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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 横浜(よこはま)駅 JR-East Yokohama Station
2022(令和4)年1月訪問 GoogleMap「横浜駅」

駅名標 駅舎 駅構内

東京駅から電車で約25分。横浜市は神奈川県の東部で東京湾に面した、人口約380万人の港町。東京の衛星都市として人口日本一の市であるほか、異国情緒とウォーターフロントで多くの観光客も集める。駅弁は、大正時代からの駅弁屋がコンコースやホーム上や駅周辺各地に駅弁売店を構え、「シウマイ弁当」は日本一売れる駅弁とされる。1915(大正4)年8月15日開業、神奈川県横浜市西区高島2丁目。

幕の内弁当(1,150円)2018年5月20日に横浜駅の東西自由通路の駅弁売店で購入
Makunouchi Bento

掛紙 外観 外観 外観 中身 中身 中身

横浜駅の幕の内駅弁で、2008(平成20)年7月30日のリニューアル。中身はシウマイ弁当と同じ日の丸俵飯に、シウマイ弁当と同じ昔ながらのシウマイ3個、かまぼこ、タケノコ煮、鶏唐揚と、シウマイ弁当の2倍厚い玉子焼、シウマイ弁当にない赤魚の照焼、とんかつ、海老フライ、 サトイモとニンジンの煮物、菜の花、柴漬け。横浜駅と横浜と駅弁の名物であるシウマイ弁当はもともと、シウマイ入り幕の内弁当であったので、この幕の内弁当はそれの上等版に感じる。味や雰囲気も似ている。価格は2018年5月の購入時で1,050円、2018年9月から1,080円、2022年10月から1,120円、2023年10月から1,150円。

※2023年10月補訂:値上げを追記
※2022年9月補訂:値上げを追記
※2018年8月補訂:値上げを追記
※2018年6月補訂:写真を更新し解説文を手直し
販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380 https://kiyoken.com/

【掛紙】幕の内弁当(1,000円)2008年9月21日に高島屋横浜店の地下食料品売り場で購入
Makunouchi Bento

掛紙

2008(平成20)年9月21日に購入した、横浜駅弁の掛紙。上記の10年後と、定価の表示の有無くらいしか違わない。中身も10年変わらない。過去には松竹梅の3種あった横浜駅弁の幕の内は、今はこれだけだが、これもまた変える必要のない定番なのだろう。価格は2008年7月30日のリニューアル時及び購入時で100円のアップの1,000円、2010年9月の値下げで980円、2014年4月の消費税率改定で1,010円、同年8月から1,030円、2016年9月から1,050円。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380

【終売】幕の内弁当(900円)2006年7月2日に横浜駅の東西自由通路の駅弁売店で購入
Makunouchi Bento (end of sales)

掛紙 外観 外観 中身 中身

「松」が消えて「梅」が消えたため、2006年6月に駅弁の名前から「竹」が取れた、横浜駅の幕の内駅弁。掛紙の雰囲気は変わったが、中身や分量や容器の大きさは、たいして変わっていない。価格は50円の値上げ。冷めても美味い御飯とシウマイとカジキマグロ照焼は健在だ。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380

【終売】幕の内弁当 竹(850円)2001年6月22日に横浜駅の東西自由通路の駅弁売店で購入
Makunouchi Bento Take (end of sales)

掛紙 外観 中身

購入時に2種類あった横浜駅の幕の内駅弁のうち、価格が高いほう。紙のふたをかけた長方形の木製の容器を使用、中身は8個の俵型御飯に梅干しが付き、カジキマグロ照焼、煮物類、鶏肉甘煮に玉子や蒲鉾にブロッコリーが入る一般的な幕の内弁当に、横浜名物シウマイがふたつ。おかずの部分に空隙が多いのが気になるが、品々はどれもおいしく、特にカジキマグロ照焼が脂が乗って絶品だった。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380

【終売】幕の内弁当 松(1,000円)2002年7月6日におそらく横浜駅で購入
Makunouchi Bento Matsu (end of sales)

掛紙 外観 中身

2002(平成14)年7月1日に、当時の横浜駅で3番目の幕の内駅弁として発売。他の幕の内弁当と同じデザインの掛紙をかけた大きめの正方形の容器に、俵飯と玉子焼と蒲鉾と煮物に加え、銀だら照焼、こんにゃくとごぼうの磯辺揚げ、海老のしんびき揚げが入り、デザートにマンゴー餡の水饅頭、そして横浜のシウマイもちゃんと入っている。もともと美味い「幕の内弁当 竹」の上位だけあり素晴らしい出来。しかし2004年前半頃に終売となった。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380

