鹿児島中央駅から新幹線で2駅25分。出水市は鹿児島県の北西端で八代海に面した、人口約5万人の城下町。一万羽を超えるツルの飛来や武家屋敷で知られる工業都市。駅弁は1930(昭和5年)から細々と売られたが、九州新幹線開業以降に飛躍、今では鹿児島県内に加え、東京や大阪や九州各地に駅弁が出荷される。1923(大正12)年10月15日開業、鹿児島県出水市上鯖淵。
2022(令和4)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、仙台駅の伊達政宗、新潟駅の上杉謙信、加賀温泉駅の前田利家、甲府駅の武田信玄、豊橋駅の徳川家康、名古屋駅の織田信長、城崎温泉駅の明智光秀、姫路駅の黒田官兵衛、広島駅の毛利元就、出水駅の島津義弘の10種類が各1,500円で一斉に発売、同月の阪神百貨店の駅弁大会でも販売。約20年前の疑義駅弁である日本古窯弁当シリーズと同じく、福井県の催事業者がプロデュースし、各地の駅弁業者が調製し、大規模な駅弁大会で販売する、各地の駅弁を名乗るが現地の駅では買えない商品だと思われる。調製元や鉄道会社などは、この駅弁とその発売に何も触れていない。
今回は黒いプラ容器が円錐状とボウル状で2種類あり、この島津義弘はボウル状のもの。これに島津家の家紋を入れ、日本古窯弁当と同じ半透明のふたをして、今回のシリーズで共通のしおりを置き、それらしき絵柄のスリーブで留める。中身は鶏飯を錦糸卵と黒豚のそぼろと焼豚で覆い、紅生姜を添えるもの。鹿児島名物の鹿児島黒豚をじっくりたれに漬込み焼き上げた焼豚とそぼろのお弁当とする。東京へ輸送される鹿児島の黒豚駅弁に共通する、濃いタレ味と固い食感とかすかな塩素臭があった。
島津義弘(しまづよしひろ)は、島津家の第17代当主として現在の鹿児島を治めたとされる戦国時代の武将。父の15代貴久(たかひさ)、兄の16代義久(よしひさ)、弟の家久(いえひさ)などとともに、鬼島津と恐れられた軍功で九州を支配した。豊臣秀吉に敗れ、島津家の領土は薩摩と大隅に戻るが、江戸時代を通して現在の鹿児島を治め沖縄を支配し、維新で江戸幕府を倒すことになる。島津を名乗る駅弁は、あまり見たことがない。
2013年秋の発売か。出水駅の駅弁を名乗り、調製元の公式ブログにもそう掲載されるが、実態は駅弁大会向け商品なのか、収穫報告は首都圏などのスーパーの駅弁大会ばかり。現地では事前に情報を得て予約しない限り見られないものではないかと思う。
人吉駅やかつての日田駅などの駅弁でも使われる、赤い栗型のプラ製容器を、商品名や中身の写真を印刷したボール紙の枠にはめる。中身は茶飯を豚焼肉、クリ刻み、松茸スライス、錦糸卵、レンコン、ゴボウ、ぜんまいなどで覆うもの。賑やかなちらし駅弁か、黒豚・松茸・栗で3種の味が喧嘩する雑な駅弁か。
大きめの正方形な容器を、鮎と鶴を描いた大きめの正方形な掛紙で包みビニールひもでしばる。中身は日の丸御飯に煮物や薩摩上げや玉子焼とともに、鮎甘露煮が二匹入るもの。鮎がなければこんなに味気ない駅弁は他にないだろうと感じたのは、おかずを乗せる白い食品トレーのせいか。出水駅にえびめしを買いに行って、しかし売り切れていたのでこちらを買ったという報告がいくつもある。
出水駅の駅弁は、九州新幹線の工事や開業に伴い廃業するのではないかという噂が21世紀初頭に駆け巡ったが、2004年3月に新幹線が部分開業し、在来線特急「つばめ」が廃止された後も盛業中。肥薩おれんじ鉄道に引き継がれた在来線駅舎を調製所として、新幹線出水駅構内の物産館で駅弁が販売されたそうな。
なお、2006年10月時点の商品は、価格が900円に上がり、容器が竹皮製の長方形の容器になり、中身の見栄えが変わった模様。駅弁の名前も「あゆ物語」に変化。
