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第3回鉄道テーマ検定1級試験 解答と解説

2014年3月9日(日)に実施された「第3回鉄道テーマ検定」1級試験の非公式な解答と解説です。解答は3月19日に鉄道テーマ検定の公式サイト(http://www.kentei-uketsuke.com/tetsudo/)で公開されたものが3月26日に変更されたもの(http://www.kentei-uketsuke.com/tetsudo/dl/answer_03_a_20140326.pdf)とひとつだけ一致していませんが、両論は併記しています。

当ページの内容は日本鉄道テーマ検定実行委員会、日本出版販売その他関係各社の公式なものではありません。また、解説の内容は厳密さや正確さよりもむしろ、制限時間中に素早く正答を発見する観点で書いています。

改訂履歴
  • 2014年3月11日 速報(問1〜60)を公開
  • 2014年3月22日 公開
  • 2014年4月22日 公式解答の訂正を反映
  • 問1 解答2番

    【内容】「ゆうづる」7往復運転時に客車は何往復だったか。
    【解説】1975年3月ダイヤ改正から1980年10月ダイヤ改正まで、上野〜青森の寝台特急「ゆうづる」は実に一日7往復も設定された。うち電車寝台の583系が3往復、客車寝台の20〜24〜14系が4往復。前者は上野〜青森をひたすら飛ばして北海道連絡に徹し、後者は北東北の主要駅を分担して沿線の利用にも対応した。

    問2 解答2番

    【内容】20系客車のパンタグラフ付き電源車はどれか。
    【解説】1960年に「はやぶさ」向けに製造されたカニ22は、ディーゼル発電機に加えて電動発電機とパンタグラフを備え、直流電化区間では架線から電力を編成へ供給できた。しかしこれでとても重くなったことと、直流電化区間でしか役に立たないことで、1968年までに電動発電機が撤去され、普通のタイプの電源車となった失敗作。

     マニ20は20系客車で最初の、カニ21は荷物室を拡大した2番目の、普通の電源車。マヤ20は「みずほ」付属編成の単独運転時の電源を確保するために、旧型客車にディーゼル発電機を積んで20系に編入した変わり者。

    問3 解答2番

    【内容】ブルートレインを牽引したことがない機関車はどれか。
    【解説】EF61形には500番台がない。EF58形は青大将も1960年頃に運用の都合で「あさかぜ」などを牽くことがあったらしい。C57は長崎で20系「さくら」を牽引。EF64形0番台は2009年の上越での「あけぼの」牽引が記憶が新しい。

    問4 解答2番

    【内容】九州内での特徴的なヘッドマークの呼び名はどれか。
    【解説】「お椀型ヘッドマーク」といろんな資料に書かれている。中華鍋と呼ばれることもある。九州の赤い電機が、正面から見れば円形だが横から見れば中央が盛り上がっているヘッドマークを付けて走った。そのいくつかは実物を九州鉄道記念館で見ることができる。

    問5 解答1番

    【内容】「北斗星」の車両の受け持ちはどれか。
    【解説】1〜6号車のソロ、デュエット、Bコンパート、ロビーなどがJR北海道(札幌運転所)、7〜11号車の食堂車、ロイヤル、ツインデラックスなどと電源車がJR東日本(尾久車両センター)。従前は両者が編成ごと分担して受け持っていたが、2008年3月ダイヤ改正で現在の1往復に削減されてから、こうなった。

    問6 解答4番

    【内容】「夢空間」の内装の担当はどれか。
    【解説】オロネ25 901「デラックススリーパー」は高島屋、オハフ25 901「ラウンジカー」は松屋、オシ25 901「ダイニングカー」は東急百貨店の担当。そんな細かいことはとっくに忘れていたが、たしか東急と高島屋があったな、とまで思い出して正解を取れた。

     これらの客車3両は、1989年に現在のみなとみらい地区で「横浜博覧会」が開催された時、桜木町の駅前で三角形に並べて展示していた。これが後に営業運転を開始、時刻表に掲載される臨時列車としても、他の寝台客車と編成を組んでJR東日本、JR北海道、JR西日本の路線を駆けた。現在はららぽーと新三郷でラウンジカーとダイニングカーが、東京都江東区内でデラックススリーパーが、それぞれ静置されている。

    問7 解答2番

    【内容】24系客車が得た賞はどれか。
    【解説】1975年の鉄道友の会「ローレル賞」を受賞。黒部峡谷鉄道EH形電気機関車も同時に受賞。その年のブルーリボン賞は「該当車なし」であった。イギリス・ワトフォード会議「ブルネル賞」は1985年に始まり1989年から日本もその対象になったもので、鉄道友の会「エバーグリーン賞」は1984年の創設で、いずれも24系客車とは今のところ縁がない。

    問8 解答2番

    【内容】よんさんとお生まれのブルートレインはどれか。
    【解説】1968年10月ダイヤ改正で急行「日本海」を「きたぐに」に改称し、20系客車の寝台特急「日本海」が誕生した。運転区間はいずれも大阪〜青森。「はくつる」は1964年10月、「あけぼの」は1970年10月、「北陸」は1975年3月に、それぞれいわゆるブルートレインになった。

    問9 解答2番

    【内容】「明星」7往復運転時に電車は何往復だったか。
    【解説】1975年3月ダイヤ改正で7往復化された「明星」は、電車が3往復、客車が4往復。問1の「ゆうづる」と異なり、電車と客車で列車時刻上の性格を分けることはなかった。新大阪〜熊本の客車1往復は筑豊本線経由、新大阪〜西鹿児島の客車1往復は14系座席車での季節列車。同時に「なは」が昼行電車から夜行寝台電車に変更されて新大阪〜西鹿児島で1往復した。この体制は1978年10月ダイヤ改正で4往復に減るまで続いた。

