2009(平成21)年9月13日(日)16時30分頃、東京都の東京急行電鉄(東急)東横線多摩川駅で、車いすの旅客がホーム上から線路に転落し、翌日に死亡した。
曲線区間で傾いて停まる電車に合わせ、ホームに約2.5%の傾斜が付いていた。車いすから介助者が離れた際、この傾斜により車いすが走り出した。多摩川駅では2007年9月にも同じ内容で高齢女性が重傷を負ったという。
東急では多摩川駅などプラットホームに勾配のある7駅のエレベーター乗り場に、頑丈な柵と傾斜の注意書きを設置した。駅長は2011年4月に業務上過失致死の疑いで書類送検。全国各地の鉄道事業者にも柵や掲示が広まった。
2009(平成21)年2月27日(金)5時35分頃、三重県の近畿日本鉄道(近鉄)大阪線東青山駅付近で、名張発伊勢中川行普通列車(1253系電車2両編成・乗員2名乗客9名)が脱線し架線柱に衝突した。
横取り装置の復位忘れ。夜間の保守作業で、レールにレールを被せて車両の進行方向を変える手動式の分岐器「横取り装置」を操作し、これを元に戻さずに列車を走らせたため。
青山町・伊勢中川間が約24時間不通。近鉄は横取り装置使用後の初列車の速度を25km/hに制限、装置の撤去と確認を担当した社員2名を懲戒解雇した。電車は修理し復旧。
2009(平成21)年1月15日(木)14時36分頃、北海道の北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線江部乙・滝川間で、旭川発岩見沢行列車(711系電車3両編成・乗員2名?乗客44名)が非常停止した。
岩見沢行列車の前方の滝川駅に貨物列車が停止していたため。列車が前方にいるため赤信号が出るはずが、黄信号が出ていた。2年前の信号工事での配線ミスで、赤信号と黄信号の表示が入れ替わっていた。
列車22本に2〜15分の遅れ。JR北海道は全線で信号機の緊急点検を実施した。
2008(平成20)年10月23日(木)5時30分頃、愛知県の名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)名古屋駅で、名古屋発金城ふ頭行列車(1000形電車4両編成・乗員1名乗客約25名)の最後部車両1両が脱線した。
輪止めの外し忘れ。該当の車両は名古屋駅で一晩を過ごすため、車両が移動しないよう車輪に「手歯止め(てばどめ)」と呼ばれる輪止めをはめていた。運転士が運行前に手歯止めを外し忘れたため、列車の発車時に車輪がこれに乗り上げて脱線した。
あおなみ線は当日深夜まで運休、隣接するJR線でも一部列車に遅れが出た。運転士は罰金刑。
2008(平成20)年9月17日(水)未明、栃木県那須塩原市のJR東日本東北本線黒磯駅構内で、作業員が設備の交換で感電し死亡した。
作業員が直流1500ボルトの電気が流れる設備に触れたため。作業は電気を切り、電気が流れていないことを検査したうえで行うはずが、その両方とも行われていなかった。その背景に、1950年代に日本国有鉄道が鉄道の電化に交流電源を採用し始めた際に、直流電化と交流電化の境界となった黒磯駅では、駅構内の同じ区間に直流も交流も流せるようにする「地上切替方式」を採用、その方式が残存し、駅構内の電気設備が複雑かつ老朽化していたことが挙げられる。
JR東日本は黒磯駅の地上切替方式を廃止、黒磯・高久間の架線に電気を流さない区間「デッドセクション」を設けて、列車が走りながら電源を切り替える車上切替方式とすることとした。2013年に着工、2018年1月に供用。黒磯駅に交流電車が来なくなった。
2008(平成20)年2月24日(日)9時54分頃、神奈川県の湘南モノレール江の島線西鎌倉駅で、大船発湘南江の島行列車(5000系電車3両編成・乗員2名乗客22名)が停止位置を約40mオーバーランし分岐器に衝突した。対向列車である湘南江の島発大船行列車(500系電車3両編成・乗員2名乗客16名)が、分岐器の手前で緊急停止した。
当初は不明。後に電車のモーターを制御する装置からの電磁ノイズにより、電車のアクセルがかかりっぱなしになったところで、運転士がブレーキ操作を継続したため、ブレーキの機械的故障を招いたことが判明。
当該車両は使用停止のうえ、電車のモーターを制御する装置のプログラムを改修した。車両不足で12月22日まで臨時ダイヤによる減便を実施した。
※2010年7月補訂:公表された鉄道事故調査報告書の内容を反映2008(平成20)年1月16日(水)8時11分頃、長崎県の島原鉄道西有家・龍石間の踏切で、加津佐発諫早行普通列車(キハ2500形気動車2両編成・乗員2名乗客83名)が軽乗用車と衝突した。車の運転手も含め負傷者はなし。
踏切の警報機や遮断機が作動しなかったため。
当該踏切は3月31日限りで鉄道の廃線により廃止されることから、設備を修理せず係員の配置と全列車の一時停止で廃止日まで過ごした。
