ロビー(TOP)>奄美・沖縄の空弁
奄美・沖縄の空弁(21空港で47種類を収蔵) (
那覇空港、
種子島空港、
屋久島空港、
奄美空港、
喜界空港、
徳之島空港、
沖永良部空港、
与論空港、
粟国空港、
久米島空港、
慶良間空港、
南大東空港、
北大東空港、
伊江島空港、
宮古空港、
下地島空港、
多良間空港、
波照間空港、
与那国空港、
旧石垣空港、
新石垣空港)
那覇空港 2012年6月3日訪問
1933年に海軍の飛行場として開設、戦後に沖縄ともども米軍が占領。1972年の本土復帰に伴い返還され第二種空港に指定、現在は年間1千万人以上もの利用者数を誇り、拡張や改良が検討されている。空弁はブーム以前には皆無であったと思うが、空弁ブームと共に沖縄の個性を生かした特徴的な商品が搭乗待合室内の売店に多数投入され、人気と注目を集めている。
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那覇空港・豚の空弁(11種類収蔵)UP!(2020/1/2)
那覇空港・ファミリーマートの空弁(7種類収蔵)
那覇空港・その他の空弁(14種類収蔵)UP!(2020/1/2)
種子島空港(新種子島空港) 未訪問
2006年3月16日に鹿児島県管理の空港として開港。1962年開港の種子島空港をジェット化に伴い移転したものとも見える。新旧空港とも伊丹便と鹿児島便の設定。未訪問かつネットや書籍等での資料に乏しく、ターミナルビルの形態が分からないが、空弁の販売はないと思われる
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屋久島空港 未訪問
1963年に屋久島東側の海岸線で鹿児島県管理の空港として開港。鹿児島との間にプロペラ機が飛ぶ。未訪問かつネットや書籍等での資料に乏しく、ターミナルビルの形態が分からないが、空弁の販売はないと思われる
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奄美空港(奄美大島空港) 2018年6月4日訪問
1964年に奄美大島東端の海に面した丘陵地で鹿児島県管理の空港として開港。1988年にその沖の海上を埋め立てた現在地へ移転してジェット化。空弁は2005年の時点でターミナルビル内レストランにて販売されていた模様だが、現存しなかった。
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喜界島空港(喜界空港) 2018年6月4日訪問
戦前に喜界島の中心部近くで海軍の飛行場として開設、1968年に喜界町管理の空港として開港した。鹿児島便の他にわずか16マイル先の奄美空港へも定期便が飛ぶ。ターミナルビルに売店はあるが、空弁の販売はない。
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徳之島空港 未訪問
1962年に徳之島北西端の海岸沿いで東亜航空管理の空港として開港、1970年に鹿児島県へ移管し、1973年に第三種空港へ指定。2度の滑走路延長で1980年にジェット化された。ターミナルビルに売店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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沖永良部空港 2018年6月3日訪問
1969年に沖永良部島の東端の台地上で鹿児島県管理の空港として開港。ジェット化されていないため長らくYS−11型機が飛んでおり、2006年9月30日のラストフライトもここを飛んだ。ターミナルビルに売店と食堂はあるが、空弁の販売はない。
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与論空港 2018年6月3日訪問
1976年に与論島西端の海岸沿いで鹿児島県管理の空港として開港。ターミナルビルに売店と喫茶店はあるが、空弁の販売はない。
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粟国空港 2015年6月14日訪問
1978年に粟国島北東部の平地で沖縄県管理の空港として開港。長らく那覇へ定期便が飛んでいたが、2018年4月の休止以降は定期便がない。訪問時の仮設ターミナルに、空弁はなかった。
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久米島空港 2012年4月6日訪問
1963年にアメリカが久米島西端の海岸線に緊急着陸用飛行場を整備、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1997年にジェット化。那覇便の他に夏期には那覇経由の羽田便も飛ぶ。ターミナルビル内に売店や食堂はあるようだが、空弁らしい商品はない模様。
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久米島空港の空弁(1種類収蔵)
慶良間空港 2015年6月13日訪問
1982年に慶良間諸島の外地島のほぼ全体を使って民間企業が開設し、1992年に沖縄県管理の第三種空港に指定。那覇との定期便や不定期便が断続的に設定されていたが、利用の低迷により2006年3月で運休した。ターミナルビルは開放されていたが、中には何もなかった。
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南大東空港 2019年9月29日訪問
1934年に南大東島の中央部で海軍の飛行場として開設され、滑走路の延伸に伴い1997年に、約2km先の島東端へ移転した。那覇便と北大東便が飛んでおり、後者は過去に世界一短距離(約12km)の航空路線として紹介されたことがある。ターミナルビルの売店で大東寿司が販売されており、これを空弁とする収穫報告が見られる。