【掛紙】幕の内弁当(価格不明)1993年10月12日調製
Makunouchi Bento

掛紙

1993(平成5)年10月12日10時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。横浜駅の駅弁屋は崎陽軒。加えて、1987(昭和62)年の国鉄分割民営化以後、1990年代にかけて、マルニ食品もJR東日本の横浜駅の構内営業者として、駅弁を販売したらしい。詳しいことは分からない。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
マルニ食品 株式会社 神奈川県横浜市神奈川区台町14−4番地 045(311)2312

【掛紙】幕の内弁当(価格不明)1989年7月10日調製
Makunouchi Bento

掛紙

1989(平成元)年7月10日16時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。当時のJR東日本エリアの駅弁掛紙のほとんどに付いていた、同社の観光キャンペーン「LOOK EAST」のロゴマークがないため、事実上の街弁として販売されていたのかもしれない。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
マルニ食品 株式会社 神奈川県横浜市神奈川区台町14−4番地 045(311)2312

【掛紙】幕の内弁当(価格不明)1986年12月1日調製
Makunouchi Bento

掛紙

1986(昭和61)年12月1日8時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。調製元の加登家(かどや)は、1960年代までにマルニのマークで横浜駅西口の南幸(みなみさいわい)にて営業した食堂ないし料亭で、平成時代には北幸(きたさいわい)のビルに居酒屋や料理店を構えた。2015年時点でマルニ食品株式会社が横浜駅西口でかつてダイヤモンドと称した地下街に法人登録されており、これと関係があるのだろうか。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
マルニ食品 株式会社 神奈川県横浜市神奈川区台町14−4番地 045(311)2312

【掛紙】御辨當(30銭)1941年8月4日調製
Obento

掛紙 掛紙

1941(昭和16)年8月4日の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。おかずの掛紙は下記の1941年7月のものと同じ、三渓園と横浜港と井伊直弼像。御飯の掛紙は鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通で、伊勢神宮と橿原神宮に管内各地の神社や神宮の名前と最寄り駅を並べる。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】御辨當(30銭)1941年7月7日調製
Obento

掛紙

1941(昭和16)年7月7日6時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。三渓園の旧燈明寺三重塔、神奈川県庁や開港記念横浜会館などを背景にした横浜港、掃部山(かもんやま)公園の井伊直弼(いいなおすけ)像を描く。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】お茶付御辨當(45銭)1940年11月11日調製
Ocha Tsuki Obento

掛紙

1940(昭和15)年11月11日12時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。奉祝紀元二千六百年と捺印される、神武天皇の即位を元年とする皇紀で2600年のもの。

お茶付き弁当とは、1939(昭和14)年頃から第二次大戦中までの駅弁にみられたもの。当時30銭の駅弁と10銭のお茶を合計45銭で販売したのは、当時は鉄道省が決めていた駅弁やお茶の値段を、国家総動員法に基づく価格等統制令により1939(昭和14)年9月18日の価格に凍結されてしまったため、これを回避するため新たな商品を出したものらしい。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】御辨當(30銭)1940年11月11日調製
Obento

掛紙 掛紙 掛紙

1940(昭和15)年11月11日12時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。おかずの掛紙は上記の1941年7月の掛紙と同じく、三渓園の旧燈明寺三重塔、神奈川県庁や開港記念横浜会館などを背景にした横浜港、掃部山(かもんやま)公園の井伊直弼(いいなおすけ)像を描き、神奈川県の価格停止品であることを表示し、これに奉祝紀元二千六百年の判を押す。御飯の掛紙にもこの判と調製印を押した。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】御辨當(30銭)1930年3月28日調製
Obento

掛紙

1930(昭和5)年3月28日9時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。桜花と馬頭を描いたデザインは、春競馬でも表しているのだろうか。現在の根岸森林公園、JRA「馬の博物館」、米軍施設がある根岸の山の上では、開国で英国人が横浜に来た慶応3年(1867年)から第二次大戦中の1941(昭和16)年まで、今でいう中央競馬が開催された。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(35銭)1929年10月30日調製
Joto Obento

掛紙

1929(昭和4)年10月30日16時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。その絵柄は、港の風景写真でできている。昭和40年代より前の駅弁掛紙では、このような形式は珍しいと思う。遠近の船舶に水兵と子供を入れた構図で、ひとつの写真作品のようにも見える。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】御飯が(価格不明)1929年10月30日調製
Gohanga