2007(平成19)年12月7日(金)17時47分頃、愛知県の東海旅客鉄道東海道本線共和駅で、老人男性が快速列車にはねられて死亡した。
老人男性が線路内に立ち入ったため。国の介護保険制度で上から2番目に重い「要介護4」の認定を受けた、91歳の認知症の男性が、家族が目を離した隙に徘徊(はいかい)し、駅のホーム端からフェンスの扉を開けて線路へ降りたと考えられている。
列車20本に最大2時間の遅延が発生。JR東海は遺族を相手取り、事故処理の人件費や振替輸送の費用など約720万円の損害賠償を求めて提訴し、2013(平成25)年8月の名古屋地裁判決で全面勝訴。これからは認知症患者を自宅や病院に閉じ込めておかなければならなくなると、全国の医療や介護の関係者や現場に衝撃を与えた。2014(平成26)年4月の名古屋高裁判決では賠償額を約360万円に減じたが、遺族が損害を賠償する義務を負う判断を変えなかった。2016(平成28)年3月1日の最高裁判決では損害賠償義務を否定する逆転判決が出た。「認知症鉄道事故裁判」として、法学の歴史に刻まれる。
2007(平成19)年3月1日(木)8時18分頃、北海道の北海道旅客鉄道石北本線美幌・緋牛内間の第4基線道路踏切で、網走発北見行普通列車(キハ54形式気動車1両編成・乗員1名乗客約70名)がトレーラーと衝突し、脱線した。運転士1名と乗客1名が重傷、乗客49名が軽傷。トレーラーの運転手も軽傷。
トレーラーの運転手の前方不注意。警報機が鳴り遮断機が下りた踏切に進入した。
事故車両が廃車。1996年1月のキハ130に続き、また北海道で列車がトラックに負けた。
現地時間2006年9月22日(金)9時30頃、ドイツ・ニーダーザクセン州ラーテンの磁気浮上式リニアモーターカー「トランスラピッド」エムズランド実験線で、停車中の工事用車両に見学者が乗った試運転列車(3両編成・乗客31名)が時速約200kmで衝突した。作業員2名と乗客21名が死亡、乗客10名が負傷。
リニアモーターカーの技術上の問題ではなく、保守作業中に見学列車を出した指令所の判断ミスと思われる。
2008年3月にドイツ国内での路線建設が断念された。理由は事業費の大幅な増加とされたが、この事故も一因ではないかと思う。なお、ドイツのリニアは日本のリニア新幹線とは別方式、2003年12月に営業運転が開始された上海トランスラピッドは同じ方式。
2006(平成18)年2月16日(木)18時20分頃、神奈川県市の小田急電鉄(小田急)小田原線小田急相模原駅で、新宿発箱根湯本行特急列車「はこね43号」(7000形電車11両編成)に男性が飛び込んで死亡した。その際に列車のフロントガラスが割れ、前面展望車の乗客9名が軽傷。
飛び込み自殺と思われる。
小田急では特急ロマンスカーの展望席の特急券の発売を中止、ガラス内側に飛散防止フィルムを貼り、24日分から発売を再開した。
2005(平成17)年12月25日(日)19時14分頃、山形県の東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線北余目・砂越間で、秋田発新潟行特急列車「いなほ14号」(485系電車6両編成・乗員3名乗客43名)の全車両が脱線し、うち前3両が転覆、先頭車が建物に激突した。先頭車の乗客5名が死亡、運転士と車内販売員と乗客31名が負傷。
走行中の列車が局所的な突風を受けたため。
羽越本線鶴岡・酒田間が翌年1月18日まで不通。JR東日本を含めた各社は風速による運転規制を強化したため、京葉線や羽越本線など風を受けやすい路線を中心に列車の運休が頻発するようになった。JR東日本は余目駅にドップラーレーダーを設置、全国の鉄道会社で風速計や防風柵の設置が進められた。ダウンバーストの予測や対策が航空に加えて鉄道でも課題となる。
2005(平成17)年10月12日(水)9時50分頃、東京都の東日本旅客鉄道「京浜東北線」大森・蒲田間の踏切で、歩行者2名が桜木町発大宮行列車(209系電車10両編成)にはねられた。死者1名・負傷者1名。電車の乗員乗客にけが人はなし。
警報機が鳴り遮断機が降りた踏切に歩行者が進入したため。報道では、旧国鉄やJRの踏切警報機が30分間連続して作動すると警報機に現れる「こしょう」表示との関連が疑われている。同日朝の根岸線本郷台駅での人身事故により、京浜東北線のダイヤが乱れていた。
JR東日本は6658箇所の警報機付き踏切に注意喚起の看板を設置。JR6社のうち少なくとも東日本・西日本・九州の3社は、踏切警報機に「こしょう」の表示が出ないように改修する。2006年3月19日に愛知県蒲郡市のJR東海道本線でも同種の事故が発生したため、国土交通省は全鉄道事業者へ同様の指示を始めた。
2005(平成17)年8月16日(火)11時46分、宮城県東方沖を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生、東日本旅客鉄道の東北・山形・秋田の各新幹線が最大約12時間半ストップし、Uターンラッシュを直撃した。