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南大東空港の空弁(1種類収蔵)UP!(2020/1/2)
北大東空港 2019年9月28日訪問
1971年にアメリカが北大東島東端の海岸線に緊急着陸用飛行場を整備、1978年に沖縄県管理の空港として供用開始。那覇便と南大東便が飛んでおり、後者は過去に世界一短距離(約12km)の航空路線として紹介されたことがある。かつてあったターミナルビルの売店とレストランは閉店し、空弁の販売はない。
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伊江島空港 2012年6月3日訪問
沖縄国際海洋博覧会の開催に伴い、戦前に陸軍が築造した滑走路のうち1本の跡地を利用して、1975年に伊江島の中央で沖縄県管理の空港として開港。しかしわずか1年半で定期便が撤退、現在はチャーター便も来なくなり、土日曜日のみの運用で年に十数回の着陸があるのみ。ターミナルビルは存在するが閉鎖されており、空弁など当然にない。
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宮古空港 2012年4月8日訪問
1943年に海軍の飛行場として開設、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1978年に暫定ジェット化のうえ、その5年後に滑走路を延長。年間100万人以上の利用者数は県内で那覇と石垣に次ぐ。ターミナルビル2階に複数の売店やレストランがあるようだが、空弁の販売はない模様。
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宮古空港の空弁(5種類収蔵)
下地島空港 2012年4月8日訪問
1979年に宮古島に近い伊良部島の西側に隣接する下地島で、パイロット訓練用の空港として開設。そのため3000mもの滑走路を備え、大型旅客機のタッチアンドゴーなどの特殊な飛行が見られるとあり、航空ファンの注目を集める。那覇へ1980年から1994年まで定期便が、2007年の3か月間だけ不定期便が飛んだことがある。ターミナルビルは業務用で、売店や空弁はないと思われる。
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多良間空港 2012年4月7日訪問
1971年にアメリカが多良間島南端の海岸付近に緊急着陸用飛行場を整備。2003年に島西端へ移転し沖縄県管理の空港として開港。ターミナルビル内に売店や食堂はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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波照間空港 2019年5月31日訪問
1972年にアメリカが波照間島の東端で緊急着陸用飛行場を整備、1976年に沖縄県管理の空港として移転開港。当時から石垣便のみが飛んでいたが、利用の低迷により2008年11月で定期便が運休。ターミナルビルは開いておらず、空弁の販売もない。
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与那国空港 2012年5月20日訪問
1943年に軍の飛行場として開設された日本最西端の空港。本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1999年に暫定ジェット化され、2007年に滑走路延長が完成している。ターミナルビル内に食堂と観光売店はあるが、空弁を含む惣菜の販売はない。
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旧石垣空港 2012年5月20日訪問
1943年に石垣島の市街地近くで海軍の飛行場として開設、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定。滑走路の延長が困難で、空港容量の慢性的な不足により古くから新空港の必要性が認識されながら、空港反対派が国内外の先鋭的な自然保護団体と組んだ激しい対立により計画が難航、2006年10月になってようやく新空港の工事が着手された。2013年3月の新空港の開港により閉鎖。訪問時はJAL側ターミナルビルの売店で手作り弁当の販売があり、その一部が空弁らしく見えた。
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旧石垣空港の空弁(5種類収蔵)
新石垣空港 2019年5月31日訪問
2013年3月に開港。石垣島以外から自然保護団体などの活動家を集めた新空港建設反対運動のため、約35年もの歳月を要した新空港の開港で、1500mの滑走路が2000mになり、那覇以遠からの直行便が飛べるようになり、利用者数が年間約170万人から250万人へ激増した。市街から遠く離れたターミナルビルは小規模で、多くの旅客が立って待たされる。空弁は搭乗待合室内のJAL系売店「Coralway」でのみ売られる。
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新石垣空港の空弁(3種類収蔵)
UP!(2019/7/7)
2006年2月19日開館 2020年1月2日更新 URL:https://kfm.sakura.ne.jp/soraben/ Copyright (C) 2006-2022 まっこうくじら
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