日本全国で7,000種類以上の駅弁を収蔵する駅弁資料館が、日本を代表する駅弁10個、ぜひ食べておきたい駅弁10個、うまい駅弁10個を選びました。
1941(昭和16)年に誕生した、日本を代表する駅弁のひとつ。マイカに餅米とうるち米を1:2の割合で詰め、熱湯で15分、しょうゆとざらめの煮汁でさらに15分煮込んだものを、小さな紙箱にふたつ入れている。たまに3〜4個入っていることもある。
1990(平成2)年に発売した、仙台駅を代表する駅弁。発熱材入りの丸い容器をボール紙のパッケージで包む。中身は麦飯の上に牛たん焼が5〜6枚載るだけのシンプルなもの。仙台駅のほか、東北新幹線の車内や秋冬シーズンの駅弁催事でも購入できる。
1993(平成5)年の発売。山形新幹線開業記念駅弁と紹介する資料が多いが、1992(平成4)年7月の開業とは1年のずれがある。米沢と日本を代表する、有名で名物の駅弁。1992年に公募で名前が付けられた山形生まれのお米「どまんなか」の白御飯を、米沢の名物である牛肉にちなみ、甘辛な牛肉煮と牛そぼろで覆い、サトイモ、ニンジン、ニシン昆布巻、かまぼこ、玉子焼、大根桜漬を添える。米沢の名物と山形の米を、デザインでも内容でもシンプルに組み合わせた。
1960(昭和35)年に発売した、全国有数の有名駅弁。駅弁の名前はだるまで有名な高崎市内の少林山達磨寺にちなむ。ダルマ型の真っ赤なプラスティック製容器を使用、中身は群馬の山の幸ということで、茶飯の上をコールドチキン、鶏八幡巻、赤と黒のこんにゃく玉、シイタケ、タケノコ、山菜きのこ煮、山ごぼう漬、山くらげで覆い、小ナス漬と栗と花豆煮を添えるもの。
公式には1958(昭和33)年2月の発売。前年12月に非公式発売とする文献もある。今さら説明することもない、日本で最も有名な駅弁の一つ。焼き物を容器とした初めての駅弁でもある。益子焼の釜の中に茶飯を詰め、その上に鶏肉、タケノコ、ゴボウささがき、椎茸、栗・、ンズ、うずらの卵、紅生姜、グリーンピースを載せる。ふたも陶製で、掛紙をかけて紙ひもでしばり、釜型プラ製の別容器で5種の漬物を添付して出来上がり。
駅弁の名前は「シウマイ弁当」でもOK。1954(昭和29)年4月1日に100円で発売。駅弁の枠を超えて横浜を代表する、とても有名なお弁当。市販の時刻表に掲載される横浜駅や新横浜駅や保土ヶ谷駅など横浜や東京の各駅に加えて、私鉄や地下鉄の駅、羽田空港、横浜市内や東京都内やその近隣の多くの百貨店などでも購入でき、イベントの仕出しや会議の昼食としても重宝される。一日で約2.5万個、年間で800万個以上が売れると言われる、おそらく日本一販売個数の多い駅弁。
富山駅の駅弁として、1912(明治45)年に発売。この駅弁の特徴である、ボール紙のパッケージと、画家の中川一政による絵柄は、1965(昭和40)年から使われるという。木製の曲げ物に、笹の葉を敷き、酢飯を詰め、マスの身を貼り、竹とゴムで押す。名物の駅弁として広く知られるほか、このようなマスの押し寿司そのものが富山の名物である。
1998(平成10)年4月5日の明石海峡大橋開通を記念して発売した新しい駅弁ながら、すでに全国的な知名度を獲得している名物駅弁。たこつぼ状の茶色い焼き物容器の中に、明石のタコのうま煮やすり身天ぷらを、醤油味の炊き込み御飯やタケノコ・穴子・松茸・人参などとともにぎっしり詰める。掛紙の裏面に追記されたとおり、明石だこの不漁により、2017(平成29)年5月から瀬戸内海産のタコを使っているという。
1901(明治34)年に15銭で発売したアナゴ蒲焼き丼。その当時の姿のまま21世紀の現在まで生き残る、駅弁のシーラカンス。多くの駅弁ファンや専門家に、そして多くの雑誌やテレビなどでの駅弁特集で、日本一の駅弁と評価されている。
九州新幹線の新八代駅〜鹿児島中央駅の開業と、観光客向け臨時特急列車「はやとの風」(鹿児島中央駅〜吉松駅)の運行開始を記念して、嘉例川駅までの一日限りのイベント用弁当として、2004(平成16)年3月13日に販売。好評のため5月2日から駅前物産館での販売が開始され、6月18日から金土日曜の「はやとの風」の車内販売でも一日5個の販売が始まった。