直接には最大震度6弱の地震のため。JR東日本の社内基準で線路の係員徒歩巡回点検が必要となる、120ガル以上の揺れを観測した区間が全長約270kmに及び、無被害を確認するまで長時間を要した。
JR東日本では地震時に新幹線の運休や徐行を判断する指標について、揺れの最大加速度を示すガル値から、揺れが建物に与える影響度を示すSI値への変更を前倒しし、翌月までに完了した。なお、在来線は2003年4月に完了している。
2005(平成17)年6月9日(木)21時25分頃、福島県の東日本旅客鉄道只見線会津中川・会津川口間で、会津若松発越後川口行列車(キハ48・40形式気動車4両編成・乗員2名乗客2名)が、沈下した撤去中の跨線道路橋に挟まれて立ち往生した。
新橋の完成で不要になった鋼製道路橋の撤去手順ミス。
6月30日まで只見・会津宮下間が運休。工事会社がJR東日本に車両修理費等の損害賠償9580万円を支払。只見線は雪害と土砂崩れに続く当年三度目の長期運休に見舞われたほか、車両不足で翌年3月まで青森や宮城や秋田から同型の気動車を借りて運行した。
2005(平成17)年5月31日(火)6時10分頃、栃木県小山市の東日本旅客鉄道両毛線思川駅で、停車中の小山発高崎行列車(107系電車4両編成、乗員2名乗客約100名)の2両目と3両目の連結が外れた。また、7時29分頃に栃木県小山市の東日本旅客鉄道両毛線栃木駅で、思川駅から岩舟駅までの回送列車として運転した当該列車の2両目と3両目の連結が再び外れた。
電車の自動解結装置の誤作動。加えて前日の高崎駅での作業で、自動解結NFBスイッチを「入」にしたままであったことから、自動解結装置の誤作動を防げなかった。
同種の出来事があれば、鉄道ファンにまれに振り返られる。JR東日本では電車の解結スイッチを無接点式から接点式に交換、自動解結NFBスイッチを「切」とするよう掲示と周知を行った。
2005(平成17)年4月26日(火)12時49分頃、茨城県の東日本旅客鉄道常磐線羽鳥駅の踏切で、上野発いわき行特急列車「スーパーひたち23号」(651系電車11両編成・乗員3名乗客約450名)が大型トレーラー車と衝突、列車の先頭車が脱線した。乗客3名が重傷、トレーラーの運転手は軽傷。
トレーラーの酒気帯び運転の運転手が大型貨物車通行禁止の踏切に進入して脱輪したため。
福知山線事故の翌日に発生した列車脱線事故のため、新聞等で大きく報道された。航空・鉄道事故調査委員会が2006年9月に出した事故報告書で、通常ブレーキの操作後にかけた非常ブレーキの減速度が低下する点を建議として指摘したため、全国約2,000両の鉄道車両が改修される可能性がある。
2005(平成17)年4月25日(月)9時18分頃、兵庫県の西日本旅客鉄道福知山線尼崎・塚口間で、宝塚発同志社前行快速列車(207系電車7両編成・乗員2名乗客約700名)の前5両が半径300mの曲線で外側に脱線し、前4両が転覆、前2両が線路脇のマンションに衝突した。
時速70キロ制限の曲線を時速約110キロで走ったことによる転覆脱線。速度超過の原因について、運転士の技量不足あるいはJR西日本の懲罰的教育での萎縮、新型ATSの整備の遅れなど様々が指摘されるが、現時点(2012年3月)で結論は出ていない。
尼崎・宝塚間が6月18日まで運休、19日から路線の最高速度と事故現場の曲線制限速度を落としダイヤを変更して運行を再開した。JR西日本は2006年2月に社長と会長と相談役が退任、同年3月に近隣路線も含めた速度低下と余裕時分の増加のダイヤ改正を実施、同型電車と製造中の後継新車は帯色を変更した。国土交通省は2006年3月に省令を、4月に解釈基準を改正し、時速100キロ超や1時間あたり旅客列車10本以上の路線に速度照査機能の付いた自動列車停止装置(ATS)の整備を義務付けたほか、その後の鉄道行政を安全監視側にシフトしたように見える。安全投資への補助制度が拡充された一方で、その費用を捻出できない地方私鉄の廃線を促している。犠牲者数でJR最悪の事故として鉄道史と社会史に刻まれる。
2005(平成17)年3月23日(水)9時27分頃、東京都の東日本旅客鉄道「京浜東北線」蒲田・大森間で、大船発南浦和行列車(209系電車10両編成・乗員2名乗客約1,000名)が約2時間半停止した。
停止列車の3号車の電気トラブル。209系電車はコストダウンを目的に固定窓を採用していたため、空調が止まった車内で換気ができなかった。さらにJRが東海道線の運行継続を理由に乗降扉の開放を拒んだため、車内が蒸し風呂状態となり、酸欠や脱水の症状を示す乗客が発生した。
JR東日本は同型電車の全車両約800両について、一部の窓を開閉できるよう改造。以後に製造される各社の鉄道車両についても、新幹線と特急向けを除き全面的な固定窓の採用がなくなったように見える。