    問10 解答4番

    【内容】「あかつき」7往復運転時に客車は何往復だったか。
    【解説】「あかつき」は1974年4月から1975年3月の7往復の時代も含め、デビューから廃止まで一貫して寝台客車での運転であった。だから7往復すべてが客車。20系が1往復、14系が3往復、24系が1往復、24系25形が2往復。

    問11 解答3番

    【内容】1988年4月時点での東京の発車順はどれか。
    【解説】当時は1レ「さくら」が16時40分発、3レ「はやぶさ」が17時05分発、5レ「みずほ」が18時05分発、7レ「富士」が18時20分発、9レ「あさかぜ1号」が19時05分発だった。ブルートレインブームの頃も、16時30分、16時45分、17時00分…と発車時刻こそ異なるが順番は同じだったので、中高年の受検者であれば取りやすかったと思う。

    問12 解答4番

    【内容】「トワイライトエクスプレス」の運転日はどれか。
    【解説】毎日運転でない期間の運転日は、大阪発が月・水・金・土曜日、札幌発が火・木・土・日曜日である。週4日運転で、ベースの大阪で金曜発がないことはないだろう、で正解。それ以外の日もだいたい、団体専用列車として走っているとも聞く。

    問13 解答1番

    【内容】短命な寝台特急はどれか。
    【解説】東京〜米子の寝台特急としての「いなば」は1975年3月生まれ、1978年10月ダイヤ改正で「出雲」に吸収され廃止。東京〜紀伊勝浦の寝台特急としての「紀伊」も1975年3月生まれ、利用不振で1984年2月ダイヤ改正で廃止。上野〜青森の寝台特急としての「北星」も1975年3月生まれ、東北新幹線本格開業の1982年11月ダイヤ改正で廃止。上野〜青森の寝台特急としての「鳥海」は山形新幹線工事に伴い1990年9月生まれ、秋田新幹線開業の1997年3月に「あけぼの」となり廃止。ということで「いなば」が正解。といってもこのとおり発展的解消であったから、他の3列車のような悲壮感はない。

    問14 解答3番

    【内容】「ゆうづる」ヘッドマークをデザインしたのは誰か。
    【解説】これもまた黒岩保美氏の作品。島秀雄氏や星晃氏は国鉄車両の設計者。西尾克三郎氏は鉄道写真家。

    ※2014/3/21訂正:誤記の訂正(解答は4番でなく3番)

    問15 解答4番

    【内容】星印で寝台車を区別したのはいつからか。
    【解説】「2段ハネ」な24系25形客車の登場時、そして運賃値上げや航空の発展や車社会化で国鉄の中長距離客が減っていた頃、B寝台の客車3段式は「★」、電車3段式は「★★」、客車2段式は「★★★」と、デッキの乗降扉の上に表示し始めた。1984年7月に「さくら」でデビューした4人用B寝台個室「カルテット」は「★★★★」。1987年3月に「あさかぜ」で2人用B寝台個室「デュエット」がデビューするなど、以後の寝台個室の増殖にはついていかなかった。

    問16 解答1番

    【内容】最長距離を走った寝台特急はどれか。
    【解説】1965年10月の延伸から1980年10月ダイヤ改正での宮崎打ち切りまで、東京と西鹿児島を日豊線経由で結んだ「富士」の1574.2kmが歴史に燦然と輝く。以後は同じ駅間を鹿児島線経由で結んだ「はやぶさ」の1515.3kmが継いだ。「トワイライトエクスプレス」は1508.5kmでこれらにちょっと足りない。1級の受検者が「みずほ」にマークをすることはないだろう。

    問17 解答4番

    【内容】20系客車の正しい説明はどれか。
    【解説】今では信じがたいが、乗降扉は自動でも半自動でもなく、手で開けて手で閉める手動である。110km/h対応は1968年10月ダイヤ改正に向けてブレーキを改造した後のこと。食堂車のテーブルが跳ね上げ式になったのは1968年以降に製造した車両だけ。車体そのものの設計は「軽量客車」と呼ばれる10系客車を基本にしたという。

    問18 解答1番

    【内容】14系寝台客車が得た賞はどれか。
    【解説】1972年の鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞。その年のローレル賞は営団6000系電車。鉄道友の会「エバーグリーン賞」は1984年の創設で、通産省「グッドデザイン賞」を鉄道車両が初めて受賞したのは1986年度の近鉄7000系であり、いずれも14系寝台客車とは今のところ縁がない。

    問19 解答2番

    【内容】285系のMT比はどれか。
    【解説】2M5Tが正解。「ソロ」の3(10)号車と「ノビノビ座席」の5(12)号車がモハネであり、他はすべて付随車。220KWの誘導電動機を1両あたり4台積んで、伯備線の勾配や曲線も駆ける。

    問20 解答2番

    【内容】EF60 501の保存場所はどこか。
    【解説】碓氷峠鉄道文化むらに置いてある。大宮総合車両センターにいるのは510号機、足利駅前にいるのは123号機、宮原総合運転所にいた503号機は解体されてしまった。

    問21 全員正解

    【内容】20系、14系、24系、583系のすべてを使った寝台特急はどれか。
    【解説】「彗星」は1968年10月に20系客車の1往復で生まれ、1972年3月に増発し2往復、1973年10月ダイヤ改正で1往復を14系客車に置き換え、24系寝台客車で2往復を増発、1974年4月には24系25形で1往復の増発し、20系で残る1往復を24系で置き換え、1975年3月には583系の2往復と24系25形の1往復に整理した。ここまで設問のすべてを使用。

