東京駅から北陸新幹線で約1時間半。長野市は長野県の北部に位置する、人口約37万人の門前町で県庁所在地。6〜7世紀からの歴史が伝わる善光寺が参拝客を集め、県庁や鉄道や銀行で商業が興り、1998年には冬季五輪が開催された。駅弁は1892年からの駅弁屋が2007年に撤退、東京駅の駅弁が売られた後に、県内業者の弁当が売店に入荷するようになった。1888(明治21)年5月1日開業、長野県長野市末広町。
2010(平成22)年10〜12月のJRグループ「信州デスティネーションキャンペーン」に合わせて、同年9月1日に発売。黒塗りの長方形の容器に透明なふたをして、中身の写真をメインに据えた掛紙で巻く。中身はコンソメの味付飯の上にささがきごぼうを散らし、鶏粕漬焼、サーモン粕漬焼、半熟薫製玉子でだいたい覆い、野菜のピクルスを添えるもの。
飯と鮭と鶏の組合せは珍しいと思った。鶏もサーモンも酒粕もごぼうも信州つまり長野県内から調達したという。茅野市蓼科の宿泊施設付きレストラン「オーベルジュ・エスポワール」の藤木シェフと調製元との共同開発弁当シリーズ「信州職材」コンセプトなのか、フレンチの薫り高く、デパ地下の高級総菜に負けない味がある。調製元の破産により、2012年3月30日までに終売。
※2012年4月補訂:終売を追記上記の駅弁「信州職材 サーモンと福味鶏の吟醸炭火焼き」の、2011(平成23)年1月時点での姿ではないかと思う。容器をコンパクトにして黒いボール紙製に変え、掛紙を廃してブランド紹介シールと商品名シールと食品表示ラベルを容器に直接貼り、中身からはサーモンが1切れ減り、鶏粕漬焼のうち1切れがソテーに変わり、価格が200円下がった。弁当の名前も微妙に違う。駅弁マニアの目では包装が寂しいが、味をそのままに買いやすく、食べやすく改良された感じ。調製元の破産により、2012年3月30日までに終売。
※2012年4月補訂:終売を追記長野駅弁の2008(平成20)年頃の新作かと思ったら、長野駅の駅弁屋が調製する東京・上野・大宮駅限定の駅売り弁当だそうな。「牛めし弁当」と同じ容器に、商品名とニワトリや玉子を描いた薄い掛紙を巻く。中身は炒り卵と鶏そぼろのチャーハンに、たかきびの桜飯、鶏の煮込み、半熟漬け玉子、山菜の和え物。牛めしと同じく、薄味志向のさっぱりとした風味だと思ったが、調製元はピリッと辛い大人の炒飯をうたっている。
信州(しんしゅう)とは信濃(しなの)の別称で、つまりだいたい現在の長野県のこと。ということは長い間一体であったはずなのに、明治政府の廃藩置県では当初は中野県と伊那県に分けられたり、今でも長野と松本のケンカがニュースになるなど、不思議と一体感がなく二分、あるいは四分や五分といった県内での地域間対立がある。信州と信濃と長野はこれに絡んで使い分けられているのだろう。
この駅弁は調製元の破産により2012年3月30日までに終売となった模様。
※2012年4月補訂:終売を追記2005(平成17)年の春頃に発売か。細長い長方形の竹編み容器に桃色の掛紙を巻いて紙ひもでしばる。容器の中で竹皮風の紙に包まれた中身は、鶏五目飯の上に地鶏もも肉味噌漬けステーキが載り、高野豆腐、長芋焼、アンズ丸ごと1個などを添える。
なるほどこれはステーキと呼ぶのだなと思う、鶏肉の味噌焼味とおこげの香りも良いし、丸ごとアンズや高野豆腐などの付け合わせも良いし、外観や容器や中身の見栄えも完璧だと思う。発売当初は一日限定40個が連日完売したそうだ。以前に長野駅弁の特徴だと感じていた少々の野暮ったさが、最近の新作にはまったく感じられないような。
信州松代真田地鶏とは、長野青年会議所が地域おこしを目的に長野県長野市松代(まつしろ)町の住民と2004年12月に設立したNPO法人「まつしろ遊食プロジェクト」が手掛けるブランド鶏。長野県が1997年に開発した「しなの鶏」のヒナを、通常の3倍の期間である3か月をかけて育てる。松代は真田十万石の城下町として、そして1965年から5年間6,780回続いた群発地震で知られる。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記1962(昭和37)年に発売し、1981(昭和56)年に販売中止、1997(平成9)年の長野新幹線開業時に1か月間だけ復活し、2001(平成13)年8月から再度のレギュラー入りを果たした駅弁。JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のひとつとして、1989(平成元)年3月に発売された記録がある。
多治見焼の丼型容器をボール紙のパッケージに入れる。中身は猟場でキジや山鳥や野ウサギなどをクワやすきを使って調理した即席料理「くわ焼」をイメージし、飯山産コシヒカリの茶飯の上にきじ焼き風の鶏照焼やしめじや野沢菜に玉子や鶏のそぼろなどが載っている。
率直に申すと、水気の多くない丼はかなり食べにくい。しかし味は抜群に良い。陶製のふたには善光寺智栄上人筆の「静」の文字が記され、壁掛けにできるよう穴が開いている。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記