※2012年3月補訂:影響の追記2005(平成17)年3月15日(火)16時50分、東京都の東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅の伊勢崎線第37号踏切で、太田発浅草行準急列車(電車6両編成)が通行人の女性4名をはねた。2名が死亡し2名が負傷。
踏切警手が列車の通過前に遮断機を上げたため。その要因として、踏切で待たされる通行人から踏切脇の詰め所のドアを蹴られたり、罵声を浴びせられて精神的圧迫があったことが、裁判で認定されている。複々線の列車本数に加えて地下鉄の車庫があり、踏切の遮断時間が長くなるため、東武鉄道ではこの踏切を自動化せず、踏切警手の配置と手動による操作にて開放時間を確保していた。
踏切警手は懲戒解雇されたうえで懲役1年6月の実刑を受けた。東武鉄道では竹ノ塚駅両側の踏切を6月に拡幅し、9月には遮断機の自動化を実施、東京都と足立区は2006年3月にエレベーター付き歩道橋を設置した。2020年度までに約540億円かけて竹ノ塚駅を高架化し踏切を廃止する予定。
2005(平成17)年3月2日(水)20時41分頃、高知県の土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅で、岡山発宿毛行特急列車「南風17号」(JR四国2000系気動車3両編成・乗員2名乗客11名)が頭端式終着駅の車止めを乗り越えて駅舎に衝突した。先頭車が大破、2両目が脱線。運転士が死亡、先頭車の乗客1名が重傷、車掌と乗客9名が軽傷。
運転士がブレーキ操作を行わなかっため。運転士の体調不良が疑われるが、原因は不明。ATS(自動列車停止装置)が作動したが、列車の宿毛駅への進入速度が制限速度(時速45km)を大きく超える時速約110kmであったため、衝突を防げなかった。
中村・東宿毛間が4月6日まで運休、東宿毛・宿毛間が10月31日まで運休。国土交通省は3月29日に全国の鉄道事業者に対して、終端駅へ最高運転速度で進入した列車を止められるよう自動列車停止装置(ATS)の改修を指示した。
※2012年3月補訂:影響の文面の見直し2005(平成17)年1月13日(木)10時45分頃、岩手県の東日本旅客鉄道(JR東日本)北上線ゆだ高原・ほっとゆだ間で、横手発北上行列車(キハ110形気動車1両編成・乗員1名乗客10名)が約2時間20分停止した。
燃料切れ。整備会社が横手駅での給油を忘れたもの。同じような出来事が、1990年11月14日の釜石線土沢駅でも起きている。
積雪2メートル近い豪雪地帯で乗客10名が凍えた。JR東日本盛岡支社では気動車の運転台に燃料切れ警告計器を付ける。
現地時間2004年11月12日(金)2時半頃、フィリピン・ルソン島南部のパドレブルゴス付近で、レガスピ発マニラ行夜行列車(機関車+客車6両または8両)が脱線し、客車4両が斜面下に転落した。
速度超過、施設老朽化、またはレール盗難とされている。続報がないので詳細は不明。
被災車両が、日本政府による鉄道近代化支援の一環としてJR東日本が1999年と2001年にフィリピン国鉄へ譲渡した車両31両の一部(12系客車3両と14系客車1両)であったため、メディアでの一報が鉄道ファンの間でも話題になった。
2004(平成16)年10月23日(土)17時56分頃、新潟県の東日本旅客鉄道(JR東日本)上越新幹線浦佐・長岡間で、東京発新潟行列車「とき325号」(200系新幹線電車10両編成・乗員3名乗客154名)の車両10両中8両が脱線し停止した。
新潟県中越地震により震度6強あるいは7の地震動を受けたため。事故現場付近では重力を上回る揺れが測定されていた。新幹線の営業列車の脱線は史上初。
新潟県中越地震の被害を代表する事柄として多くのメディアで大きく取り上げられた。上越新幹線は12月27日まで不通、被災車両はすべて廃車。新幹線列車の脱線防止策として、JR東日本は新幹線車両すべての台車に転覆防止の爪「L型車両ガイド」を付け、JR東海は軌道延長140kmに渡り脱線防止ガードを設置。私見で、時速約200キロで走行中の新幹線が脱線しても怪我人ひとり出なかったことで、新幹線の安全性がまた実証されたと考える。
2004(平成16)年10月20日(水)22時51分頃、長野県の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線羽場・伊那新町間で、飯田発辰野行列車(119系電車2両編成・乗員1名乗客3名)が脱線し盛土から転落した。乗員乗客の全員が軽傷。
台風23号による降雨で線路脇の用水路があふれて盛土が流失したため。
JR東海は用水路の所有者である長野県辰野町と管理者である地元の水利管理組合に約6300万円の損害賠償を求める裁判を起こし、和解により解決金300万円を勝ち取った。
