おそらく1930年代、昭和10年前後のものと思われる、昔の佐原駅弁の掛紙。おかずの掛紙には、今もこの地域の観光資源である水郷の、木舟や帆掛け舟に茅葺き屋根の家屋がある昔の風景と、「愛せよ風景 美化せよ国土」という当時の鉄道省の当選標語を記す。御飯の掛紙はおそらく各社共通で、花便りとして鉄道省の東京鉄道局管内の梅や桜の名所の一部を路線図で示す。佐原駅の駅弁は第二次大戦後に残らなかったようだ。
1976(昭和51)年3月19日の調製と思われる、弁当の掛紙。調製元は黒磯駅の駅弁屋で、商品は1975年頃から2005年の駅弁撤退まで黒磯駅などで売られた、栗型の容器に茶飯を詰めて、鶏肉や栗や山菜などで覆ったお弁当だった。しかし調製元の所在地が千葉県船橋市とある。当時のフタバ食品は栃木県外の東京やその近郊でも弁当を調製し販売していたようで、平成時代にも東武浅草駅の駅弁屋と紹介された。東武船橋駅にも弁当売店があったので、そこでも売られたのではないだろうか。商品そのものは「那須高原」を名乗るくらいなので、黒磯駅の駅弁と同じだったのだろう。当時の価格は500円か。
これは駅弁ではなく、東京湾アクアラインの海ほたるパーキングエリアの観光売店で売られていた土産品。キンメダイとイトヨリダイと天然天日塩を使ったという個別包装された太めの竹輪が5本、縦と横に向きを変えて整然と詰められる。駅弁に似たデザインの掛紙を使っていたから買ってみた。おいしくいただけた。
東京湾アクアラインは、東京湾を横断して神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ15.1kmの自動車専用道路。渋滞の緩和と所要時間の短縮と地域経済振興の期待を乗せて、バブル経済の1989年5月に着工、直径14.14メートルの超大口径シールドマシン8機で掘った9.6kmの隧道「アクアトンネル」や、海中に築いた全国最長4.4kmの橋梁「アクアブリッジ」などに約1.4兆円の事業費をかけて、1997年12月に開通した。
アクアラインの開通により千葉県と神奈川県はわずか10分で結ばれた。人工島「海ほたる」は渋滞覚悟の観光名所となった。木更津駅と川崎駅や横浜駅を結ぶ路線から始まった高速バス路線は好調に推移し、東京都心や羽田空港、千葉県内各地、神奈川県方面の各地を結ぶバスが終日行き交う。沿線の観光施設や商業施設やゴルフ場への近道としても活用される。
しかし建設当時の需要予測をはるかに下回る通行量と開通当初で普通車4,000円という高額な通行料金が非難の対象となり政治に翻弄され続け、開通直後から木更津市は全国最悪の地価下落が続いたなど、公共事業悪玉論者にとっての格好の餌食となってしまった。
酢飯と焼かない締めサバを貼り合わせて昆布で巻いた棒寿司を、惣菜向けプラ製トレーに4カット分並べ、ガリと醤油も詰めてボール紙の枠にはめる。スーパーでの駅弁催事で「この商品は駅弁ではありません」と赤い文字で明記して販売するという、なぜここにあるのか、そんなことをするのか不思議な商品。味は同じような駅弁と、あまり変わらない。調製元は千葉市内のパン屋さん。
銚子駅から電車で20分。利根川河口近くで太平洋に突き出る犬吠埼の最寄り駅であり、バブル時代の1990年に建て替えられた欧風駅舎には駅員がいて売店があり、観光客が話題性のある電車に乗って訪れる。駅弁はないと考えられるが、過去に駅弁の発売が何度か公式に発信された。1935(昭和10)年8月14日開業、千葉県銚子市犬吠埼。
台湾の駅弁大会「鐵路便當節」の、2025年6月の台北駅での第10回開催で、銚子電気鉄道の駅弁として販売されていたお弁当。この大会に毎年出店する銚子電鉄では今回、この弁当の他にしおりや御朱印帳など少々のグッズを販売した。品名は現地での掲示による。添付の紙片に日本語で「愛情たっぷり[ハート]うちの弁当 ピクニック編」と書いてあり、それと同じ意味だろう。