掛紙

1929(昭和4)年10月30日16時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。おそらく御飯とおかずで折を分けた上等御弁当の、御飯の折にかけた掛紙でないかと思う。同日の同時刻の調製である上記の掛紙「上等御辨當」とのセットかもしれない。鉄道省の東京鉄道局の管内の名物を、路線図と名前と価格で記すが、当時によくある各社共通の汎用品でなく、調製元の駅と名前も印刷した横浜駅弁専用の掛紙である。ここでの横浜名物は、亀楽煎餅とシウマイとヤキメシ。亀楽煎餅(きらくせんべい)は、明治4年(1871年)に長谷川亀楽が関内境町、現在の日本大通で創業し、明治時代中期に伊勢佐木町へ移転した菓子店の看板商品で、明治時代の横浜銘菓であった。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 (3)2958、5868

【掛紙】上等御辨當(35銭)1929年3月28日調製
Joto Obento

掛紙

1929(昭和4)年3月28日13時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。日の丸と海波と調製元を印刷し、商品名と価格と調製印を捺印した、汎用性の高い掛紙。駅名や名所や注意書きなどの記載がないため、これは駅弁でなく市中の弁当の掛紙かもしれない。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 所在地の記載なし (3)2958、5868

【掛紙】上等御辨當(35銭)1929年2月24日調製
Joto Obento

掛紙

1929(昭和4)年2月24日13時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。掃部山(かもんやま)の梅か桜を、枝ぶりと花札で描く。掃部山は現在のJR桜木町駅の北西約500mに位置する丘。その名は江戸時代末期の近江彦根藩主で、日本の開国を断行して横浜の開港に貢献した井伊直弼(いいなおすけ)など、代々の彦根藩主が称した掃部頭(かもんのかみ)にちなむ。1884(明治17)年に井伊家の屋敷ができ、1914(大正3)年に横浜市へ寄付されて港を見下ろす公園となり、第二次大戦までは横浜を代表する観光地として親しまれ、梅と桜の名所でもあった。公園は現存するが、第二次大戦後はもはや知られざる存在で、近隣住民の散策路。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當 奉祝御大典(35銭)1928年11月16日調製
Joto Obento Hosyuku Gotaiten

掛紙 掛紙

1928(昭和3)年11月16日8時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。この年この月に昭和天皇御大典が行われることにちなみ、東京鉄道局管内立売営業人組合聯合会共通の掛紙を使い、これに駅弁の名前と価格と調製元を記した短冊を貼り付けた。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅構内 連絡先の記載なし

【掛紙】奉祝御大典(価格不明)Hosyuku Gotaiten
1928年11月8日調製 Nov. 8, 1928

掛紙

1928(昭和3)年11月8日16時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。上記のものと同じく、当時の鉄道省の東京鉄道局管内にて共通で使われた、昭和天皇御大典の掛紙。こちらには調製元の名前も印刷されている。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
崎陽軒 横浜駅構内 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(35銭)1928年8月20日調製
Joto Obento

掛紙

1928(昭和3)年8月20日15時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。柳の下の池に赤い鯉が集う涼しげな光景であり、名所旧跡や象徴的な風景を描くことが多かった当時の駅弁掛紙としては変わった構図だと思う。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(35銭)1928年4月7日調製
Joto Obento

掛紙

1928(昭和3)年4月7日16時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。「山色新」と題した横浜からは絶対に眺められないと思う山岳の景色、都々逸(どどいつ)と題する米粒に関する変な歌、内容でとても奇抜な掛紙だと思う。名所案内も注意書きもないので、駅弁でなく街弁や駅前弁当の掛紙かもしれない。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(35銭)Joto Obento
1927年12月12日調製 Dec. 12, 1927

掛紙

1927(昭和2)年12月12日6時の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。国旗の賞賛と、韓国を併合した日本列島を描くため、戦時の駅弁掛紙に見えるが、そこまで時代は下らない。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(35銭)1926年10月3日調製
Obento

掛紙

1926(大正15)年10月3日の調製と思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。1940(昭和15)年のものと考えた収集者が「横浜駅崎陽軒」の文字を書き入れた。35銭の価格と、広告枠があることから、これは大正時代の駅弁掛紙だと考える。折箱は腰掛の下へ御置き下さいという注意書きについて、昭和時代の末期にごみばこやくずかごにと呼び掛けたり、平成時代にリサイクルを呼び掛ける前は、ごみを座席の下に収めることは汽車や映画館などでのマナーであり、ごみを散らかさないという意味を持っていた。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
合名会社 崎陽軒 横浜駅 連絡先の記載なし

【掛紙】御辨當(15銭)調製年月日不詳
Obento

掛紙

1910年代、大正時代のものと思われる、昔の横浜駅弁の掛紙。収集者は1920(大正9)年のものとしていたが、調製印がないことと15銭の価格から、もう5〜10年くらい古いものかもしれない。片仮名のハとマでできた、1909(明治42)年制定の横浜市の徽章でデザインされる。

販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
崎陽軒 横浜駅 2742番、4670番