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 旅の友「駅弁」。実際に食べた駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

2.駅弁のはじまり

日本の駅弁の始まりは、次のようにいくつもの説はありますが、定説となりうるだけの証拠が出ていないため、まだ判明していません。ただ、群馬県の信越本線横川駅で荻野屋が1885(明治18)年から、神奈川県の東海道本線国府津駅で現在の東華軒が1888(明治21)年から、それぞれ駅弁の販売を開始したことが分かっているため、少なくとも1872(明治5)年の鉄道開業から十数年後の1880年代には、駅弁が登場していたことになります。

(1)栃木県・東北本線宇都宮駅説

宇都宮駅「汽車辨當」

1885(明治18)年7月16日、私鉄の日本鉄道が大宮駅〜宇都宮駅の鉄道を開業し、宇都宮駅が開設されたことを機に、宇都宮市内で旅館「白木屋」を営んだ斉藤嘉平に、鉄道の重役が勧説し、握り飯2個とタクアンを竹の皮で包んだ駅弁が5銭で売り出された、というもの。1960年代に出現した駅弁紹介本や、以後の雑誌の記事などで定説として広まり、今でも定説としてよく取り上げられています。

しかし、雪廼家閑人(ゆきのやかんじん)氏が1978(昭和53)年5月に出版した「汽車辨文化史」(信濃路)で、文献の調査により、これは大野靖三氏の編著により社団法人国鉄構内営業中央会が1958(昭和33)年6月に発行した非売品の書籍「会員の家業とその沿革」を初出とする新説であるとしました。当時の中央会の会員へのアンケート調査で、そう回答されたようです。雪廼家閑人とは林順信氏のペンネームで、以後の同氏による著作にもこの内容が記されます。

そのため、この宇都宮駅説は定説ではなくなりました。一方で広く親しまれた説であることや、以下の他の説より詳しい内容であるためか、現在でも有力な説として広く引用されるほか、日本鉄道構内営業中央会でもこの説に基づいて駅弁誕生135周年などのキャンペーンを打っています。

(2)大阪府・東海道本線大阪駅説

1877(明治10)年または同年頃に、官営鉄道の大阪駅で弁当を売り出した、というもの。1934(昭和9)年発行の小山敏「最新鉄道常識辞典」(不二出版社)や、1938(昭和13)年発行の「旅窓に学ぶ東日本篇」(經濟雑誌ダイヤモンド社)に書かれるそうです。大阪駅そのものは、1874(明治7)年5月11日に開業しています。

(3)兵庫県・東海道本線神戸駅説

1877(明治10)年7月に、官営鉄道の神戸駅で立売弁当の販売が開始されたというもの。1957(昭和32)年に日本国有鉄道神戸駅が発行した「神戸駅史」の年譜に、「明治十年七月 立売弁当販売開始」と書かれるそうです。神戸駅そのものは、1874(明治7)年5月11日に開業しています。

(4)東京都・東北本線上野駅説

私鉄の日本鉄道が1883(明治16)年12月に発行した、「改正日本鐵道規則及諸賃金明細獨安内」(改正日本鉄道規則及び諸賃金明細独案内)に、「上野停車場構内弁当料理 ふぢのや 濱井啓次郎」(注:原文はおそらく旧字体)と書かれるそうです。これを紹介する記事では、駅弁の発売日を上野駅の開業日である1883(明治16)年7月28日としています。

(5)群馬県・高崎線熊谷駅説

1883(明治16)年7月28日、私鉄の日本鉄道が上野駅〜熊谷駅の鉄道を開業し、熊谷駅が開設された日に、駅の売店で寿司とパンが売られた、というもの。雑誌「旅」1930(昭和5)年8〜11月号に「驛辨の話」として連載された、鉄道省の大臣官房研究所の大野恵造(鈴木等)氏による、1928(昭和3)年から1930(昭和5)年までの調査結果がだそうです。戦前の定説であった、という話も伝わります。