※2006年10月補訂:リニューアルを追記2010〜2011年の駅弁大会シーズンに向けた投入か。黒いプラ製トレーを接着した長方形の容器に透明なふたをして、焼いた鶏肉の写真と桜島が美しい掛紙を巻く。中身は白御飯のをきんぴらごぼうで覆い、鶏照焼と称する大型の焼き鳥でさらに覆い、サツマイモと高菜を添える。ざらついた鶏丼。もっぱら催事や輸送販売で売られる商品である模様。価格は発売時で950円、2014年4月の消費税率改定で980円。2020年か2022年までに終売か。
この駅弁に使われるという「桜島どり」は、三菱商事系の畜産業者である鹿児島県曽於郡大崎町のジャパンファームが生産する鶏肉のブランドネームか。雛の育成から加工商品までを一貫して手掛けるこの大規模な工場では、ケンタッキーフライドチキン向けの鶏肉も製造しているそうな。
※2023年4月補訂:終売を追記上記の駅弁「桜島とりめし」の、2011年時点での姿。掛紙も容器も中身も同じように見えて、具が異なる、。この当時、発売当時は、白御飯の上に醤油味の鶏そぼろと焼き鳥、錦糸卵とパセリと紅生姜と鶏つくねを載せ、つぼ漬けとごぼうを添えていた。
※2020年5月補訂:新版の収蔵で紹介文を手直し2016(平成28)年秋の新作か。長方形の容器に茶飯を詰め、牛すき焼き、牛そぼろ、錦糸卵で覆い、花れんこん、山菜、紅生姜を添える。その中身は同じ調製元の熊本駅弁「くまもとあか牛ランチBOX」とまったく同じ。ざらついた味も同じ。2018年までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記2018(平成30)年1月の京王百貨店の駅弁大会での実演販売でデビュー。東京の京王百貨店、大阪の阪神百貨店、熊本の鶴屋百貨店での駅弁大会を3大駅弁大会と定義し、「人気駅弁大会3店舗合同企画新作『牛肉』駅弁対決」として、京王百貨店代表で米沢駅弁「米沢牛伝統の百年焼肉弁当」、阪神百貨店代表で神戸駅弁「酒乃蔵牛肉弁当」、鶴屋百貨店代表でこの出水駅弁「熊本あか牛と鹿児島黒毛和牛の牛肉めし」を、これらの駅弁大会で同じ1,500円の価格で実演販売した。
最近の駅弁で一般的な長方形の容器に茶飯を詰め、上手を醤油と赤酒またはワサビで味付けさせる熊本あか牛の焼肉で、下手を醤油と日本酒で味付けた鹿児島黒毛和牛のすき焼きでそれぞれ覆い、はじかみで彩り、高菜と玉子焼を添える。
熊本のほうの後付けの味付けは、いずれも袋タイプで開封が難しく、なかなか面倒。しかしそのまま食べると、過去の赤牛駅弁にあった赤身の香りや歯応えがない感じ。鹿児島のほうはかなり甘味に偏る甘辛な味付けで、九州を感じた。今回の京王の催事場では、実演販売が王者の米澤駅弁「牛肉どまん中」その他の牛肉駅弁だらけで客が分散してしまったが、それでも3店舗対決では一番人気に見え、会期後半では行列ができていた。この3大会でのみ販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記2016(平成28)年7月に東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」でデビューか。掛紙の写真も中身も、駅弁の名前のとおり、白御飯にウナギの蒲焼きと黒豚の焼肉を載せて、サツマイモと山菜ナムルを添えたもの。
これは失敗。ウナギはグミの食感で、豚肉はなぜか酸っぱい。もしこれらのメインの味が無難でも、鹿児島やそもそも日本でないナムルや、この調製元の駅弁でよく使われるレモン味のサツマイモが、この内容にミスマッチ。出水や鹿児島の現地では経験のない粗製濫造品に、がっかりした。2018年までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記2015年5月13〜26日の東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」での実演販売に向けて開発した新作か。