鮭フレークと梅しそ粉のおにぎりをひとつずつ、ラップに包んでからまとめて笹の葉で巻き、麻ひもでしばってストラップを付け、ペットボトルの烏龍茶と紙片を添える。台湾では買えないと思う、日本イメージのおにぎりセット。紙片は銚子電鉄が一日乗り放題の「弧廻手形一日乗車券」として使えるというから、そこまで含めれば格安の販促商品だと思う。京王百貨店の駅弁大会など、日本国内で売るイベントはないものか。
2025(令和7)年2月8日に犬吠駅で発売。犬吠駅で既存の売店にて週末限定で、「チョウシ・デンテツ弁当」(1,200円)と「ぬれ煎餅焼きうどん」(800円)を売り出し、鉄道会社の公式サイトで発表した。これはその「ぬれ煎餅焼きうどん」に該当する弁当だと思うが、その商品名は売り場にも現物にもなく、掛紙には「超C級チョウシ・デンテツ弁当」と、食品表示には「チョウシデンテツ弁当(焼きうどん)」とある。掛紙としてプラ容器に巻く紙帯は、2種類の弁当で共通に使われる。
他駅の駅弁でもよく使われる、ふたが透明な長方形のプラ容器に、焼きうどんを詰め、キャベツ炒めで覆い、豚バラ焼肉を載せて、かつおぶしをかけ、紅生姜と焼き餃子2個を添える。屋台の料理を思わせる、B級ないし「超C級」グルメ。
銚子電鉄が駅弁を発売するのは、これで3度目。今までは1年くらいで自然消滅してきたので、今回はどうかと発売2か月後の開店時間前に現地を訪問したら、この日の入荷はこれ1個のみ。そして、すでにこれらの弁当は売られていないようで、6月時点では「ぬれ餃子」(500円)「ベンチャードン?」(1,000円)という惣菜が、7月時点で「ぶっ崖っぷじうどん」(650円)という商品が、まれに入荷している模様。今回は1年どころか2か月ももたず、寿命があまりにも短かった。
2018(平成30)年10月14日に銚子電気鉄道の犬吠駅で発売。鉄道会社の経営危機をネタにした、同年8月発売のスナック菓子「まずい棒」に続くオリジナル商品。その名前は中身のサバと、生き残りを意味する英単語「サバイバル(Survival)をかけたものだろう。掛紙には「経営状況はまずいけどこれはウマい!!」の文字や、まずい棒と同じ鉄道制服のキャラクターや、様々な駄洒落が掲載される。
屋台で使われるような白い容器に、サバの混ぜ御飯を詰め、焼サバを1枚置き、青ネギと大根桜漬で彩る。調製元は銚子駅裏の居酒屋のよう。惣菜かB級グルメのあたたかみのある味。政府の新型コロナウイルス感染症対策により2020年3月に販売を休止、一年を経過しても販売再開の発表がなく、終売と思われる。
千葉県の銚子市内で銚子駅と外川駅を結ぶ銚子電気鉄道は、昭和時代から経営難でない時期はほとんどなかったと思うが、2011(平成23)年3月の東日本大震災で海沿いの銚子に来る観光客が統計上3割減り、犬吠埼ではホテルの廃業が相次ぎ、乗客が4割減り、ぬれ煎餅の売上も減り、ついに2013(平成25)年2月に自主再建を断念した。同年11月に資金不足による車両不足で運行本数を半減するダイヤ改正を実施したほか、税理士出身の新社長が話題の提供と、鉄道業より収入が多い食品業での新商品の開発に努めている。
※2023年10月補訂:終売を追記1995(平成7)年に犬吠駅で発売。鉄道会社が直営で製造し販売する米菓として知られ、1996年9月30日のTBSのテレビ番組「はなまるマーケット」第1回放送でタレントの山田邦子が紹介して人気になり、後述の2006年11月の騒動により爆発的に売れ、販路が千葉県内や東京に広がっている。製造元の銚子電気鉄道は売上でも利益でも煎餅の会社となり、鉄道事業の赤字を補助金と煎餅で埋めるようになっている。
