久慈駅から三陸鉄道北リアス線で2駅13分。野田村は岩手県で太平洋に面した人口約4千人の村で、かつては製塩や砂鉄で栄え、今は農業と漁業と観光で生きる。2012年1月の京王百貨店の駅弁大会に出品するため、駅舎の機能も持つ道の駅で駅弁が誕生した。1975(昭和50)年7月20日開業、岩手県九戸郡野田村大字野田。
2012(平成24)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、陸中野田駅の駅弁としてデビュー。同大会の「頑張れ!ローカル線」での実演販売に伴い、その会期初日の1月12日に発売。これを前に陸中野田駅舎を併設する「道の駅のだ」にも出すことになり、同月5日から3月31日まで一日10個を1,000円で販売したという。以後は11月から4月までの販売。
黒色の容器に、中身と駅弁の名前と野田村の位置でデザインした、鮭色の掛紙を巻く。中身は白御飯を、鮭の醤油焼きのフレークとイクラで覆い、ホタテの塩酒蒸煮をひとつ据え、シイタケ煮、塩ワカメ、食用菊の酢漬けを添えるもの。主役はきっと、三陸産のイクラ。しかしこの弁当の味の特徴はきっと、サケにある。フレークが大粒で、身の旨味がしっかり広がり、飯が進んだ。
野田村もまた、2011(平成23)年3月の東日本大震災の被災地である。陸中野田駅や道の駅のだは無傷であったが、以南の平地が最大16.4mの津波に洗われ1,553棟の建物等が流失し37人の死者が出た。堤防と三陸鉄道と国道45号も潮に洗われたが、いずれも構造物は無事であったため、堤防は修理を要さず、国道はほどなく開通、鉄道も11月に復旧工事を着工し2012年4月1日に開通した。その後の5年で、堤防を標高14mまでかさ上げるという。
この駅弁のデビューの後に、現地では2012年4〜8月に「のだ塩ほたて弁当」(700円)を、9〜10月に「南部福来豚炙り丼」(500円)を、11月からは「鮭いくら弁当」(1,000円)を、やはり一日10個限定で販売したという。
2015(平成27)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、陸中野田駅の駅弁として実演販売。現地の道の駅でも、1月8日の開会から一日10個を、1月31日までの期間限定で販売したという。白御飯を、上記の「鮭いくら弁当」のイクラとホタテと、さらにウニとアワビで覆い、食用菊と醤油を添付。黒い掛紙のイラストが楽しく、輝かしい中身。イクラの塩気、ホタテのぷりぷり、ウニの滋味、アワビの臭みは、駅弁にも海鮮弁当にもない感覚で、久慈のうに弁当に負けず劣らずという感じ。以後の販売は、なかった模様。
上記の駅弁「鮭いくら弁当」の、2014(平成26)年時点での姿。前年の付合せの寒締めほうれん草が、シイタケ煮に変わった。翌年のものより、イクラが多く、サケが少ない感じなのは、仕様の変更か、誤差の範囲か。引き続き、催事では1,200円で、現地では1,000円で販売。
上記の駅弁「鮭いくら弁当」の、2013(平成25)年時点での姿。掛紙に「北三陸のほたてとわかめが入ったよ!」とあるとおり、サケとイクラの間にホタテが入り、付合せにワカメが加わった。付合せは枠の中に収まり、ほうれん草と食用菊は減量。この年はホタテの風味に感激。現地にも催事場にも、この駅弁が帰ってきた。
陸中野田駅がある三陸鉄道北リアス線は、この2013年1月の時点で、小本駅から田野畑駅までの2駅分を残して運転を再開していた。コンクリート製の橋梁が流失したこの区間でも、費用の全額を国が負担し、この路線を造った日本鉄道建設公団の後進である鉄道・運輸機構が工事を実施し、2014年の全線復旧を目指していた。三陸鉄道がどうなったとしても、この駅の主客は自動車での訪問者であることに間違いはないと思うが、鉄道の駅でもあるからこそ、こうやって地元の弁当を駅弁という名で売り込むことができる。
上記の駅弁「鮭いくら弁当」の、2012(平成24)年のデビュー当時の姿。容器は色と模様で漆器を模しており、中身は白御飯を白御飯の半分をイクラ醤油漬で、残りをサケ醤油焼のフレークと寒締めホウレンソウで覆い、食用菊の酢漬けを添えるものであった。鮭の風味に感激。