白御飯の一部をささがきごぼうで覆い、牛焼肉の厚いのと薄いのを並べて、玉子焼と紅生姜を添える。こういう商品なのか、それとも東京駅での実演販売の影響か、普段の出水や鹿児島の駅弁より、食感がガサガサで、味付けがおとなしめ。掛紙の牛肉のイメージ写真が美しすぎて損をしているが、肉の分量と品質は悪くないと思った。今回買った弁当の調製元は、東京駅弁の日本レストランエンタプライズ。2018年までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記2012(平成24)年10月の発売で、同年のJR九州の駅弁キャンペーン「九州駅弁グランプリ(第9回)」へエントリー。商品名のとおり、見た目のとおり、松栄軒の出水駅の駅弁「極黒豚めし」と「牛めし」がひとつずつ。箸は一膳なので、ひとりで食べ比べる。2017年までの販売か。
※2020年4月補訂:終売を追記2014(平成26)年1月の京王百貨店の駅弁大会で販売。これ以外の場所では売られなかった疑義駅弁である模様。円形の容器に味付飯を詰め、鹿児島黒毛和牛のステーキをスライスして並べ、フライドポテト、さつまいもレモン煮、ニンジンとカボチャの乾燥野菜、紅生姜を添えるもの。牛肉はステーキ状よりすき焼き状がうまいのにと思う程度の、内容も味も普通の牛肉弁当。紙帯にさりげなく、鹿児島県経済農業協同組合連合会のローカルヒーロー「鹿児島黒牛 ギュージンガー・ブラック」が立つ。
2013年1月の阪神百貨店の駅弁大会でデビュー。この駅では「かごんま黒ぶた弁当」で使用した容器に、白御飯を詰めて、牛肉のステーキ、豚肉の味噌焼、鶏肉の塩焼を並べて、サツマイモ、高菜、ブロッコリーなどを添える。牛・豚・鶏とも単体で味も香りも立ち、中身は肉丼だけなのに飽きが来る要素がまったくない。ただ、見栄えや購入動機では、同社で既存の単体な肉丼に負けるかもしれない。商品寿命は数か月程度であった模様。
京王百貨店駅弁大会での八戸・高松・出水の「駅麺対決」のために、2013(平成25)年1月17日の会期後半に初登場。長方形の加熱機能付き容器に、既存の鹿児島黒豚赤ワインステーキ弁当と、新開発のラーメンを詰めて、タレとサツマイモを添える。
催事場でこれらの駅麺3種はどれも人気がないように見えた。高松はもうどうしようもなく、八戸も挑戦は無謀だったと思える味。この出水はまだ、容器がひとつで持ち運びと消費と見栄えに良いことと、少量で濃厚な塩と脂のタレが太麺に合い、豚焼肉丼も香ることで、食べて個性的だなとは感じた。京王以外で販売されたという話は聞かない。
九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開業1周年を記念して、2012(平成24)年3月1日に発売。中身は掛紙の写真のとおり、半分が芋焼酎「石の蔵から」、半分の上下段で俵飯3種、キビナゴ甘酢あんかけ、黒豚炭火焼、さつま揚げ、鶏唐揚、芋レモン煮、玉子焼、ダイコンなます、マグロ角煮、ミートボール、根菜の煮物、辛子明太子など。
度数17度の焼酎が300ミリリットル。アルコール量では日本一の酒付き駅弁ではないかと思う。新幹線の起終点である福岡と鹿児島の味を詰めたという中身は、御飯におかずという普通の駅弁にも、酒に合わせたつまみを好んで詰めたようにも見えるし、風味もそれらを併せ持つ感じ。1年ほどで売り終えた模様。
2010年のNHK大河ドラマ小説「龍馬伝」の放送に向けた2009(平成21)年12月に発売。内側が赤く外側が黒い長方形の容器に、桜島や坂本龍馬やお龍のシルエットなどをデザインして、駅弁マークと九州駅弁マークと大河ドラマの公式ロゴマークを付けた掛紙をかける。