     寝台特急「なは」は1975年3月に583系で生まれ、1984年2月に24系25形へ変更、車両形式としてはそのまま2009年3月の廃止まで過ごした。「あかつき」は問10のとおり583系を使わなかった。

     「明星」は1968年10月に583系電車でデビュー、電車で増発を重ね、問9の7往復化の際に14系(寝台客車も座席の客車も)と24系25形が進出、あとは14系が14系15形に置き換わったくらいで、1986年11月ダイヤ改正で廃止されたため20系が未登場。しかしその後の臨時列車としての運転では20系が使われたため、これもすべて使っている。1988年8月の上り列車で52cm幅3段寝台の狭さに耐えきれず、岡山で降りて新幹線に乗り換えたことが、私にとって最初で最後の20系。当時の「九州往復割引きっぷ」は任意の駅で新幹線と寝台特急を乗り継いで利用できた。

     ということで本来の正解は1番と2番。公式な解答は「2(彗星)」であったが、後に全員正解に変更された。

    ※2014/4/22訂正:公式解答の訂正(2番→全員)を反映

    問22 解答3番

    【内容】1964年3月から1965年9月までの「あさかぜ」の1等車は何両か。
    【解説】当時の時刻表によると、1号車が1等寝台A、2号車がAとB、3〜6号車がB、7号車が1等車(座席車)で、7両の1等車が付いていた。8号車が食堂車、9〜13号車が2等寝台車、14号車が2等車(座席車)。ネット上ではなぜか6、7、8両の諸説がある。

    問23 解答2番

    【内容】20系のテールマークの下地の色はどれか。
    【解説】20系の当初のテールマークは、みずほが青っぽく、はやぶさが黄色っぽく、さくらが桜っぽい地色だった。

    問24 解答3番

    【内容】2009年の下り「富士」「はやぶさ」でリネン解体の作業員が乗っていた区間はどこか。
    【解説】そのような業務資料を見たことがないが、下松から先がヒルネ(寝台券を要さず立席特急券で乗れる)の区間であったため、そこまでに寝台の座席への転換、というか下段のリネンを上段に投げ込む必要があったのではないかと思い、1番の広島→下松を選択した。

     公式な解答では「3(下松→宇部)」を正解としている。客を通路の折りたたみイスに座らせたままでの作業は大変かつ失礼だと思うし、リネンを上段に投げ込むだけの作業を少数の客の前でやっても問題なかったのかもしれない。

    ※2014/3/21訂正:解答の訂正(解答は1番でなく3番)

    問25 解答3番

    【内容】2009年の下り「富士」「はやぶさ」の車内販売営業区間はどこか。
    【解説】徳山〜博多が正しい。そんな廃止間近な頃は、柳井でかつての駅弁屋の幕の内弁当が積み込まれ、徳山でここの駅弁と飲み物やおつまみなどを持った係員がワゴンごと乗り込み、すでに待ち行列を作る鉄道ファンの客をさばいていた。

    問26 解答2番

    【内容】最後の上り「あさかぜ」の牽引機はどれか。
    【解説】EF66の46号機が2005年2月28日発、3月1日着の最後の上り「あさかぜ」を牽いた。42号機は最後の上り「富士・はやぶさ」を、51号機は最後の下り「さくら・はやぶさ」を、53号機は最後の下り「富士・はやぶさ」を、それぞれ牽引したという。

    問27 解答3番

    【内容】1988年4月時点でのJR東日本持ちのブルートレインはどれか。
    【解説】「さくら」「みずほ」は基本編成がJR九州で、付属編成がJR東日本。「はやぶさ」「富士」はJR九州。「あさかぜ」は1・4号がJR東日本で、3・2号と「瀬戸」がJR西日本。「出雲」は1・4号がJR東日本で、3・2号がJR西日本。ということでJR東日本持ちは列車愛称ベースでは「さくら」「みずほ」「あさかぜ」「出雲」となる。

    問28 解答2番

    【内容】JRの「出雲」の食堂車の連結区間はどれか。
    【解説】「出雲1・4号」は、シングルデラックスを含む基本編成が東京〜浜田、食堂車を含む付属編成が東京〜出雲市。出雲市打ち切りの後に米子回転車ができた時にも、営業休止と売店営業を経てフリースペースになったオシ24は出雲市発着の編成に入れていた。「出雲3・2号」には食堂車がなかった。

    問29 解答1番

    【内容】JR化後も客車3段式B寝台を連結した列車はどれか。
    【解説】国鉄時代に2段ハネ化が完了した「出雲」であったが、1985年の阪急と西鉄の「ムーンライト」の成功で全国各地に広がった高速夜行バスに対抗するため、例えば1988年12月運転開始の渋谷駅〜松江駅〜出雲市駅の「スサノオ号」対策として、1989年に「出雲3・2号」の14系1両を3段式に改造、東京往復で2万円ちょっとの「出雲B3きっぷ」を同年3月から売り出した。「あけぼの」は「はくつる」と共に2002年1月から「ゴロンとシート」を導入。「瀬戸」と「日本海」は何もしなかった。

    問30 解答2番

    【内容】1993年12月ダイヤ改正で廃止された列車はどれか。
    【解説】JR東日本のみのダイヤ改正で、「ゆうづる」「出羽」と急行「八甲田」「津軽」を廃止した。一方で「はくつる」は2往復化。「みずほ」「あさかぜ1・4号」「つるぎ」の廃止は1994年12月、「鳥海」の廃止は1997年3月。

    問31 解答2番?