現地時間2004年3月11日(木)7時30分頃、スペイン・マドリード中心部の3駅で4本の通勤電車が爆発した。他に駅付近で6発の爆弾が爆発し、上記の死傷者数はこれによるものが含まれていると思われる。負傷者に日本人はいない模様。
爆発物を用いたテロと報道されている。3日後の総選挙との関連が疑われている。
総選挙で野党が逆転勝利し、その公約に従いスペイン軍がイラクから撤兵した。
2004(平成16)年2月15日(日)9時20分頃、愛知県の東海旅客鉄道東海道新幹線豊橋・三河安城間の星越トンネル付近で、東京発博多行列車「のぞみ5号」(西日本旅客鉄道500系新幹線電車16両編成)に男性が飛込自殺。先頭車に直径40センチの穴があいた。男性はさらに新大阪発東京行列車「のぞみ112号」(700系新幹線電車16両編成)と、東海道本線豊橋発大垣行快速列車(電車6両編成)にも衝突し死亡。列車は約30分遅れたが走行に支障はなく、終点まで運転した。
男性が自殺を目的に線路内に立ち入ったため。500系電車は300km/h営業運転の騒音と空気抵抗の低減のため先頭部に15mもの長いノーズを強化プラスティック(FRP)で取り付けており、これが破損した。新幹線他形式の先頭部は主に鋼製ないしアルミニウム製。
新幹線に初めて穴があいたと新聞やテレビで大きく報じられた。
2003(平成15)年10月18日(土)17時15分頃、岐阜県の名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線新岐阜駅で、豊川稲荷発新岐阜行急行列車(3100系電車6両編成・乗員2名乗客約60名)がホーム端の車止めに衝突した。1両目と3両目が脱線、乗客4名が軽傷。
運転士の体調不良による運転操作ミス。運転中に気を失いマスコン(アクセルとブレーキのレバー)に倒れ込み、加速操作となった。
名鉄は新岐阜駅のATS(自動列車停止装置)と車止めを改良、運転台にマスコンの誤動作防止装置を付けた。新岐阜駅は2005年1月29日から名鉄岐阜駅。
2003(平成15)年10月6日(月)4時30分頃、東京都の東日本旅客鉄道(JR東日本)「京浜東北線」大井町・大森間で、蒲田発大宮行列車(209系電車10両編成・乗員乗客約150名)が線路上の障害物にぶつかった。
夜間に線路を敷き直す工事を実施した業者が、線路内に建設機械の部品(バケット)を置いたままにしたため。
京浜東北線の一部区間が約4時間不通。9月28日のJR中央線線路切替失敗と合わせ、国土交通大臣はJR東日本に対して事業改善命令を交付した。工事業者は該当のバケットを保管し、自社の安全研修に活用。不思議と京浜東北線で起き続ける、ヒューマンエラーによる工事事故のたびに振り返られる。
2003(平成15)年9月28日(日)、東京都の東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線三鷹・立川間が、朝から約8時間に渡り不通となった。
施工業者の工事ミス。中央線高架化事業に伴い、前夜から当日朝にかけて一部の列車を運休しバス代行にして、三鷹・国分寺間で線路を仮線に置き換える工事を実施したが、工事図面の誤りにより信号が作動せず列車の運行を再開できなかった。利用者への案内が乏しいまま、代行バスの運行を予定時刻にとりやめたことで、大きな非難を浴びた。
JR東日本は線路切替工事を細分化し、工事チェック体制を整備したという。
2003(平成15)年7月18日(金)21時45分頃、長崎県の九州旅客鉄道長崎本線小江・肥前長田間で、長崎発博多行特急列車「かもめ46号」(885系電車6両編成・乗員2名乗客76名)が落石に乗り上げ、先頭から3両が脱線し2両が転覆した。2両目の乗客2名が重傷、運転士と乗客34名が軽傷。
降雨で斜面から線路に落ちた約130kgの落石に、電車が時速約60〜70kmで乗り上げたもの。
当初は先頭車が線路脇の水田に沈没したと思われて、NHKが特別報道態勢を敷いた。小江・諫早間が20日20時頃まで不通。電車3両が廃車。車両不足のため博多・大分間特急「ソニック」一部列車に編成変更が生じた。
2003(平成15)年3月31日(月)23時38分頃、長崎県の九州旅客鉄道大村線小串郷・川棚間の踏切で、長崎発佐世保行列車(キハ200系気動車4両編成・乗員2名乗客18名)が3tトラックと衝突した。先頭車の先頭台車が脱線、運転士と乗客3名が軽傷。
踏切内でトラックが脱輪したため。
現場に重機が搬入できず、脱線車両を復旧できなかったため、運転再開のために築堤から転がして落とし、現地で解体し廃車。転落の光景はテレビのニュースでも放映された。哀れな廃車として鉄道ファンの記憶に残る。