(6)福井県・北陸本線敦賀駅説

1884(明治17)年に、官営鉄道の敦賀駅で駅弁の販売が開始された、というもの。敦賀駅は1882(明治15)年3月10日に開業、1884(明治17)年4月16日の柳ヶ瀬トンネルの開通により、長浜駅から直通する列車が登場しています。

(7)群馬県・高崎線高崎駅説

群馬県のJR高崎線高崎駅などで駅弁を販売する高崎弁当が、1884(明治17)年に創業し、上越線の開通に伴いおにぎりの販売を開始したと主張するもの。同社や同社への取材記事を除き、駅弁発祥高崎駅説を唱える人や記事は、ないと思います。高崎駅は日本鉄道の新町駅〜高崎駅の開業により、1884(明治17)年5月1日に開業しています。

(8)栃木県・東北本線小山駅説

1885(明治18)年7月16日、私鉄の日本鉄道が大宮駅〜宇都宮駅の鉄道を開業し、小山駅が開設されたことを機に、駅前の大樹の下で売られていた「翁(おきな)ずし」が、駅の中で売られるようになったもの。雑誌「旅」1930(昭和5)年8〜11月号に連載された大野恵造氏の「驛辨の話」では、駅弁発祥地としないものの、宇都宮駅よりちょうど2年早く駅弁を売った駅として、このエピソードを紹介するそうです。

2.2.駅弁の発祥地が分からない理由

駅弁の発祥地が分からなくなった理由について、そもそも駅で弁当が売られ始めたと考えられる1880年代に、駅弁という存在やその定義が確立されていなかったことが考えられます。例えば明治5年6月15日(1872年7月20日)、鐵道頭の井上勝は英人ブラックに対して鐵道ステーションでの新聞紙売弘めを承知、つまり鉄道事業者はイギリス人のブラックに対して新聞販売の構内営業を認めています。新聞は今も駅で売られています。しかし、駅新聞という言葉はありませんし、駅売り新聞とそうでない新聞を区別することはありません。弁当は鉄道の開業前から国内に存在しています。駅売り弁当とそうでない弁当も、おそらく区別されていなかったのではと思います。

駅売り弁当とそうでない弁当が区別され始めたのは、1903(明治36)年ないし1906(明治39)年に当時の逓信省鉄道作業局が停車場構内物品販売営業人従業心得を制定し国営鉄道の構内営業について仕様を定めたり、当時の鉄道国有化でこの仕様が全国各地で使用された頃ではないかと感じています。駅付近の名所又は旅客案内という、弁当に不要な情報が駅売り弁当の包装に必須とされたことで、見た目に区別できるようになったのでしょう。明治時代にも駅で買った弁当について記す文学作品が散見されたようですが、大正時代までには駅弁の掛紙を収集する趣味や研究が出現し、昭和時代には市中の弁当と区別した駅売り弁当を紹介する記事が書かれるようになりました。この頃までに「汽車弁当」や「駅弁」などの、駅で売られる弁当を指す言葉が現れました。

1932(昭和7)年2月に鉄道公傷者の救済を目的に設立された鉄道弘済会は、駅で後にキヨスクと名付けられる売店や立ち売りを営業することで収益を上げるため、以後約3年間かけて既存の構内営業者から弁当とお茶を除く販売の権利を強制的に買い上げました。これにより、もっぱら国有鉄道の駅構内で弁当を売り歩く商売が出現し、後に駅弁屋と呼ばれる事業者が生まれたことで、昭和時代に駅弁という言葉と商売が定着したのではないかと考えています。その頃にはすでに、1880年代の駅弁に係わった当事者はほぼいなくなり、後の第二次大戦で駅前の駅弁屋は軍事施設である鉄道とともに空襲で焼け出されて多くの記録を失いました。1960年代に記者や作家などが駅弁を調べ始めた頃には、代替わりした関係者への記憶と伝聞の聞き取りが、昔の駅弁を知る限られた方法となったようです。

※2021年3月改訂:駅弁発祥の各説の記載を整理、駅弁の発祥地が分からない理由を追加

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