    【内容】2008年3月ダイヤ改正での「はやぶさ」の運転停車駅はどれか。
    【解説】これも資料や出典を知らないが、下り列車は米原・姫路・岡山・福間で運転停車をしていたという。しかし設問では「下り」と明記していないため、上りが止まり乗車も下車もできた岡山がすべての選択肢に入っている時点で、正解がないとも言える。

    問32 解答2番

    【内容】2008年3月ダイヤ改正での「富士・はやぶさ」の東京駅入線時刻ははどれか。
    【解説】17時21分と時刻表にも載っていたが、そんな細かいことを覚えているかどうか。

    問33 解答2番

    【内容】「はやぶさ」が西鹿児島行になったのはいつか。
    【解説】1960年7月に「はやぶさ」は、20系客車に置き換えられるとともに、終着駅を鹿児島から西鹿児島に変更した。「サン・ロク・トオ」では雑型不定期で「みずほ」がデビュー、1964年7月の山陽本線全線電化では変わりなかったが、10月のダイヤ改正でC62が撤退しEF60で東京〜下関を通した。「ヨン・サン・トオ」では博多回転の車が長崎発着になった。

    問34 解答1番

    【内容】「あさかぜ」の次に20系客車化した列車はどれか。
    【解説】1958年10月の「あさかぜ」に次いで、1959年7月には「平和」を20系化し「さくら」に改称した。「はやぶさ」は前問のとおり1960年7月に、「みずほ」は1963年6月に、それぞれ20系になった。「富士」は1964年10月の寝台特急化から20系を使用。

    問35 解答4番

    【内容】初めて「ソロ」が付いた列車はどれか。
    【解説】青函トンネルが開通した1988年3月のダイヤ改正でデビューした「北斗星」は、初めて「ソロ」を付けた列車でもある。「はやぶさ」と「北陸」は1989年3月に連結。「あさかぜ」にソロは付かなかった。

    問36 解答3番

    【内容】食堂車営業を先にやめた列車はどれか。
    【解説】1991年6月に「みずほ」「出雲1・4号」の食堂車が営業終了。1993年3月に「あさかぜ1・4号」を含む九州ブルトレの食堂車が一斉に廃業した。「あさかぜ3・2号」には24系25形になった時点から食堂車が付いていない。

    問37 解答4番

    【内容】JR発足時の「富士」の運転区間はどれか。
    【解説】「富士」は1980年10月ダイヤ改正で宮崎打ち切りとなり、1990年3月に南宮崎まで1駅のび、1997年11月に大分打ち切りとなった。つまり1987年4月のJRグループ発足時点での運転区間は、東京〜宮崎。都城で折り返していたのは「彗星」のほうである。

    問38 解答2番

    【内容】「富士」のEF66牽引化と同時の出来事はどれか。
    【解説】「富士」を含めた九州ブルトレの東京〜下関の牽引機がEF65からEF66に変更されたのは、1985年3月ダイヤ改正。この時に「富士」ではヘッドマークを丸型から富士山型に変更した。ロビーカーの連結は1986年11月、カルテットの連結は1986年3〜10月、前問のとおり「運行区間が南宮崎までに短縮された」という事実はない。

    ※2014/3/21訂正:誤記の訂正(解答は3番でなく2番)

    問39 解答4番

    【内容】JR化後の「さくら」佐世保編成と長崎編成の分割併合駅はどこか。
    【解説】肥前山口が正解。佐賀ということはない。鳥栖は「さくら・はやぶさ」時代の分割・併合駅。博多も分割・併合をするような駅ではない。

    問40 解答3番

    【内容】2008年3月ダイヤ改正時点での下り「はやぶさ」の運転士の交替は何回か。
    【解説】そんな業務用資料はどこで見ることができるのだろうか。公式な解答では「3(10回)」を正解としている。

    問41 解答3番

    【内容】1960年6月ダイヤ改正時点での「第2つばめ」と「さくら」の大阪での到着時間差は何分か。
    【解説】第2つばめの大阪着は23時00分、さくらは23時48分。ということで約45分が正解。「つばめ」はともかく、「さくら」の途中停車駅の時刻まで、誰が覚えているものかと思う。

    問42 解答4番

    【内容】「日本海」が特急格上げで短縮した時間はどれくらいか。
    【解説】大阪〜青森の所要時間は、よんさんとおでの寝台特急「日本海」は16時間くらい、前年の急行「日本海」は22時間くらい。実に約6時間ものスピードアップを実現した。

    問43 解答4番

    【内容】14系寝台客車を初めて使った寝台特急列車はどれか。
    【解説】14系寝台客車は1972年3月ダイヤ改正で「さくら」「みずほ」「あさかぜ3・2号」でデビュー。しかしオハネ14とスハネフ14は1971年10月から急行「瀬戸2・1号」で、そして同年の年末年始に臨時列車の寝台特急「はくつる51号」「ゆうづる52号」で、それぞれ先行的に使用されている。

     設問に「実用試験・臨時列車を含む」とあるため、正解は「はくつる」か「ゆうづる」。前者は12月30日、後者は1月3日の運転だったそうなので、「はくつる」が正解。「ゆうづる」は1978年10月ダイヤ改正から1980年10月ダイヤ改正まで1往復が14系。特急の「瀬戸」や定期の「はくつる」は14系になることがなかった。

    ※2014/3/21訂正:解答の訂正(1番→4番)と解説文の書き直し

    問44 解答4番

    【内容】現時点で「トワイライトエクスプレス」のディナーコースの値段はいくらか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、12,000円。7,800円は「北斗星」や「カシオペア」でのお値段。

    問45 解答3番

    【内容】現時点で「カシオペア」食堂車のモーニングタイムは何時からか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、6時30分から。「北斗星」も同じ。「トワイライトエクスプレス」では6時00分から。

    問46 解答4番

    【内容】現時点で「トワイライトエクスプレス」のディナー券の払いもどし手数料はいくらか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、5,600円と200円の手数料を取る。つまり5,800円。