2003(平成15)年2月26日(水)15時20分頃、岡山県の西日本旅客鉄道山陽新幹線岡山駅で、広島発東京行列車「ひかり126号」(おそらく300系新幹線電車16両編成・乗員乗客約800名)が本来の停車位置の100m手前で自動停止した。
運転士の居眠りによるもの。列車の走行中に約8分間眠り、その間に列車は新幹線のATC(自動列車制御装置)により自動で停止した。後に居眠りの原因が運転士の病気「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」と判明。
睡眠時無呼吸症候群という症例が世に広まり、JRを含む鉄道各社や運送業者が検査や対策に乗り出した。私見で、運転手が意識を失っても列車が安全に自動停止したことから、新幹線の安全性が立証されたと考える。
2003年2月18日(火)9時53分頃、韓国・大邱(テグ)市の大邱広域市地下鉄公社1号線中央路駅で、大谷行列車(1000系電車6両編成)と安心行1079列車(1000系電車6両編成)のすべての車両が全焼した。死傷者の数は文献により数名異なる。
安心行列車の先頭車での乗客のガソリン放火。車両火災の想定を越える猛火に加え、車両の不燃化や駅の避難設備や防災設備の一部不備が指摘される。火災の3分後に中央路駅へ来た安心行列車の乗務員が、乗降扉を開けずに車両の鍵を抜いて逃げたため、この列車内に閉じ込められた乗客約140名が死亡した。
教大・東大邱間が10月20日まで運休、12月30日まで中央路駅を閉鎖。日本の国土交通省は有識者等による検討会を立ち上げ、2004年3月の報告書に基づき同年12月に省令解釈基準を改正、鉄道車両の不燃化基準や、地下駅及び地下駅に接続するトンネルの防災基準を強化した。地下鉄各社局では避難経路の複数化工事を実施、車両の照明にカバーを付ける新車が少なくなった。
※2012年3月補訂:影響の全面改訂2002(平成14)年11月6日(水)19時45分頃、大阪府の西日本旅客鉄道東海道本線塚本・尼崎間で、京都発鳥取行特急列車「スーパーはくと11号」(智頭急行HOT7000系気動車5両編成・乗員・乗客約120名)が、線路上にいた大阪市消防局淀川消防署の救急隊員2名をはねた。1名が死亡、1名が重傷。
約30分前に現場付近で中学生が新快速列車にはねられたため、駅員の立会のもと消防署員が救護活動を行っていたが、輸送指令が作業の終了と勘違いし、通常の速度での列車の運転の再開を指示したため。
JR西日本は社内マニュアルを整備、負傷者の救出作業が終わるまで列車の運行を再開しないとした。そのため、以後の人身事故時には運転再開まで何時間も待たされるようになり、ダイヤの乱れが増大している。
2002(平成14)年9月26日(木)8時32分頃、愛知県の名古屋鉄道名古屋本線奥田・大里間の踏切で、進入した乗用車に新岐阜発豊橋行特急列車(1030系電車6両+1800系電車2両編成・乗員3名乗客約900名)が衝突、先頭から2両が脱線した。乗用車の運転手は死亡、乗員2名と乗客32名が軽傷。
遮断機の下りた踏切に乗用車が入ってきたため。特急電車が時速120kmで走り、ラッシュの時間帯で乗客が多かったため負傷者が増加したが、脱線列車が架線柱をなぎ倒したことによる停電で対向列車が停止し、二重衝突の惨事は防げた。
電車2両が廃車。壮絶な踏切事故として名鉄ファンの記憶に残る。
※2008年9月補訂:公表された鉄道事故調査報告書により乗員、乗客、負傷者数を追記及び訂正2002(平成14)年2月22日(金)21時30分頃、福岡県の九州旅客鉄道鹿児島本線海老津・教育大前間で、停止していた門司港発荒尾行普通列車(811,813電車7両編成・乗員2名乗客約120名)に、門司港発荒木行快速列車(813系電車5両編成・乗員2名乗客約180名)が追突した。乗客11名が重傷、乗員3名と乗客120名が負傷。
快速列車の運転士の思い込み。運転士は閉そく信号機の停止現示(赤信号)で列車を停止、「無閉そく運転」の規定により徐行(時速15km以下)で赤信号を通過した後、視認しづらい本来の閉そく信号機の手前にある中継信号機の進行現示(青信号相当)で加速した。しかし本来の閉そく信号機とその中継信号機の間で、普通列車がイノシシと衝突し停止していため、これに追突した。
製造後8年ほどの電車8両が廃車。JR九州は3月1日から、赤信号を通過する徐行運転(無閉そく運転)の開始判断を運転士から指令員に変更、5月までに他社も追従した。航空・鉄道事故調査委員会は4月26日、無閉塞運転と車両の安全向上についての建議を発令、これが同会の建議第1号となった。
※2008年9月補訂:公表された鉄道事故調査報告書により乗員、乗客数を追記2002(平成14)年1月3日(木)10時1分頃、岐阜県の名古屋鉄道羽島線新羽島駅で、新羽島までの延長運転を実施した笠松発羽島市役所行列車(3100系電車2両編成・乗員2名乗客6名)が駅の車止めに衝突し、先頭車の前部2.5メートルが高架橋終端から突き出て停止した。
