように見える。1885(明治18)年3月1日開業、東京都北区赤羽一丁目。

【掛紙】上等御辨當(30銭)Joto Obento
1939年10月18日調製

掛紙

1939(昭和14)年10月18日19時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。下記の1935年11月の津々井のものと同じく、こちらにも川と橋と汽車が、おそらく東北本線の荒川橋梁を渡る列車の姿が描かれる。

販売駅
東北本線 赤羽(あかばね)駅 1885(明治18)年3月1日開業 東京都北区赤羽一丁目
調製元
都屋 赤羽駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(30銭)Joto Obento
1935年11月10日調製

掛紙

1935(昭和10)年11月10日8時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。橋梁を汽車が渡るのは、当時の東北本線の荒川橋梁の姿か。1929(昭和4)年の二代目橋梁での複々線化から昭和30年代まで、このような光景が見られたはず。

販売駅
東北本線 赤羽(あかばね)駅 1885(明治18)年3月1日開業 東京都北区赤羽一丁目
調製元
津々井 赤羽駅 連絡先の記載なし

【掛紙】サンドウヰツチ(35銭)Sandwiches
1930年9月27日調製

掛紙

1930(昭和5)年9月27日正午の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。「山手線電車接続点」の赤文字がある。山手線はもともと、後の東海道本線と東北本線を結ぶため、1885(明治18)年3月に品川駅〜赤羽駅で開業した路線。1909(明治42)年12月の電化で電車が走り始め、1919(大正8)年3月に中野駅〜上野駅の「の」の字運転の開始により池袋駅〜赤羽駅の折返し運転となる。1972(昭和47)年7月に池袋駅〜赤羽駅に「赤羽線」の線路名称を制定、1985(昭和60)年9月の池袋駅〜武蔵浦和駅〜大宮駅の通勤新線の開業で、路線愛称「埼京線」の一部となった。

販売駅
東北本線 赤羽(あかばね)駅 1885(明治18)年3月1日開業 東京都北区赤羽一丁目
調製元
都家 赤羽駅 連絡先の記載なし

【掛紙】サンドウヰツチ(35銭)Sandwiches
1929年11月16日調製

掛紙

1929(昭和4)年11月16日5時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。上記の掛紙「サンドウヰツチ」の色違いで、不思議と欄外の注意書きの右と左が入れ替わる。赤羽駅では1899(明治32)年頃から都家と津々井の両店が構内営業を開設、1951(昭和26)年5月に合併し赤羽食品となり、1991(平成3)年まで駅弁が売られた。

販売駅
東北本線 赤羽(あかばね)駅 1885(明治18)年3月1日開業 東京都北区赤羽一丁目
調製元
都家 赤羽駅 連絡先の記載なし