恐ろしく湿気たというか、餅が平べったく固くなったというか、パリパリさを競う市販の煎餅とは一線を画す、直径10センチくらいの丸く粘りのある米菓が、1枚ずつ袋詰めされ、4枚で500円。これは販売当初からの赤い包装の「濃い口味」で、塩気を感じる強い醤油味。のちに使用する醤油を変えて、青い袋の「うす口味」と、緑の袋の「甘口味」を発売。さらにオレンジ色の袋の「あまから味」と、金色の袋の「ごま味」が、4枚600円で売られる。
千葉県の銚子市内で銚子駅と外川駅を結ぶ銚子電気鉄道は、昭和50年代かそれ以前から旅客の減少や貨物輸送の廃止により慢性的な経営難に苦しんでおり、タイ焼き店などの副業や補助金で鉄道事業を支えてきた。しかし社長が1億950万円もの横領事件を起こしたことと、JR福知山線事故を受けた国の鉄道安全監視態勢の強化による鉄道施設老朽化の指摘により、2006年には法的に電車の運行ができなくなる危機に陥った。
そこで鉄道会社では2006年11月15日、自社のホームページに「緊急報告 電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!!」という、代表取締役社長と労働組合執行委員長との連名によるメッセージを掲載した。鉄道の利用促進を訴える会社や役所は30年以上前の昭和時代からありふれているが、電車のために煎餅を買えなどという宣伝は前代未聞。当時の銚子電鉄は、年間1億円程度の運賃収入に対して2億円以上を食品事業で稼ぎ、といっても犬吠駅と変電所跡で焼いている濡れ煎餅と観音駅のタイ焼き店によるものであろうが、乗客ではなく買い物客を獲得したいという考えは、理にかなうものであった。
これが電子掲示板サイト「2ちゃんねる」や個人ブログなどインターネット上で大きな話題となり、ぬれ煎餅の通信販売サイトには一日二千件以上の注文が殺到、年末の電車は若者や中年のネット利用者で賑わい、ネット上で募った有志により駅や車内に有料広告が掲示されるほどのブームとなった。この騒動でぬれ煎餅が4億円も売れたといい、知名度と販路が広がり、電車も止まらずに済んだ。
※2025年9月補訂:写真を更新し解説文を手直し上記の商品「銚子電鉄ぬれ煎餅」の、緑の袋の「甘口味」。過去には「甘じょうゆ」を名乗った。袋の印刷が緑色になり、中身の煎餅が薄い色になり、つくりは変わらない。甘口味といっても、醤油の煎餅なので甘くはなく、通常版の辛さが和らいで食べやすい。袋に描いた電車は、ぬれ煎餅の発売当時に銚子電鉄を走っていた「デハ301」だろうか。この1990年代からのこげ茶色とピンク色に塗られた電車は2010年までにすべて引退している。
銚電のぬれ煎餅は発売当初、犬吠駅の売店と、仲ノ町駅の本社近くの変電所跡で製造した。2014年9月からは、沿線から離れた国道126号沿いの丘の上に設けた新工場で製造される。工場敷地内の事務所には直売店を設け、過去の電車と同じこげ茶色とピンク色に塗った建物に「銚子電鉄ぬれ煎餅駅」の看板を掲げ、車で来た客に煎餅やグッズなどを販売している。
上記の商品「銚子電鉄ぬれ煎餅」の、青い袋の「うす口味」。過去には「うすむらさき」を名乗った。袋の印刷が青色になり、中身の煎餅が薄い色になり、つくりは変わらない。赤い元祖版の強く辛い醤油味が弱くなり、食べやすくなったと思う。
ぬれ煎餅で2006年に救われた銚子電鉄であったが、2011年3月の東日本大震災で乗客と銚子の観光客が激減して再び車両や設備の更新費用が出せなくなり、2013年2月には自主再建を断念して国や千葉県や銚子市の補助金により鉄道を存続することとした。
煎餅は引き続き会社の売上と利益を支える主力事業であり、2021年6月には株主総会で筆頭株主から鉄道事業を廃止し副業の物販を本業にすることを進言されたという。1960年頃から銚子で細々と作られていたぬれせんべいが年商数億円の名産品になったのは、なぜか鉄道会社が製造販売するという話題性から来たものであり、鉄道がなくなればきっと煎餅も危ういだろう。銚子電気鉄道も2025年時点で鉄道をやめる気はなく、電車の運行とともに商品開発や話題の提供にも努めている。