1960(昭和35)年または1963(昭和38)年の発売という、厚岸駅の名物駅弁で、北海道や日本を代表する駅弁のひとつであり、厚岸や道東の名物。掛紙の絵柄は昭和時代や国鉄時代から変わらない、カキ貝殻のシルエットの商品名と、カキが林立するかつての厚岸湖の風景と、厚岸の略地図。
1986(昭和61)年7月26日に、三陸鉄道北リアス線の車内販売弁当として発売。日本有数の「幻の駅弁」であり、全国最強のウニ駅弁。赤い正方形の容器をラップで包み、木目調のボール紙でふたをして、三陸鉄道の列車やウニなどを描いた青い厚手の掛紙を巻く。中身はウニの混ぜ御飯の上を大量の蒸しウニで覆い尽くし、レモンとタクアンを添えるもの。
1947(昭和22)年に発売。大館と言えば鶏めし、鶏めしと言えば大館。物資がなく全国の駅弁が販売休止に追い込まれていた終戦直後の1945(昭和20)年8月に、米・砂糖・醤油等の支給を受けた駅弁屋さんがこれをまとめて炊いてみたことが「鶏めし」の原型になったという。
1964(昭和39)年10月に発売。現在の東京駅や上野駅で最も歴史が長く伝統のある駅弁。最近では2019(令和元)年10月にリニューアル。バスケット型とされるオレンジ色のボール紙製容器を使用、白いトレー2個に収まる中身は、1個が玉子とトマトのペーストやグリーンピースを振り掛けたケチャップ味のチキンライス、1個が濃厚な味の衣が付いた鶏唐揚、野菜のピクルス、スモークチーズ、レモン汁の袋。御飯や鶏肉に、懐かしい家庭料理の味がする。
1961(昭和36)年2月に発売。福井駅で伝統の駅弁、かつ一番人気の駅弁であり、全国を代表するカニ駅弁のひとつ。カニの色と形をイメージした赤黒いプラ製容器を、駅弁の名前を書いた袋に詰めて封をする。中身はカニみその炊込飯を、ズワイガニやベニズワイガニのほぐし身で覆った、シンプルなカニ飯。カニ味噌で御飯を炊いた、全国初のカニ駅弁だそうな。駅弁として普通にそのまま食べる以外に、電子レンジの使用や、チャーハンや雑炊にする食べ方を、袋で推奨している点では変わり者。
会社発足時のJR東海が、東海道新幹線「こだま」停車駅の各駅の駅弁屋に900円の新作駅弁を作らせた駅弁キャンペーン「新幹線グルメ」の米原駅版として、1987(昭和62)年11月に発売。新幹線グルメは20世紀末に自然消滅したが、この駅弁は評判が良く、米原駅を代表する駅弁として販売が続く。
2011(平成23)年2月15日にまずは配送専用商品として復活した、かつての大阪駅や新大阪駅で名物の駅弁であった幕の内弁当で、大阪を代表する弁当のひとつ。ほどなくデパ地下や催事での販売も始まり、3月15日には新幹線新大阪駅での取り扱いも始まった。容器や中身や価格は下記の終売前と変わらないが、ボール紙のふたから駅弁マークが消え、水了軒というブランドネームを明記したデザインに差し替えられている。
1963(昭和38)年に「祭りずし」として発売。岡山駅弁といえば祭ずし。ピンク色をした桃型のプラスティック容器を使用、備前米の寿司飯の上に錦糸卵を敷き詰め、ママカリ・椎茸・えび・アナゴ・タケノコなどを散らしている、名前どおりの華やかな駅弁。量は見た目ほど多くない。
1968(昭和43)年に発売か。この駅弁のためだけに作られている、しゃもじ型の赤いプラスティック製容器を使用、これを中身の写真や商品名を大きく書いて、宮島の大鳥居のシルエットを描いたボール紙の箱に詰める。中身はカキ飯だし汁で炊いた御飯の上を錦糸卵、紅生姜、青のりで覆ったうえで煮カキを4個置き、カキフライ2個、カキの味噌和え、じゃこ煮、広島菜漬を添えるもの。10月頃から3月頃までの冬季限定発売。
1921(大正10)年に発売。日本一の鶏飯駅弁とも評価される、折尾駅のかしわめし。昔ながらの経木の容器に、変わらぬデザインの掛紙をかけた中身は、鶏肉の炊き込み御飯の上に、刻み海苔と錦糸卵とフレーク状のかしわ(鶏)を載せた、九州北部を中心に山口県から鹿児島県まで駅弁で分布するかしわめし。秘伝の材料と製法で炊かれた御飯は口の中で甘く溶け、絶品と唸らせる味。
