抹香鯨の鉄道事故年表 1920年〜1939年の鉄道事故

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1939年11月1日 「ガソリンカー事件」(死者2名・負傷者50〜80名)

〜 法学上有名で重要な列車脱線事故 〜

概要

1939(昭和14)年11月1日(水)7時35分頃、三重県の中勢鉄道二重池・相川間で、岩田橋行列車(ガソリンカー1両編成・乗客約90名)が脱線し転覆した。

原因

運転士の運転ミス。時速15km制限の急曲線を時速約28kmで走行したため。

影響

刑事裁判で運転士の弁護人が、ガソリンカーは汽車でも電車でもないため転覆させても刑法上の罪に該当しないと主張、大審院はガソリンカーが刑法上の「汽車」に含まれると解釈し有罪とした。この判例が刑法学上の「類推解釈」の教材として、現在も大学法学部の授業で取り上げられる。該当の区間は1942年12月に、中勢鉄道は1943年2月に廃止。

1934年9月21日 瀬田川橋梁急行列車脱線事故(死者11〜16名・負傷者202〜216名)

〜 風速による列車の運転規制を実現 〜

概要

1934(昭和9)年9月21日(金)8時35分頃、滋賀県の鉄道省東海道本線草津・石山間の瀬田川橋梁で、東京発下関行第7急行列車(C53形式蒸気機関車+客車11両)の、後部の客車9両が脱線転覆した。

原因

列車が橋梁上で室戸台風の強風を受けたため。客車は脱線転覆したが、河川に転落はしなかった。この日は高槻・摂津富田間でも旅客列車が脱線転覆し13名の負傷者を出している。

影響

瀬田川橋梁が9月24日20時まで不通。鉄道省は全国の主要駅に風速計を設置し、1938年9月に「風速計ニ依ル列車運転取扱手続」を制定、風速により列車を止めたり徐行させる基準を定め、風速による運行規制の仕組みを導入した。現在でもその考え方は生きている。

1930年4月6日 久大線機関車ボイラー爆発事故(死者22〜23名・負傷者4名)

〜 各地のローカル線にも転車台を整備 〜

概要

1930(昭和5)年4月6日(日)、大分県の鉄道省大湯線鬼瀬・小野屋間で、大分発豊後森行列車(8550形式蒸気機関車+客車5両)の機関車から蒸気が客車内に吹き込み、乗客が火傷を負った。

原因

蒸気機関車のボイラーが破裂したため。後ろ向きで客車を引く機関車の、ボイラー内で水が不足し損傷して高圧の蒸気が漏れ、煙室の扉を吹き飛ばし、その正面の客車へ吹き込んだ。

影響

鉄道省では列車の終着駅への転車台の設置を推進、蒸気機関車が後ろ向きで客車を引くことを、なるべく減らすようにした。大湯線は1934年9月から久大線、1937年6月から久大本線。

1928年12月6日 北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故(死者3〜5名・負傷者7〜9名)

〜 トンネルの出入口に幕を設けた事故 〜

概要

1928(昭和3)年12月6日(木)11時13分、滋賀・福井県境の鉄道省北陸本線刀根・雁ヶ谷信号所間の柳ヶ瀬トンネル内で、上り貨物列車(D50形式蒸気機関車+貨車40両+D50形式蒸気機関車)が登り勾配で停止し、乗務員が窒息した。雁ヶ谷信号所から蒸気機関車で救援に向かった下り貨物列車の乗務員も窒息した。

原因

トンネル内に蒸気機関車の煤煙が充満したため。貨物が重かったこと、トンネルが急勾配(25パーミル=2.5%)であったこと、1884(明治17)年完成の古いトンネルで内空断面が小さかったことも災いした。ここは以前から列車運転上の難所と指摘されていたという。

影響

蒸気機関車の乗務員が煙に巻かれないよう、長いトンネルや急勾配のトンネルには全国各地に幕が設けられた。列車がトンネルに入り終わると、職員がトンネルの入口を幕でふさぎ、列車が進む方向に煙を引かないようにした。また、一部の蒸気機関車の煙突に集煙装置を取り付けた。該当の区間は北陸本線の新線への切り替えで1957年10月から支線の柳ヶ瀬線になり、1964年5月に廃止。

1926年9月23日 山陽本線特別急行列車脱線転覆事故(死者34名・負傷者39名)

〜 事故で客車の鋼製化を後押し 〜

概要

1926(大正15)年9月23日(木)3時28分、広島県の鉄道省山陽本線安芸中野・海田市間で、東京発下関行第1特別急行列車(C51形式蒸気機関車+客車11両)の機関車と荷物車2両と寝台車3両が脱線、機関車と荷物車が転覆し、寝台車が大破した。

原因

豪雨で河川が氾濫し、盛土の築堤を崩したため。当時の客車は車体が木造で、事故で破壊され乗客に多くの犠牲が出た。また、第1特別急行列車は国内で最も格が高い優等列車で、国内に加え欧亜間の輸送を担い、死傷者に多くの要人や外国人が含まれた。

影響

鉄道省は事故後に製造する客車を鋼製車、車体も金属製の車両とした。築堤の崩壊課所は橋梁で復旧し、洪水を通す構造とした。

1926年1月16日 箱根登山鉄道脱線転落事故(死者17名・負傷者10名)

〜 箱根登山鉄道史に刻まれる列車転落事故 〜

概要

1926(大正15)年1月16日(土)13時20分頃、神奈川県の小田原電気鉄道小涌谷・宮ノ下間で、強羅発箱根湯本行列車(チキ1形電車1両編成)が脱線し、道路へ転落した。

原因

列車の速度が上がりすぎ、80パーミル(8%)の急な下り坂で減速できなかった。過速の理由がブレーキの故障か運転ミスかは不明。

影響

電車は廃車。鉄道会社は1923年9月の関東大震災とこの事故で経営難になったという。箱根登山鉄道史に残る事故として、時々振り返られる。小田原電気鉄道は1928(昭和3)年8月から箱根登山鉄道。

1923年9月1日 根府川駅列車転落事故(死者約110〜130名・負傷者13名)

〜 関東大震災では最悪の列車事故 〜

概要

1923(大正12)年9月1日(土)12時頃、神奈川県の鉄道省熱海線根府川駅で、東京発真鶴行列車(960形式蒸気機関車+客車8両)が地滑りに巻き込まれ、約45m下の海中に転落し水没した。死者のほとんどは行方不明で、正確な人数は不詳。

原因

関東大震災による山崩れによるもの。この地震では神奈川県内を中心に首都圏の各地で列車脱線事故が発生した。

影響

関東大震災による鉄道事故では最大のものとして歴史に刻まれる。熱海線は1934年12月から東海道本線。

1922年2月3日 北陸本線列車雪崩直撃事故(死者88〜90名・負傷者40〜42名)

〜 雪崩で多数の作業員が犠牲に 〜

概要

1922(大正11)年2月3日(金)19時59分頃、新潟県の鉄道省北陸本線親不知・青海間の勝山トンネル付近で、糸魚川行列車(2120型蒸気機関車+客車6両)に雪崩が直撃し、2〜4両目の客車を破壊した。

原因

豪雪による雪崩のため。乗客のほとんどは除雪作業員で、糸魚川などに帰る途中だった。

影響

2月5日14時まで不通。犠牲者数で史上最悪の雪崩による列車事故として歴史に刻まれる。該当の区間は2015年3月からえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン。

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最終更新 2008年9月20日
管理者 まっこうくじら
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