空弁資料館ロゴマーク 旅の友「空弁」。館長が実際に食べた空弁を中心に、日本全国と海外の空弁を紹介します。
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羽田空港、記念空弁(3種類を収蔵)

 羽田空港(東京国際空港) 2010年1月29日訪問
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 日本最大の空港。1931年の開港時から東京の空の玄関口であり、第二次大戦中の軍用化、終戦後の米軍による接収と拡張、1952〜1958年の返還、1978年の国際線の成田空港(新東京国際空港)への移転、1993年のターミナルビル移転を経て、空港の拡張と拡充が今も続いている。
 空弁は1970年代頃には登場、焼売弁当が空港限定名物として親しまれたり、2002年12月には空弁ブームの火付け役「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖寿司」が登場したり、2004年12月の第2旅客ターミナルビル供用開始に合わせて全国初の空弁専用売店「空弁工房」が開業したり、空弁の世界をリードする地球最強の空弁空港である。

ジャンボ海老天重(800円) 2011年3月11日に羽田空港第1旅客ターミナルビル売店で購入
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 日本航空のボーイング747型機の退役を記念して2010年11月に登場。海老天2本とかき揚げ2切れを白御飯の上に並べ、飛行機の絵柄を印刷した海苔を添えるもの。空弁なので分量が多いわけではないが、朝6時台からこんなものを食べてしまい、胃にとても重かった。飛行機のシールを1枚添付。

 日本航空は2000年に経営危機が表面化し、2010年1月には倒産した。その原因は1998年以降の国内線での運賃競争の激化、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロによる乗客の急減や保安対策の強化、2003年のイラク戦争以降の原油価格の高騰、2008年のリーマンショックや2009年の新型インフルエンザなどを外部要因として挙げるのだろう。しかし個人的には、労働組合の乱立や顧客無視の労使の対立なり協調といった日本国有鉄道と同じような親方日の丸体質に、2002年の日本エアシステムの吸収合併で社内の混乱が深刻化したためではないかと思っている。

 倒産後の企業再生支援機構による経営再建の一環として、ジェットエンジンを4発も積むため燃費が悪いとされた大型機のボーイング747型機がすべて退役させられることになった。後に「クラシックジャンボ」と呼ばれた掛紙写真のB747−100型機は2009年7月に退役済で、対して「ハイテクジャンボ」と呼ばれたB747−400型機も2011年3月1日のホノルル発成田行JL75便と那覇発成田行JL3098便を最後に引退した。全日本空輸の所有機と2機の政府専用機は、引き続き国内の空を飛び続ける。

【東京国際空港】1931(昭和6)年8月25日開港 東京都大田区羽田空港 http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
【株式会社JALUX NFD】東京都品川区東品川3−32−42 043(422)8858 http://www.jalux.com/
ジャンボ4発太巻き(450円) 2011年3月11日に羽田空港第1旅客ターミナルビル売店で購入
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 日本航空のボーイング747型機の退役を記念して2010年11月に登場。ツナサラダ巻とエビカツ巻の太巻きが各2個ずつ、断面を上にしてプラ製トレーに並べられる。これは間違いなく、同機の特徴である4発のジェットエンジンをイメージしたものであろう。空弁の名前からも、それがうかがえる。飛行機のプラ製しおりを1枚添付。

 1969年に初飛行を果たし1970年にアメリカでデビューした、当時の世界最大の旅客機であるボーイング747型機は、大量輸送による運賃の低下で航空の大衆化を後押ししたうえ、直後のオイルショックにより超音速旅客機の時代が到来しなかったこともあり、いまだに改良型の生産が続くというベストセラーとなった。日本には1970年3月11日にパンナムのホノルル経由ロサンゼルス便で初到来、同年から日本航空のハワイ線での就航も始まり、国際線や国内幹線で活躍することになる。

 日本航空は113機も購入した世界一のお得意様。日本国内専用仕様の機材まで開発させて最大約550席もの客席を詰め込み、羽田と千歳や大阪や福岡や小松を日夜行き来した。1985年8月の墜落が犠牲者520名という単独では世界最悪の航空事故になったのも、この輸送力によるものであった。