上記の商品「銚子電鉄ぬれ煎餅」の、2009(平成21)年時点での姿。中身は変わらない。値段はずいぶん変わった。名前がこの「銚電のぬれ煎餅」から今のものに変わったのは、いつ頃なのだろうか。当時はまだ、この袋売りに加えて、犬吠駅でもぬれ煎餅を焼いて製造し、1枚から直売したり、テレビ番組でタレントが焼きを体験したりしていた。
東京日本橋から通勤電車で1時間の、京成電鉄ユーカリが丘駅に隣接。ユーカリが丘は千葉県佐倉市で不動産会社の山万が1970年代から開発するニュータウン。約245ヘクタールの敷地で、土地を分譲し、新交通システムを敷き、ホテルや商業施設やマンションを建て、半世紀以上も「成長管理型」と称する持続的な開発を続ける。2023年に新交通システムの運行開始40周年を記念し、史上初の駅弁を販売。1982(昭和57)年11月2日開業、千葉県佐倉市ユーカリが丘四丁目。
2023(令和5)年9月2,3,9,10日の4日間、ユーカリが丘で発売。この駅を起点とする新交通システムである山万(やままん)ユーカリが丘線で、史上初の駅弁。同線の運行開始40周年記念として、同社の孫会社が運営し開業25周年を迎えるウィシュトンホテル・ユーカリとコラボした特製オリジナル駅弁を、一日あたり10個程度販売した。
市販の仕出し弁当向け容器に、電車やそのキャラクターに両社のロゴなどを配した掛紙を巻く。中身は3種類の俵飯に、ハンバーグ、鶏唐揚、玉子焼、きんぴらごぼう、ポテトサラダ、キャベツ千切り、パイン、オレンジなど。弁当そのものは、普段の仕出し弁当にイベントの色を付けたようなもの。これに「駅弁」の帽を載せたところ、発売わずか6日前の発表内容が瞬く間にネットニュースや鉄道サイトに広まり、毎日11時の販売を前に連日の完売だったという。鉄道会社の公式X(ツイッター)を監視していれば、Eメールでの予約ができることがわかり、これならばそんな競争を避けることができた。
山万は、東京都心に本社を置く不動産会社。1970年代に千葉県佐倉市の京成電鉄沿線で手掛けたニュータウンにおいて、新交通システムによる鉄道事業を直営することで、鉄道ファンにもその名が広く知られる。このニュータウン「ユーカリが丘」は、敷地を一気に売り抜ける同社や他社の多くの大規模団地開発と異なり、40年以上を経過しても分譲を続けるような時間をかけた開発を行うことで、急激な発展と衰退を避けて市街地を持続的に成長させているとされ、その取り組みが学者やメディアなどに評価されている。鉄道そのものは、ゴムタイヤの3両編成が14分で一周する、路線バスか横移動のエレベーターのようなもので、駅弁の必要性はまったくない。
京成成田駅から電車で約10分。芝山鉄道は成田空港建設に伴う地元補償の一環として、京成電鉄のかつての成田空港駅、現在の東成田駅から、1駅2.2kmだけ別会社で線路を延ばしたもの。芝山千代田駅に売店はあるが駅弁はない。しかし開業前にデパートの駅弁大会で駅弁を売ってしまった。2002(平成14)年10月27日開業、千葉県山武郡芝山町香山新田字橋松。
木のふたをかけた陶製の釜容器を使用、中身はサフランライスの上にエビ・イカリング・ホタテにムール貝を載せた、スペインの家庭料理「パエリヤ」の釜飯駅弁。
芝山鉄道は、成田空港の補償として京成電鉄東成田駅(旧・成田空港駅)から1駅2.0km(後に用地買収の難航で2.2km)を延伸する形で建設中の路線で、2002年10月の開業予定。つまり、発売時点では未開業駅の駅弁を京王百貨店新宿店の駅弁大会で販売した。もっとも、普通に考えて駅弁が売れるような場所ではなく、街おこしの一環として駅弁を出そうとしていたもの。
ところが、実際に駅が開業してみると、開業後数日間だけ掛紙のない古代米の釜飯弁当が販売されただけで、その後の駅や開業記念イベント会場では駅弁の姿を見ることができなかった。つまり、駅弁販売は嘘だった。関係者の猛省を促したい。