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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 横浜(よこはま)駅 JR-East Yokohama Station
2022(令和4)年1月訪問 GoogleMap「横浜駅」

駅名標 駅舎 駅構内

東京駅から電車で約25分。横浜市は神奈川県の東部で東京湾に面した、人口約380万人の港町。東京の衛星都市として人口日本一の市であるほか、異国情緒とウォーターフロントで多くの観光客も集める。駅弁は、大正時代からの駅弁屋がコンコースやホーム上や駅周辺各地に駅弁売店を構え、「シウマイ弁当」は日本一売れる駅弁とされる。1915(大正4)年8月15日開業、神奈川県横浜市西区高島2丁目。

シウマイ御弁當(950円)Shiumai Obento
2020年11月21日に横浜市内の崎陽軒店舗で購入 Nov. 21, 2020

掛紙 中身
掛紙 外観 外観 外観 中身 中身 中身

駅弁の名前は「シウマイ弁当」でもOK。1954(昭和29)年4月1日に100円で発売。駅弁の枠を超えて横浜を代表する、とても有名なお弁当。市販の時刻表に掲載される横浜駅や新横浜駅や保土ヶ谷駅など横浜や東京の各駅に加えて、私鉄や地下鉄の駅、羽田空港、横浜市内や東京都内やその近隣の多くの百貨店などでも購入でき、イベントの仕出しや会議の昼食としても重宝される。一日で約2.7万個が売れる、すると年間で約1000万個が売れることになる、おそらく日本一販売個数の多い駅弁。

昔ながらの駅弁らしい底浅な長方形のエゾマツの経木折に、蒸気炊きの俵型御飯が8個に黒胡麻と小梅、シウマイが5個、マグロの漬け焼、かまぼこ、鶏の唐揚げ、玉子焼、タケノコ煮、あんず、切り昆布、千切り生姜が入る。中身は発売後12回ほど変更されており、最近では2003年11月にレンコンを玉子焼に置き換えた。東京都内や羽田空港でも買えるが、調製する工場が異なり、経木のふたと掛紙をボール紙に置き換えたものとなる。崎陽軒名物の磁器の醤油入れ「ひょうちゃん」は、シウマイ単品のものに入っており、弁当類は入っていない。

※2022年9月補訂:販売個数の更新(2.5万個/日→2.7万個/日)
※2020年12月補訂:写真を更新
※2019年8月補訂:販売個数の更新(2.4万個/日→2.5万個/日)
※2018年10月補訂:販売個数の更新(2.3万個/日→2.4万個/日)
※2018年6月補訂:写真を更新
※2017年9月補訂:販売個数の更新(2.1万個/日→2.3万個/日)
※2016年8月補訂:販売個数の更新(1.9万個/日→2.1万個/日)
※2016年6月補訂:写真の更新と震災対応追記の移動
※2011年12月補訂:写真の更新と震災対応を追記
※2007年6月補訂:中身写真2点を差替
※2006年6月補訂:販売個数と容器素材の追記
※2005年7月補訂:写真の差替と解説文の手直し
販売駅
東海道本線 横浜(よこはま)駅 1915(大正4)年8月15日開業 神奈川県横浜市西区高島2丁目
調製元
株式会社 崎陽軒 神奈川県横浜市西区高島2−12−6 0120-882-380 https://kiyoken.com/

横浜駅弁「シウマイ御弁當(シウマイ弁当)」の変遷メモ
The Circumstances of Shiumai Obento

昭和時代の内容は資料により一部異なる。

横浜駅弁「シウマイ御弁當(シウマイ弁当)」の情報メモ
About Shiumai Obento

シウマイ弁当は今まで、新聞や雑誌から調製元の社史まで多くの媒体で紹介されてきており、様々な情報が蓄積されている。2010年代になると、もっぱらシウマイ弁当のことだけを紹介する単行本や同人誌までが出版されるようになり、これは「ますのすし」「いかめし」「峠の釜めし」のような他の有名な駅弁でも見られないことであり、日本一愛される駅弁と呼べるかもしれない。

シウマイ弁当の容器に使う経木折(きょうぎおり:薄い木製の容器)は、北海道津別で1920(大正9)年に創業した木製品製造業者である三共が、1960年代から製造している。古くは横浜駅東口の崎陽軒ビル内に折箱の製造フロアがあったという。掛紙は1881(明治14)年に創業した横浜市戸塚の印刷業者である大川印刷が、昭和時代から印刷している。ひもで十字にしばる作業は手作業であり、崎陽軒では社長や会長以下の全社員ができるそうで、社員研修でも必ず行うという。ただし東京工場のシウマイ弁当は紙のふたをシートで留めるため紐かけが要らず、横浜工場では2017年から紐かけ機が稼働している。

シウマイの材料は、豚肉、たまねぎ、干帆立貝柱、グリーンピース、塩、胡椒、砂糖、でんぷん、小麦粉。1928(昭和3)年の発売時から変わらない。原価で最も高い材料は、隠し味に使う干帆立貝柱だという。北海道猿払の特産品であり、かつて現地の漁業協同組合には崎陽軒の看板が掲げられ、今も漁協の売店で崎陽軒の製品が買える。シウマイに使う帆立の8割は猿払産とも、崎陽軒は国内に流通する乾燥帆立貝柱の1割を買い付けるとも聞いたが、出典は不明。特注の機械で製造後すぐに冷凍し、2000年頃までは市販品の容器にも詰めていたプラ製のトレーで保管し、使う時に蒸気で蒸して解凍する。この「昔ながらのシウマイ」を単品で販売する際の消費期限は、製造から17時間、ただし12時間以内に冷蔵保存した場合は40時間。赤い包装紙には製造年月日(上記の解凍時と思われる)を含め3段書きの年月日時が記される。

シウマイ弁当の白飯は、企業秘密の特注機械で蒸気炊きされる。その産地や銘柄は、1954年の発売当時に等外米と表記した以外には明らかにされておらず、おそらく標準的な国産米を使うのだろう。普通の(上質や銘柄でない)米を、常温の弁当向けにおいしく炊き上げる旨の考察がなされることがある。

シウマイ弁当の中身である白飯、シウマイ、マグロ、かまぼこ、鶏唐揚、玉子焼、筍煮、あんず、切り昆布、千切り生姜には、それらのそれぞれにファンが付いていると思う。しかし弁当より歴史の長いシウマイを除き、単品で買うことができない。赤飯は予約で買えるが白飯は買えない。例外は筍煮で、東京八重洲と横浜中華街の軽食堂「シウマイBAR(シウマイバル)」で注文できる。

シウマイ弁当は1954年の発売時、今でいうシウマイも入る幕の内駅弁であり、シウマイに加えて横浜カマボコと酒悦の福神漬を入れたことも売りにしていた。経木折や掛紙の使用と、折箱の大きさや形状は、当時の駅弁として標準的なものであり、100円や150円の価格も当時に政府や国鉄が定義した「普通弁当」の枠内とし、上等や特殊な駅弁ではなかった。その姿を70年以上維持したことにより、今ではイベント向けの復刻駅弁を除き唯一の姿をしているのではないだろうか。もっと老舗の弁当となると、経木折の角を丸めないため、ここでも類例を思い当たらない。