【東京国際空港】1931(昭和6)年8月25日開港 東京都大田区羽田空港 http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
【株式会社JALUX NFD】東京都品川区東品川3−32−42 043(422)8858 http://www.jalux.com/
お肉三昧幕の内弁当(830円) 2010年10月24日に羽田空港第1旅客ターミナルビル売店で購入
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 羽田空港の新国際線ターミナルのオープン記念ということは2010年10月に登場か。発泡材製の長方形容器に透明なふたをした惣菜容器の6区画に、牛飯、鶏そぼろ飯、豚塩カルビ飯、シイタケとタケノコとニンジンとこんにゃくの煮物、玉子焼とミニ有頭海老、ニシン昆布巻と赤カブ浅漬と一口大福。記念空弁と考えると何とかならないかとは思うが、名前に確かなB級グルメ。

 1978年5月20日の新東京国際空港こと成田空港の開港により、外交上の理由による台湾の航空会社の路線を除き国際線のすべてを失った東京国際空港こと羽田空港であったが、1998年3月20日には国際線ターミナルビルを建設のうえ国際チャーター便の受け入れを開始、その範囲と国際線ビルはなし崩し的に拡大された。

 2010年10月21日にはまた国際線ビルを建てたうえで、深夜と早朝に限り国際旅客定期便が堂々と発着するようになった。ここでは国内の他の空港や国そのものの不景気はどこへ吹く風とばかりに、国内線向けを含め延々と旅客ターミナルビルの増築が続く。

【東京国際空港】1931(昭和6)年8月25日開港 東京都大田区羽田空港 http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
【サンブランチ株式会社】埼玉県さいたま市見沼区卸町1丁目51番地 048(796)7952
文化のかほり(1,134円) 2007年3月3日に羽田空港第1旅客ターミナルビルJAL売店で購入
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 文化放送のラジオ番組「ラジオ★かぶりつき」内で浜松町駅弁として制作し、2007年3月3,4日の2日間、浜松町駅と羽田空港で一日100個ずつが販売された企画弁当。価格は文化放送の周波数にちなみ、弁当名はおそらく放送局名にちなみ、掛紙にはアナウンサーが検討し漫画家が描いたイラストを載せた。

 中身は東京タワーを意識した仕切りに、キンメダイ焼、うなぎ蒲焼、つくね、カズノコ、里芋、玉子焼、海老焼売、菜の花、漬物などを詰めるもので、それぞれが浜松町や番組にちなんでいる。製造者は東京駅弁のNRE。

 その売れ行きについて、浜松町駅では未明から行列ができる大人気だったそうだが、空港では売店に積まれて閑古鳥。中身の風味や分量もこの価格にしても充実しているので、売り方には困りそうだが、駅弁として販売の継続があればいいと思う。

【東京国際空港】1931(昭和6)年8月25日開港 東京都大田区羽田空港 http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
【株式会社NRE大増】東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551 http://www.nre.co.jp/
さくらのそら(700円) 2004年4月17日に羽田空港搭乗待合室内売店で購入
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 日本航空(JAL)と日本エアシステム(JAS)の完全統合を記念して、2004(平成16)年4月1日から5月31日まで羽田空港で発売される空弁。小柄な正方形の発泡材容器にフィルムを介し桜色なボール紙の蓋をかけ金色の輪ゴムで留める。中身は桜花の載る赤飯、紅白の蒲鉾、海老、桜餅など、目出度い桜のお弁当。空弁名は日本を代表する、そして春を代表する桜に、空弁とJALUX直営売店名「BLUE SKY」のそらを合わせたものだという。記念空弁などつい半年前まで考えられなかったことだ。

 2004(平成16)年4月1日に国内発着の航空便について、JALグループの便名がJALに、ANAグループの便名がANAに、それぞれ統一された。JALとJASは表向きこそ対等な一体化と思わせる広報を打っているが、乗客側からはJALによるJASの吸収合併にしか見えない。

【東京国際空港】1931(昭和6)年8月25日開港 東京都大田区羽田空港 http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
【株式会社JALUX】東京都品川区東品川2−4−11 03(5460)7220 http://www.jalux.com/
2006年2月19日開館 2011年8月6日更新 URL:https://kfm.sakura.ne.jp/soraben/
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