積雪の影響でブレーキが効かなかったもの。中京地方では41年振りの大雪があった。
正月早々の珍事として新聞各紙の一面を飾った。事故当日のみ羽島線全列車が運休。なお、新羽島駅は東海道新幹線岐阜羽島駅に隣接する接続駅。
2001(平成13)年7月25日(水)14時56分、神奈川県の東京急行電鉄(東急)田園都市線田奈変電所で火災が発生した。
変電所の付近に落雷があったため。
翌日から8月3日まで、平日朝の田園都市線長津田・鷺沼間で上り列車を3割削減、急行運転を中止し全列車を各駅停車で運転した。その期間、通勤時間は増えたが列車の混雑が平準化で緩和され、楽だったとの声あり。また、東急では全変電所のアースを改良した。田園都市線では2007年4月のダイヤ改正で、平日朝ラッシュ時の上り急行を、二子玉川・渋谷間各駅停車の「準急」に変更。
2001(平成13)年6月24日(日)18時頃、福井県の京福電気鉄道福井支社越前本線発坂・保田間で、勝山発福井行列車(モハ5001形電車1両編成・乗員1名乗客15名)と福井発勝山行急行列車(モハ2201形電車1両編成・乗員1名乗客8名)が正面衝突した。
急行列車の運転士が赤信号を見落としたものと思われる。発坂駅で普通列車と急行列車がすれ違う予定が、急行列車が普通列車の到着を待たずに発車し、本線の単線区間で衝突した。鉄道会社の永年の経営難により、この路線には自動列車停止装置(ATS)がなく、事故を防げなかった。
前年の12月17日に続く半年で二度の正面衝突事故を受けて、国土交通省中部運輸局は京福電鉄福井支社に運行停止を指示したため、同日21時40分頃から永平寺線と三国芦原線を含めた全線で運行を中止し、翌日からバス代行輸送を開始。積雪と渋滞で輸送が混乱し、鉄道の役割を地元が見直した。運行再開の条件とされたATSなどの安全施設の整備に費用が捻出できないとした会社側は、鉄道の廃止を発表。福井県や地元自治体による第三セクター会社「えちぜん鉄道」が運営を引き継ぐこととなり、安全施設の整備の後に2003年7月から10月にかけて順次運転を再開した。永平寺線は廃止。急行列車の運転士は2002年10月に禁固2年6月執行猶予5年の有罪判決。
2001(平成13)年4月8日(日)21時35分頃、福島県の福島交通飯坂線福島駅で、飯坂温泉発福島行列車(7000系電車2両編成)が車止めを突き破り駅ビルの壁に衝突した。
整備不良による電車の停電で通常のブレーキが効かなくなり、運転手が動揺して非常ブレーキの操作を怠ったとされる。列車は美術館・図書館前駅出発後に停電、次の曽根田駅を通過し、終点の福島駅で事故に至った。
福島・曽根田間が4月13日まで運休。電車2両は廃車。
2001(平成13)年3月4日(日)、東京都の東日本旅客鉄道中央本線新宿駅で、松本発新宿行特急「スーパーあずさ16号」(E351系電車)のパンタグラフが外れ、隣の線路に落ちた。
報道がないので不詳。E351系電車は、地上の設備を改修せずに車体を傾けて速く走るために、車両の車体ではなく台車にパンタグラフを載せており、この特殊な構造が悪さをしたのかもしれない。
報道や発表がないので不詳。通常では考えられない珍しい事故だと、鉄道ファンのあいだで雑学的に語られる。
2001(平成13)年1月26日(金)19時10分頃、東京都の東日本旅客鉄道山手線新大久保駅で酔客1名がホームから線路に転落、カメラマンと韓国人留学生が救出のために線路に降りたところを、山手線内回り列車(205系電車11両編成)にはねられ、3名とも死亡した。
酔客の転落と救出者の列車無確認によるもの。加えて転落現場がU型の橋梁上であり避難場所がなかった。
犠牲者のひとりが韓国人留学生であったため、韓国と日本で美談として大きく報道された。全国の駅で転落時に利用できる待避所やホームに上がるステップが整備された。事故後に山手線内の駅ホーム上売店での酒類販売が中止されたが、売上確保の理由で2003年2月15日から再開されている。
2001(平成13)年1月13日(土)14時55分頃、埼玉県の東日本旅客鉄道東北本線浦和駅で、上野発宇都宮行列車(E231系電車10両編成・乗客約900名)の最後尾車とその1両前の車両との間の連結器が外れ、非常ブレーキがかかり約2メートルで停止した。乗客にけがはなし。
前年導入の新型電車の先頭車で採用された、列車衝突時に乗務員等を保護するための新型連結器が、平常時に脱落したもの。2000年12月25日18時半頃にも、栃木県の東北本線野木駅で、宇都宮発上野行列車(E231系電車15両編成)が同じ事故を起こしている。
同形式の先頭車58両と、同じ連結器を使用する特急電車6両の連結器を交換した。
2000(平成12)年12月17日(日)13時頃、福井県の京福電気鉄道福井支社越前本線志比堺・東古市間で、東古市行を通り過ぎた永平寺発東古市行普通列車(モハ251形電車1両編成)と福井発勝山行普通列車(モハ1101形電車1両編成)が正面衝突。東古市行列車の運転士1名が死亡。