1966(昭和41)年の発売。函館駅で定番の駅弁。長方形の経木枠の容器に木目柄のボール紙でふたをして、ニシンの漢字を大きく描いた掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。中身は白御飯の上をニシン甘露煮と味付けカズノコで覆い、茎わかめと大根味噌漬を添えるもの。時の洗礼を受けた味わいには、古典の安心感がある。道南の箱館(現在の函館)・松前・江差はかつて蝦夷三湊と呼ばれ、ニシン漁で大いに栄えた。
2009(平成21)年2月に地元の「津軽料理遺産プロジェクト」で開発され、ゴールデンウィーク期間中の試験販売を経て内容を見直しのうえ、弘前駅の新駅舎開業5周年記念行事に合わせて同年12月12日から弘前駅2階自由通路での販売が開始された駅弁。
2010(平成22)年の発売か。2008(平成20)年10月の東京駅の駅弁大会で売られたメガ駅弁「ビッグのり弁」の通常版か。2015(平成27)年8月のTBSテレビ「マツコの知らない世界」や、2016(平成28)年9月のTBSテレビ「この差って何ですか?」など、いくつかのテレビ番組や特集コーナーで駅弁マニアの1位その他高い評価を得て、今では最も有名な郡山駅弁。
JR東日本のシニア向け商品「大人の休日」の駅弁として、2002(平成14)年3月に同社管内の各地で15種類が発売された駅弁のうち、新潟駅弁の新発田三新軒が出したもの。当時はそれほど注目されず、2007(平成19)年1月の阪神百貨店の駅弁大会での実演販売も人気でなく、現地や東京駅の駅弁売店「駅弁屋旨囲門」で細々と売られていたが、2009(平成21)年12月にTBS系列のテレビ番組「はなまるマーケット」で俳優の高嶋政宏が全国ベスト3の第1位に挙げたことにより東京で大人気の駅弁となり、現地や催事や他のメディアへも波及した。
テレビ番組の企画から誕生した駅弁の元祖。1985(昭和60)年10月27日正午の販売開始時には、駅に祝砲の花火が上がり、三千人のファンが列を作ったという。テレビ朝日の料理番組「愛川欽也の探検レストラン」で、番組司会の愛川欽也氏、映画監督の伊丹十三氏、料理評論家の山本益博氏、デザイナーの島崎信氏、駅弁に詳しい林順信氏の5名で企画を練り、ネーミングをコピーライターの岩永嘉弘氏が、掛紙の絵柄をイラストレーターの安西水丸氏が担当した。
1999(平成11)年に発売。黒く小さく底が深い専用のボール紙製容器に、駅弁の名前や宣伝文句を記した小さな掛紙を巻く。中身は、限りなく白御飯に近い感じの酢が薄い酢飯の上に、限りなく刺身に近い感じの酢が薄い鯵の酢締めをたっぷり折り重ねて、松崎特産の桜葉塩漬けにレモンスライスを添えるもの。胡麻や生姜や青ジソや醤油やワサビの風味も一切れ毎に楽しむことができる、噂どおりの絶品。
明治時代の末期に発売。かつて全国各地ほぼすべての駅弁屋が手掛けた稲荷寿司の中で、古くから日本一うまいと評価されることの多い、豊橋駅弁の稲荷寿し。掛紙の絵柄は何十年も変わらない、おそらく豊川稲荷の本殿と鳥居にキツネの像。素材こそ紙やプラだが、大きさは昔の経木折と変わらなそうな容器に、少し細身で少し茶色の濃いおいなりさんを7個収め、紅生姜の袋を添える。約20分間熱湯で油抜きをした油揚げを、醤油と砂糖のタレで約40分間煮て、酢飯を詰めて作られるという。
1952(昭和27)年11月に発売された、カニ寿司駅弁の元祖。1958(昭和33)年に保存技術の開発で一年中カニ駅弁を提供するようになったのも、鳥取駅弁が元祖である。カニを描いたボール紙のパッケージに、またカニを描いたふたをかける八角形の容器が入る。因幡米の酢飯を覆い隠すように、カニのほぐし身とカニ足が、錦糸卵とともに敷き詰められている。
今治駅弁のフラッグシップ。1986(昭和61)年の発売か。押寿司の雰囲気がある、木枠がしっかりした長方形の容器を、ボール紙のパッケージに詰める。中身は容器に笹の葉を1枚敷き、酢飯を詰め、大葉を1枚貼り、タイの身を一面に敷き詰めるもの。全国の押し寿司駅弁で最も見た目が美しい駅弁ではないだろうか。
2011(平成23)年4月に武雄温泉駅の駅弁として登場。商品名や宣伝文を細かく描いたクリーム色の掛紙で、黒いトレーを接着したふたが透明な長方形の容器を包む。中身は白御飯を佐賀牛のすき焼きで覆い、レンコンきんぴらを添えるもの。