東京から新幹線と路線バス「スワロー号」を乗り継いで約4時間半。JR八戸線と三陸鉄道北リアス線との接続駅。久慈市は岩手県北東部で太平洋に面した、人口約3万人の港町。陸中海岸観光の玄関口や琥珀の産地として知られる。駅弁はJR駅になく、三陸鉄道駅の立ち食いそば店で4月から10月まで「うに弁当」を販売、そのうまさと入手難で駅弁ファンの憧れの的となる。1930(昭和5)年3月27日開業、岩手県久慈市中央3丁目。
1986(昭和61)年7月26日に、三陸鉄道北リアス線の車内販売弁当として発売。日本有数の「幻の駅弁」であり、全国最強のウニ駅弁。赤い正方形の容器をラップで包み、木目調のボール紙でふたをして、三陸鉄道の列車やウニなどを描いた青い厚手の掛紙を巻く。中身はウニの混ぜ御飯の上を大量の蒸しウニで覆い尽くし、レモンとタクアンを添えるもの。この駅弁に欠点は何もない。私なりの感想を新たに書き起こす必要もない。一生に一度は食べてみるべし。価格は2008年の購入時で1,260円、2011年から1,360円、2013年8月から1,470円、2020年時点で1,570円、2023年時点で1,670円。
月曜を除く4月から10月まで一日20個の販売なので確実な入手が難しいことと、久慈が大量高速交通に恵まれず訪問しにくいことから、駅弁好きが一度は食べたいと憧れる駅弁。以前は三陸鉄道北リアス線の車内販売や宮古駅でも買うことができた。もとは盛岡の仕出し店が転業し移転した岩手県普代村の旅館が作っていたが、のちに旅館をやめて弁当と観光列車車内販売の専業となった。
久慈は、2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災の被災地である。震度5弱の地震に加えて高さ7mの津波が襲い、死者3名、負傷者7名、行方不明者2名を出した。約千棟の家屋が被災し、9割の漁船が流失し、久慈が誇る全国唯一の地下水族館「もぐらんぴあ」は全壊した。久慈市における震災による被害額は200億円を超えるという。
しかしこの街の復旧は早かった。翌日には電気が通じ、3月16日の三陸鉄道「復興支援列車」の運行は全国に発信された。3月中には港湾の復旧、避難所の閉鎖、魚市場の再開が実現し、市の広報誌も4月1日に「災害緊急特集号」が発行されている。三陸鉄道の久慈駅に入居する駅うどん・そば屋「リアス亭」も、鉄道の運行に合わせて営業を再開し、4月中には「うに弁当」の販売も始まった。これもまたテレビ番組で紹介され、震災からの復興を発信した。
※2023年7月補訂:値上げを追記2015(平成27)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、初めて実演販売された、久慈駅のうに弁当。この後に阪神百貨店の駅弁大会でも実演販売された。よくぞ大都会の催事場に来たものだと思う。駅で買った体験と比べ、調製印とラップと、舌と喉に感じた苦味の他は、現地のものが同じ価格で、本当に良く再現されていると思った。両大会でも目玉商品として紹介され、大変な人気を集め、買い物客の長い待ち行列ができた。価格はこの時の2015年で1,470円。現地と連動するはずなので、今なら1,670円か。
※2023年7月補訂:値上げを追記2017(平成27)年1月の京王百貨店の駅弁大会と、2月の鶴屋百貨店の駅弁大会で実演販売された、久慈駅の新作のうに弁当。従前のうに弁当と同じ構造を持つ容器に、ウニの身と汁で炊いた御飯を詰め、ウニとイクラとアワビで覆い、レモンとタクアンを添えるもの。ウニは前年の同じ催事場と同じく貧相で、アワビはとても柔らかく、イクラは普通。現地では「うに弁当」一日20個を作るのが精一杯とされるのに、こんな新作を出せるのだろうか。疑義駅弁の懸念を抱いた。一応現地では、数日前までの要予約で販売している模様。以後の販売はなかった。
※2023年7月補訂:終売を追記上記の駅弁「うに弁当」が販売されている、駅舎の中のそば屋で買った惣菜で、一個100円のおいなりさんの2個入りパック。柔らかい五目飯でまるまる太り、食べ応えがある。
2011年4月の訪問時、三陸鉄道の久慈駅は、東日本大震災による鉄道の被害により、「復興支援列車」と名乗る2駅先の陸中野田駅までの5往復が発着するのみであった。しかし駅の窓口もそば屋も営業しており、4月中旬からは例年どおり「うに弁当」の販売も始まったという。津波の被災地でもある久慈の再始動は、駅弁ファンにも復興を印象付けた。