    問47 解答2番

    【内容】現時点で「トワイライトエクスプレス」のディナー券の発売箇所でないところはどこか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、「トワイライトエクスプレス」のディナー券は、JR北海道・JR東日本・JR西日本・JR九州の「みどりの窓口」と旅行センター及び主な旅行会社で発売。つまりJR東海のみどりの窓口では買えない。

    問48 全員正解

    【内容】登場時から20系を使った列車はどれか。
    【解説】問34のとおり「富士」が、1964年10月の寝台特急デビュー時から20系客車を使用。「みずほ」「はやぶさ」「さくら」はいずれも雑型の時代がある。ということで解答は2番(富士)だと思ったが、公式サイトでは1929年に特別急行列車へ列車愛称を付けた時点での「富士」や「櫻」は寝台特急と定義されていた、そうでなければ「さくら」は寝台特急になった当初から20系だった、という不思議な理屈を付けて、全員を正解とした。

    ※2014/3/21訂正:解答の訂正(2番→全員)

    問49 解答1番

    【内容】1961年10月ダイヤ改正時点での「さくら」の説明で間違いはどれか。
    【解説】さんろくとおの時刻表が見当たらず、公式ガイドに記述がないため、どれが正解か分からない。公式な解答は1番(東京〜三原でEF58牽引)としている。

    ※2014/3/21訂正:解答の訂正(不明→1番)

    問50 解答2番

    【内容】1965年10月ダイヤ改正で行われていないものはどれか。
    【解説】寝台特急の110km/h運転は「よんさんとお」1968年10月ダイヤ改正のとき。「さくら」早岐〜佐世保でのC11登板、「ゆうづる」の新設はこのとき。EF58が各地から宇都宮へ集められたのも、この頃らしい。

    問51 解答4番

    【内容】関西発着の九州ブルトレがEF65牽引からEF58牽引に変わったのはいつか。
    【解説】1972年10月ダイヤ改正のこと。EF58の紹介に特化した資料には書かれていると思うが、寝台特急の増発で高速旅客列車向けの電気機関車が不足していたため、旧型だがパワーのあるEF58をすこし改造して投入、ゴハチの特急への返り咲きと当時のファンが喜んだ。

    ※2014/3/21訂正:誤記の訂正(解答は2番でなく4番)

    問52 全員正解

    【内容】24系24形に関する説明で誤りはどれか。
    【解説】24形の製造は2回ではなく1973年の1回だけであり、以後は2段ハネの25形の製造となった。それでも118両もの製造であった。また、その1回でオロネ24が9両、オシ24が5両製造されている。これらは向日町運転所に配置されて寝台特急「あかつき」「彗星」で使用された。誤りな選択肢が3つもあるので、「誤っているもの」ではなく「正しいもの」を選ぶ設問だったのではないかと思った。公式にも上記のとおりだったようで、全員を正解とした。

    ※2014/3/21訂正:解答の訂正(1・2・3番→全員)

    問53 解答3番

    【内容】1988年の「北斗星」登場当初に、JR北海道の編成にありJR東日本の編成になかった設備はどれか。
    【解説】JR北海道の1・2号には「デュエット」があり、JR北海道の5・6号にはなかった。翌1989年にJR東日本も「ロイヤル」と「デュエット」の合造車であるオロハネ24形550番台を改造で生み、3〜6号に連結した。目玉の「ロイヤル」と国鉄時代に改造済の「ツインデラックス」は最初からどちらにもある。「スイート」を設けたことはない(臨時の「夢空間」での「エクセレントスイート」を除く)。

    問54 解答3番

    【内容】2002年夏以降の「はくつる」に関する説明で誤りはどれか。
    【解説】上りの青森〜八戸ではB寝台に立席特急券ではなく指定席特急券で乗車できた。これに限らず始発側の夕方のヒルネには指定席特急券、終着側の朝のヒルネは立席特急券を売った。夏臨「はくつる」が583系12両編成で運転されたり、その夏はゴロンとシートがB寝台に戻ったりもした。シングルデラックスとB寝台2両とゴロンとシートは禁煙車でなかった。

    問55 解答2番

    【内容】「あかつき」の「レガートシート」の座席数はいくつか。
    【解説】レガートシートは1号車のオハ15形300番台。4Bと11Bがない1A〜11Cの席番で、定員は31名。1〜4列は女性専用シートであり、その先の車端には女性専用の化粧室と洗面台があった。当時に隆盛の高速バスに対抗したものだが、以後の展開が何もないまま、2008年3月に列車の廃止を迎えた。

    問56 解答4番

    【内容】2003年8月当時の「夢空間」エクセレントスイートの寝台料金はどれか。
    【解説】エクセレントスイートのA寝台料金は1人あたり33,640円。2人用個室なので、発売額はその倍の67,280円。車両は2008年3月で引退したが、現行の旅客営業規則にはこの料金がまだ残っている。

    問57 全員正解

    【内容】20系「あさかぜ」登場時に関する説明で誤りはどれか。
    【解説】20系の日本車輌と日立との競作、「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」の順での20系の投入は正しい。当時の牽引機は東海道〜山陽本線の電化区間がEF58、非電化区間がC62、関門間がEF30、鹿児島本線がC59であり、C59形での牽引は広島〜下関ではなく門司〜博多。松本清張「点と線」の舞台になったが、連載小説として雑誌「旅」の1957年2月号から1958年1月号で発表された時点では、1958年10月の20系デビューの以前であり雑型の時代。ということで正解は2番と4番。公式な解答は4番(点と線)であったが、後に全員正解に変更された。

    ※2014/3/21訂正:解答の疑義を追記
    ※2014/4/22訂正:公式解答の訂正(4番→全員)を反映

    問58 解答4番

    【内容】現時点で「カシオペア」のディナー予約券(フランス料理コース)の払いもどし手数料はいくらか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、半額と200円の手数料を取る。つまり7,800÷2+200=4,100円。