中身は味付飯の上に伊達巻、桜島とりの照焼き、黒豚の照焼き、高菜漬け、紅生姜を載せて、煮物といこもちを添えるもの。龍馬とお龍が鹿児島へ新婚旅行で訪れた時のイメージを駅弁にしたというが、何がそれに該当するのか分からない。伊達巻といこもちが印象的な、食べて良い味のする駅弁であった。出水駅の駅弁とされるが、実際は鹿児島中央駅で売られる模様。価格は購入時で1,050円、2014年4月の消費税率改定により1,080円。2014年までの販売か。
坂本龍馬とその妻であるお龍は、新暦換算で1866年(慶応2年)4月14日に京都から旅行に出発、18日に大坂から西郷隆盛や小松帯刀らとともに薩摩藩の蒸気船「三邦丸」に乗り、20日に下関に、22日に長崎に寄港ののち、24日に鹿児島に到着する。30日からは夫婦ふたりで日向山温泉に泊まり、5月1日から塩浸温泉に11泊、12日に吉井友美の案内で硫黄谷温泉に泊り、13日に霧島連峰の高千穂峰に登り霧島神宮に宿泊、14日に硫黄谷温泉に戻って泊り、15日に吉井友美とともに塩浸温泉へ戻り7泊、22日から日当山温泉で3泊、25日に1泊ののち26日に鹿児島へ戻ったという。西郷隆盛や小松帯刀が招待したものだそうだが、龍馬の知名度の向上とともに、これが全国初の新婚旅行として紹介されるようになった。
※2020年5月補訂:終売を追記2007〜2008年の駅弁大会シーズンに向けた投入か。黒いプラ製トレーを接着した長方形の容器に透明なふたをして、焼いた鶏肉の写真が美しい掛紙を巻く。中身は味付飯の上にきんぴらごぼうを敷いて、さつま赤鶏のたれ焼きを半分に寄せて詰め、サツマイモのレモン煮とナムルを添えるもの。鶏肉はヒレカツや脂の弱いチキンナゲットのような食感で、締まりか脂の柔らかさを競う世の地鶏や銘柄鶏とは正反対の印象だが、これがブランド鶏「赤鶏さつま」の特徴なのだろうか。2014年時点で売られていない模様。
赤鶏さつまとは、農林水産省が所管する独立行政法人である家畜改良センターの、兵庫県たつの市に位置する兵庫牧場で開発され、2006年より生産されている国産鶏種「たつの」の、鹿児島県出水市の赤鶏農業協同組合における鶏肉の商品名。フランス企業からの輸入に頼っていた赤鶏が、高原病性鳥インフルエンザの流行により2006年に輸入停止となったことから、国では海外に負けない品質の赤鶏の開発を手がけ、赤鶏農協でもフランス系の「赤鶏クックロゼ」から2007年11月にブランドを切り替えたのだという。
※2014年6月補訂:終売を追記2008(平成20)年のNHK大河ドラマ「篤姫」の放送にちなみ、同年3月頃に発売か。長方形の容器に透明なふたをかけ、島津家の家紋やNHKの公式ロゴマークも付いた掛紙ですっぽり包み、ひもで十字にしばる。中身は松型に固めた白御飯にとんこつ、薩摩揚、いこもち、アユ甘露煮、タケノコやニンジンなどの煮物、鮭昆布巻、キンカンなどを詰めるもの。いろんな食材と個性を詰め込んでいる、催事場内では理解を得られないだろうが九州の駅弁らしい特殊幕の内。2014年時点で売られていない模様。
平均視聴率が24.5%と、過去12年で最高の数値を記録した「篤姫」。その主人公である篤姫(あつひめ)こと天璋院(てんしょういん)は、天保6年(1836年)に現在の鹿児島県鹿児島市で生まれた。島津家に入った後に江戸に上り、22歳で江戸幕府第十三代将軍の徳川家定と結婚して以降、1883(明治16)年に49歳で亡くなるまで、二度と薩摩の地を踏むことはなかったという(年齢はいずれも数え年)。
結婚生活は家定の死去により2年弱で終わり、そのうち島津家は倒幕運動に参加して徳川家と対立することになるが、篤姫改め天璋院は徳川家に尽くし、大奥となって幕府と将軍家の維持に奔走した。鹿児島にとって篤姫は薩摩を捨てた敵なのか、それとも政府の中枢で活躍したヒーローなのか、いずれにせよ観光特需にはありつけるということで、2008年の鹿児島は篤姫で賑やかだった。
※2014年6月補訂:終売を追記