東古市行列車の故障。ブレーキロッドが折れ、列車のブレーキが利かなくなり、勝山行列車と衝突するまで下り坂を走り続けた。車両の整備不良が疑われる。モハ251形は第二次大戦前の車両に戦後製造の車体を載せた古い電車で、ブレーキが二重化されていなかった。
運輸省は京福電鉄に対して全車両の、全国の鉄道会社に対して複数系統のブレーキを備えない車両の緊急点検を指示した。京福電鉄では複数系統のブレーキのない車両7両の使用を停止。車両不足により永平寺線は2001年2月23日まで運休。
※2012年3月補訂:駅名の訂正現地時間2000年11月11日(土)9時00分頃、オーストリア・カブルンのケーブルカー「Gletscherbahn 2」の登り列車(2両編成・乗員1名乗客161名)の後部運転台から出火、トンネル内で全焼した。登り列車の乗員1名と乗客149名(日本人10名を含む)、下り列車の乗員1名と乗客1名、山頂駅(アルペンセンター駅)の3名が死亡。
運転台の電気ファンヒーターの発火による。家庭用の機器を分解して取り付けていた。ケーブルカーの全長3.8kmのうち3.2kmが勾配45度のトンネル区間となっており、煙突の仕組みで燃焼が促進されて煙が上方に流れたため、下方に避難できた12名を除くトンネル内の乗員・乗客の全員が犠牲となった。
ケーブルカーは廃止されリフトに転換。国内でも国が全鉄道事業者に安全点検を指示。中学生を含む日本人に多数の犠牲者が出たため、事故は国内でも大きく報道された。事業者の役員16名が刑事裁判にかけられたが最高裁で全員が無罪判決。オーストリア政府からの総額1340万ユーロ(約22億円、一人あたり約1400万円)の損害賠償提案を日本人遺族は拒否していたが、2008年に受け入れた。
※2008年9月補訂:事故後の内容を反映現地時間2000年10月17日(火)12時23分頃、イギリス・ロンドン近郊のハットフィールド駅付近で、ロンドン・キングスクロス発東海岸本線経由リーズ行特急列車(機関車1両・客車8両・ビュッフェ1両・車運車1両の11両編成)が脱線した。
線路の老朽化によるレールのきしみ割れ。その遠因として、1994年に英国国鉄が分割民営化で25の列車運営部門と3の車両リース部門と、線路や信号など鉄道施設の保守管理を一手に引き受けるレールトラック社に分割され、その株価上昇利益追求路線により線路の保守がおろそかになったと指摘される。
信用を失ったレールトラック社は2001年10月7日に経営破綻し実質的再国有化。事故後に全国1850箇所で発覚した線路破損の応急修繕によるダイヤの乱れも加わり鉄道の安全と正確さへの信頼が失われ、鉄道利用者が減少した。また、その後のレールの維持管理の研究を促しているほか、欧州その他の鉄道事業の上下分離施策におけるインフラ担当事業者の公的主体化も促しているように見える。
※2012年3月補訂:影響の内容を増量2000(平成12)年9月11日(月)から12日(火)にかけて、東海旅客鉄道の東海道新幹線が断続的に不通、列車が最大で約22時間遅れ、多数の乗客が列車内に閉じ込められた。
後に東海豪雨と名付けられる大雨により、変電所が浸水したり雨量規制で運行停止をかけたため、天候の回復を見込み、通常通りに列車を発車させたことで、結果的に多くの列車を駅でない場所に立ち往生させた。
治水事業で初めて東海道新幹線の橋りょうが架け替えられる。運行管理に関してはとくにない模様で、今後も同様の災難が懸念される。
2000(平成12)年3月8日(水)9時1分頃、東京都の帝都高速度交通営団日比谷線中目黒・恵比寿間で、北千住発菊名行列車(営団03系電車8両編成)の最後尾車両の前部が脱線、隣の線路を走行中の中目黒発竹の塚行電車(東武20000系電車8両編成)の中間車2両にかすり1両に衝突した。
事故直後には不明とされたが、後の研究で車両の左右の車輪にかかる重さ(輪重)のアンバランス、レールと車輪の摩擦の増大、線路の保守で削ったレールの形状、急曲線・S字カーブ・急勾配区間での低速運転など、多数の要因が働いた「乗り上がり脱線」とされた。
全国の鉄道事業者は脱線防止ガードの設置基準を厳しくした。事故原因の究明後に運輸省は、鉄道会社に車両の輪重の差を10%以内に抑えるよう指示、「推定脱線係数比」という新概念が発明された。この事故が起きてようやく、事故原因の究明と防止を目的とした運輸省の調査と、責任の所在の把握と関係者の起訴を目的にした警察の捜査のバッティング、そして軽微な事故を事業者が恥として隠し他社に教訓が生かされない現状が鉄道事故についても指摘され、2001年10月の航空・鉄道事故調査委員会の創設につながった。帝都高速度交通営団は2004年4月から東京地下鉄、航空・鉄道事故調査委員会は2008年10月から運輸安全委員会。