    問59 解答2番

    【内容】1993〜1995年の「出雲」の伯備線への迂回運転の理由はどれか。
    【解説】山陰本線の園部〜福知山の電化・高速化工事に伴うもの。選択肢では「園部〜綾部」だが、だいたいあっている。京都〜園部は高速化とは言わないが国鉄末期に電化と複線化に着手し、1988年3月に路線愛称「嵯峨野線」付与、1989年3月の保津峡の新線、1990年3月の電化、2010年3月の全線複線化という具合に変貌。福知山〜豊岡は1986年11月ダイヤ改正で福知山線と共に電化されたが、高速化はしていない。餘部橋梁の塗り替えごときで運休や迂回になったらたまらない。

    問60 解答4番

    【内容】「北斗星」に関する説明で誤りはどれか。
    【解説】1988年3月ダイヤ改正での「北斗星」の登場当時、1号の函館〜札幌に設定されたヒルネに乗客が殺到、すぐに1両(以上?)の寝台券を函館までの販売にしたり、函館〜札幌で座席車スハフ14を増結してしのいだ。「北斗星」登場時は道内を牽引した空知のDD51はすべて原色であり、その夏頃から今のように青く塗り替えられ始めた。また、当時の「北斗星1号」は水沢に停車した。「エルム」が上野駅の高架ホームに来たかどうかは知らない。

    問61 解答2番

    【内容】「夢空間TAP山陰路」の運行経路はどれか。
    【解説】1992年4月3日(下り)5日(上り)の1往復だけ運転された臨時列車「夢空間TAP山陰路」は、上野から清水峠を越えて長岡、北陸を進み敦賀、小浜線と舞鶴線を経由し綾部、あとは山陰線で出雲市、という経路で運転された。当時でもあり得ないルートで運行する夢のような列車であったが、今見ればああJR東海が管内への乗り入れを拒否したんだなと勘ぐってしまう。昔は夢があったのではなく、昔はなんにでも夢を覚えたものだ。

    問62 解答4番

    【内容】博多〜西鹿児島の臨時寝台特急の列車愛称はどれか。
    【解説】国鉄分割民営化の前後、夜行急行「かいもん」の多客臨は、485系電車特急の「有明」と、なんと24系寝台特急の「桜島」であった。1993年3月のダイヤ改正で787系「ドリームつばめ」に格上げされる頃には、もう運転されていない。「西海」は昭和30年代に東京と佐世保を、後にごおさんとおまで新大阪と佐世保を結んだ夜行急行、「霧島」は昭和30〜40年代に日豊線経由の「高千穂」と共に東京と鹿児島県を鹿児島線経由で結んだ夜行急行や、後に「なは」の多客臨として走った新大阪〜西鹿児島の臨時寝台急行。

    問63 解答3番

    【内容】2009年廃止時点での下り「はやぶさ」のヒルネ区間はどこか。
    【解説】問24のとおり、下りのヒルネは6:45の下松から。

    問64 解答3番

    【内容】2012年廃止時点での下り「日本海」のヒルネ区間はどこか。
    【解説】下り「日本海」のヒルネは6:28の東能代から。秋田〜青森は上り「日本海」の、羽後本荘〜青森は当時の「あけぼの」のヒルネ区間。

    問65 解答3番

    【内容】寝台特急「日本海」の説明で間違いはどれか。
    【解説】日本海に連結したバイク輸送便は「MOTOトレイン」ではなく「日本海モトトレイン」改め「モトとレール」であった。前者は急行「八甲田」〜快速「海峡」につないだほう。よんさんとおデビューとEF81トワイライト色での牽引は事実。食堂車の連結計画はどこに書いてあったか忘れたが、国鉄分割民営化でJR西日本に割り当てて、後にトワイライトエクスプレス向けスシ24に改造したサシ481・489は、青函トンネル開業時に函館へ延伸する「日本海」に付けるためだったような。夜行急行「八甲田」の函館延伸も同時に実現するはずで、こちらは当時の運行計画にも明記されていたが、ついに実現することはなかった。

    問66 解答3番

    【内容】「トワイライトエクスプレス」のシャワーカードはいくらか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、310円。食堂車で利用時間を予約してカードを購入する。

    問67 解答1番

    【内容】現時点での下り「トワイライトエクスプレス」の大阪入線時間はいつか。
    【解説】時刻表に書いてあるとおり、11時11分。以前はもっと遅かった気がする。

    問68 解答1番

    【内容】サンライズの1人用A個室の名前はどれか。
    【解説】1級受検者なら簡単に「シングルデラックス」を選択できるはず。「ロイヤル」は1人用A寝台個室でも「北斗星」と「トワイライトエクスプレス」のほう、「ソロ」はサンライズエクスプレスでもB寝台の1人用個室、「スイート」は「トワイライトエクスプレス」のA寝台2人用個室。

    問69 解答3番

    【内容】サンライズの「ノビノビ座席」の定員はどれか。
    【解説】ノビノビ座席があるモハネ285形200(3200)番台の定員は28名。下段ないし1階に1A〜7B、上段ないし2階に1C〜7Dの席番が振られる。

    問70 解答1番

    【内容】「カシオペア」の食堂車はどこか。
    【解説】3号車が正解。1〜2号車に「カシオペアスイート」、3号車に食堂車、4〜11号車に「カシオペアツイン」、12号車にラウンジカー、というイメージでOK。

