札幌駅から特急電車で25分、函館本線が室蘭本線を分ける駅。岩見沢市は北海道で石狩平野の東部に位置する、人口約8万人の開拓都市。石狩炭田からの石炭の集積地や交通の要衝として発展、現在は農業や工業の他、札幌のベッドタウンとしての性格を帯びる。駅弁は明治時代からの調製元が1992(平成4)年3月限りで廃業、2000年代に駅の売店で地元の仕出し店の釜飯が売られ始めたが、2023年7月限りで消えた。1884(明治17)年8月15日開業、北海道岩見沢市有明町。
2000年代に岩見沢駅の売店での取り扱いが始まったらしい釜飯弁当。内地ではよく見るが北海道では珍しい、本体に加えてふたまで焼き物の釜めし向け容器を使用、商品名を書いた正方形の掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。中身は茶飯の上に鶏肉、シイタケ、栗、うずら卵、花かまぼこ、タケノコ、グリーンピースなどを載せるもの。
横川駅の駅弁「峠の釜めし」を筆頭に、駅弁の釜飯としてありふれた姿と内容。しかし北海道や北日本の駅弁には、こういうものはあまりない。鶏肉がレバーというかすり身というか、独特の食感を備えていた。価格は2010年の購入時で1,050円、2014年4月の消費税率改定で1,080円。同じ掛紙と容器と値段で「ホタテ釜めし」「えび釜めし」も売られた。調製元の廃業によるものか、2023年7月限りで終売。
この弁当は2000年代は、岩見沢駅でのみ不定期での販売であり、旅行者はなかなか買えなかった。2010年までには新札幌駅や南千歳駅など、札幌都市圏の駅のキヨスクで手広く売られるようになり、難なく買えるようになった。
※2023年9月補訂:終売を追記岩見沢駅で売られた釜飯の、ホタテ版。「とり釜めし」とまったく同じ掛紙と釜型陶器を使う。茶飯をホタテ煮2個とシイタケとタケノコと、うずら卵と錦糸卵とクリと花蒲鉾とグリーンピースで覆う中身もまた、「とり釜めし」の鶏肉をホタテに置き換えただけであると思う。他に「えび釜めし」もあった。調製元の廃業によるものか、2023年7月限りで終売。
※2023年9月補訂:終売を追記1984(昭和59)年10月7日6時の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。これを読むと「とりめし」が名前で、「若当里」が愛称のようだ。駅弁に愛称が付いたり、それが掛紙に書かれることは、他には思い付かない。
1980(昭和55)年8月27日の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。岩見沢の誇りについてイラストとコメントがちりばめられている。岩見沢は「とりめし」や「いくら弁当」が有名で味には定評があり、遠隔地の駅弁大会にも積極的に出品されていたそうだが、意外にも平成初期に撤退してしまった。
1968(昭和43)年9月21日の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。ウナギの駅弁は、昭和時代の定番。岩見沢も流域とする石狩川では、1990年代までヤツメウナギがよく獲れたというが、これが駅弁に使われたかどうかは分からない。
1960年代、昭和40年前後の、9月30日7時の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。このとりめしの掛紙の絵柄は長く使われたのだろう、上記の約20年後のものと同じである。
昭和30年代、1960年前後の、9月25日8時の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。収集者は1961(昭和36)年の調製とみなし、掛紙に書き入れた。サイロのある牧場と、雪原と雪そりの絵柄で、北海道らしさを出したように見える。
1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。収集者は1954(昭和29)年7月18日の調製とみなし、掛紙に書き入れた。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の岩見沢駅弁の掛紙。他の駅にはないような、しかし何かを表したものでもなさそうな絵柄。