    問71 解答1番

    【内容】サンライズのJR東海での所属はどこか。
    【解説】285系のうちJR東海の3000番台2編成14両は大垣車両区の所属。しかしこれは名義上のもので、実態は0番台と共に製造当初から一貫してJR西日本の後藤総合車両所で一括して管理されている。神領には主に中央線の電車が、静岡には主に静岡エリアの電車が、名古屋には気動車がいる。

    問72 解答3番

    【内容】EF510形カシオペア色は何号機か。
    【解説】509・510号機が該当。他の500番台の13両は北斗星色で製造された。選択肢には紛らわしい番号が並んでいるため、知っていても間違えてしまいそう。

    問73 解答1番

    【内容】「彗星」廃止はいつか。
    【解説】「彗星」廃止は2005年10月ダイヤ改正のこと。航空や高速バスに加えて瀬戸内海のフェリーとの競合もあり、「なは」「明星」や「あかつき」と異なり歴史も編成も地味であり、他の有名な寝台特急が次々に消えていく中で、よくぞここまでもっていたものだと思った。2006年3月ダイヤ改正での廃止は「出雲」、2007年10月ダイヤ改正は北海道のみで「ライラック」と「スーパーホワイトアロー」を「スーパーカムイ」に統一、2008年3月ダイヤ改正での廃止は「なは」「あかつき」と急行「銀河」。

    問74 解答3番

    【内容】「北陸」のチェックアウトサービスで寝台を延長利用できたのは何時までか。
    【解説】9時まで使えたそうな。6時半頃に金沢へ到着した後、東金沢まで引き返して中線に留置され、車掌が客の指定時間に起こして、普通列車で金沢へ戻ってもらう、という仕組み。時刻表に掲載されないまま、他の列車へ広がることなく、知名度もほとんどないまま、ひっそり消えたそうな。鉄道ジャーナル1989年10月号の記事によると、車掌による弁当・サンドイッチ・新聞の車内販売があったとか。

    問75 解答3番

    【内容】「銀河」廃止当時の下りの停車駅はどれか。
    【解説】東京・品川・横浜・大船・小田原・熱海・静岡・岐阜・米原・大津・京都・新大阪・大阪が正解。小田原に止まったどうか、名古屋に止まったかどうかを思い出す設問。

    問76 解答1番

    【内容】2008年4月当時の下り「サンライズ出雲」の車内販売区間はどこか。
    【解説】岡山〜新見が該当。ミニサロンで弁当などを売っていたそうだが、2009年9月限りで廃止された。

    問77 解答1番

    【内容】2005年4月当時の上り「彗星」のヒルネ区間はどこか。
    【解説】「彗星」の上りのヒルネは南宮崎から延岡まで。都城発着の頃から延岡まで、指定席特急券ではなく立席特急券でヒルネができた。

    問78 解答3番

    【内容】ナシ20の日本車輌製造分のデザイナーの所属はどこか。
    【解説】日本車輌製造分は高島屋のデザイナーが、日立製作所製造分はフリーのデザイナーが、それぞれデザインを担当したという。

    問79 解答3番

    【内容】「夢空間」オロネ25 901の寝台個室の名前はどれか。
    【解説】オロネ25 901「デラックススリーパー」には、2人用A寝台個室「エクセレントスイート」が1室、「スーペリアツイン」が2室あった。問56のとおり、そのいずれの寝台料金も、現行の旅客営業規則に残ったままである。「スーペリアスイート」という組合せはない。「デラックススイート」は「ななつ星in九州」にある。「ロイヤルスイート」ではトワイライトエクスプレスで紛らわしそうだ。

    問80 解答2番

    【内容】20系の1人用個室の名前はどれか。
    【解説】ナロネ20とナロネ22の「ルーメット」は、後にオロネ25「シングルデラックス」が出現するまで、国鉄史上で唯一の1人用寝台個室であった。「ソロ」や「シングル」は1人用B寝台個室で、いずれも国鉄分割民営化後に登場したもの。「エクセレント」という寝台個室はない。

    問81 解答2番

    【内容】ナロネ20の定員は何人か。
    【解説】1人用個室「ルーメット」が10室、2人用個室「コンパートメント」が4室で、合計18名。14名はオロネ25「シングルデラックス」14室の定員、20名はサンライズや「北斗星」「北陸」のソロのみの車両の定員。

    問82 解答3番

    【内容】現時点での「北斗星」食堂車のパブタイムのラストオーダーは何時か。
    【解説】時刻表には営業終了時間の23:00しか書かれていないが、日本レストランエンタプライズの公式サイトにラストオーダー22:30と書かれている。「カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」も同じ。

    問83 解答3番

    【内容】「トワイライトエクスプレス」向けスシ24のうち元489は何両か。
    【解説】3両のスシ24のうち、元485系が1両、元489系が2両。

    問84 解答4番

    【内容】オシ24 704・705の内装はどれか。
    【解説】グレードアップ「あさかぜ」向けで国鉄最末期に改造して700番台になったオシ24は、701〜703を星空風にしたものの、車端部のラウンジ風ソファが使いにくかったということで、追加の704・705はオリエント風にして横3列化を踏襲しながらテーブル配置を元に戻した。これが主に「あさかぜ1・4号」で使われ、星空風は主に「出雲」へ回った。

    問85 解答2番

    【内容】1984年頃の20系急行「だいせん5号」の普通列車区間はどこからか。
    【解説】当時の「だいせん5号」大阪発大社行は、米子から快速列車。それ以前は大社線内のみ普通列車だったし、JRの夜行急行「だいせん」は客車時代も気動車時代も倉吉から快速列車だったし、ピンポイントで覚えていないと正解が取れない。

    問86 解答4番

    【内容】285系に絡んだハウスメーカーはどれか。
    【解説】ミサワホームが内装の設計・製造を担当した。そのため、同社の戸建住宅向け木素材「M−Wood」が多用されている。木粉と樹脂を混ぜて固めた、プラスティックのようで木のような素材。デビューから15年を経た「シングルデラックス」内の椅子の背もたれも、まるで木のように欠けたりハゲたり黒ずんだりしていた。

    問87 解答1番

    【内容】285系を製造していない車両メーカーはどれか。
    【解説】285系は近畿車輛が3編成21両、日本車輌製造が3000番台の1編成7両、川崎重工業が0番台の1編成7両を製造。東急車輌製造は製造していない。鋼製だからステンレスの東急が違うな、で正解。アルミの日立もノータッチ。

    問88 解答2番

    【内容】カシオペア色でないEF81はどれか。
    【解説】79、89、92号機はいずれもカシオペア色。83号機はそうではない。99号機も89号機の廃車によりカシオペア色になった。いずれも2011年度までに廃車済。

    問89 解答3番

    【内容】「彗星」の定期列車の運行区間でないのはどれか。
    【解説】知らないと意外かもしれないが、新大阪〜西鹿児島というものがない。2005年10月ダイヤ改正での廃止時点が京都〜南宮崎で、2000年3月ダイヤ改正で「あかつき」併結になる前が新大阪〜南宮崎、1995年4月ダイヤ改正で南宮崎打ち切りになる前は新大阪〜都城、昭和の複数往復時代に新大阪〜宮崎があった。

    問90 解答2番

    【内容】1964年10月ダイヤ改正で登場したブルートレインはどれか。
    【解説】「富士」と「はくつる」が登場。「ゆうづる」は問50のとおり翌1965年10月ダイヤ改正で、「あけぼの」は問8のとおり1970年10月ダイヤ改正で、「北星」は問13のとおり1975年3月ダイヤ改正で、それぞれブルートレイン(寝台特急)になった。

    問91 解答2番

    【内容】「はくつる」の前身はどれか。
    【解説】寝台特急「はくつる」は、1964年10月ダイヤ改正で上野〜青森の寝台急行「北上」の格上げで誕生。急行「北斗」は1965年10月デビューの「ゆうづる」の、「十和田」はその後の「ゆうづる」の増発分の、夜行急行「鳥海」は「出羽」の、それぞれ前身である。

    問92 解答3番

    【内容】「はくつる」が583系から24系になったのはいつか。
    【解説】これは1994年12月ダイヤ改正での出来事。

    問93 解答3番

    【内容】1970年当時の「あけぼの」の時刻表での無停車区間はどれか。
    【解説】大宮〜新庄でOK。1973年10月ダイヤ改正での増発分が大宮〜山形。もし上野〜大曲や宇都宮〜秋田をすっ飛ばせば、この列車の意義がなくなってしまいそう。宇都宮〜横手という時代はあった。

    問94 解答3番

    【内容】下り「カシオペア」初列車の牽引機はどれか。
    【解説】1999年7月16日の牽引機はEF81 89。北斗星とは違い、当時からちゃんとカシオペア色になっていた。

    問95 解答1番

    【内容】ナシ20の最終営業列車はどれか。
    【解説】やっぱり「あさかぜ」でしょう。1977年10月と1978年2月の2度に分けて、1往復ずつを24系25形へ置き換えた。

    問96 解答4番

    【内容】オシ24の最終営業列車でないものはどれか。
    【解説】1993年3月ダイヤ改正で九州ブルトレの、14系「さくら」と24系「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」の、食堂営業を一斉に打ち切って食堂車の車両を使用した売店営業に切り替えた。「出雲」はその前の1991年5月限りで売店営業に切り替えている。いずれも食堂車そのものは連結したまんま。

    問97 解答3番

    【内容】現時点で「北斗星」の食堂車は何号車か。
    【解説】問5のとおり、食堂車は7号車。

    問98 解答4番

    【内容】現時点で「北斗星」の禁煙車は何号車か。
    【解説】1号車のBコンパート、2号車のB寝台、7号車の食堂車が禁煙車。驚くべきことに個室はすべて喫煙可能である。ブルートレインはこんなところでも旧態が放置されている。「トワイライトエクスプレス」も禁煙車は食堂車、サロンカー、B寝台1両だけ。「カシオペア」も寝台の禁煙車は半分ちょっと。サンライズの喫煙車は7両編成でシングル1両のみと健闘。

    問99 解答3番

    【内容】「カシオペア」のミニロビーは何号車か。
    【解説】5号車と9号車にある。

    問100 解答3番

    【内容】EF65Pのブルトレ牽引期間はどれか。
    【解説】1978年7月から10月ダイヤ改正までにかけて、EF65形式の500番台(P形)から1000番台(PF形)への牽引機の変更が進められた。ブルートレインブームの渦中での出来事だから、当時のファンはよく覚えているはず。Pはパッセンジャー=旅客、Fはフレイト=貨物ということで、当時の機関車は旅客列車向けと貨物列車向けというジャンルが存在していた。500番台にはF形もあり、それぞれ17両ずつを製造。

    鉄道テーマ検定 解答と解説

    第1回「新幹線」3級 2012年5月13日実施

    第1回「新幹線」2級 2012年5月13日実施

    第2回「ブルートレインと現役寝台特急」3級 2012年12月16日実施

    第2回「ブルートレインと現役寝台特急」2級 2012年12月16日実施

    第2回「新幹線」1級 2012年12月16日実施

    第3回「在来線特急」3級 2014年3月9日実施

    第3回「在来線特急」2級 2014年3月9日実施

    第3回「ブルートレインと現役寝台特急」1級 2014年3月9日実施

    第4回「新幹線」3級 2015年9月6日実施

    第4回「新幹線」2級 2015年9月6日実施

    第4回「在来線特急」1級 2015年9月6日実施

     
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