2023(令和5)年9月30日から10月22日まで、11月4日から12日まで、25日から26日までの土日曜日の8時から10時まで、青梅線のホーム上で一日30個を販売。JR東日本八王子支社が、2018年9月に青梅線の青梅駅から奥多摩駅までの区間に付けた愛称「東京アドベンチャーライン」のさらなる魅力向上のため、同支社員で構成する「もっと、にしたま。プロジェクト」の企画で、昭和レトロの青梅駅にて、昔懐かしいホームでの立ち売りにより販売したお弁当。お弁当の名前は同支社のプレスリリースによる。現物に商品名はなく、食品表示には単に「弁当」とある。
東京都多摩産材を使う小さな木箱に、個別にラップしたわさびおにぎりとわさびいなり、ヤマメの蒲鉾「やまぼこ」、季節野菜のピクルスを詰め、ワサビ柄の押印のみをしたクラフト紙を巻く。わさびとヤマメとピクルスにも奥多摩産の食材を使うという、たったこれだけで千円もするのかと思ってはいけない、販売を含め総合的に楽しむ軽食。訪問時の青梅駅では、駅員が付き添う立売人が、中高年のハイキング客に囲まれていた。調製元は奥多摩駅前で土休日の昼間にわさび丼を販売するキッチンカー。
JR青梅線は、青梅や奥多摩の石灰石を東京や川崎のセメント工場へ輸送するため、私鉄の青梅鉄道が開業した産業鉄道。第二次大戦中の国有化から戦後の国有鉄道を経て分割民営化後の1998年まで約一世紀、石灰石の無蓋車を電気機関車が牽引した。戦中戦後に青梅までの平地には工場や住宅が建ち並び通勤路線となり、青梅からの山中はハイキングなどの行楽客が愛用する。2023年3月のダイヤ改正ですべての列車が青梅駅での乗り換えとなり、行楽客と乗換時間の組合せで駅弁の立ち売りに適した駅になったのだろうが、実際に立ち売りを行うとは予想外。
上記の駅弁「アド弁」の第2弾で、2024(令和6)年5月11日から26日までの土日曜日に販売。木の箱、クラフト掛紙、千円の価格、青梅駅のホーム上での立ち売り、その調製元と販売員は、前回と変わらない。中身は揚げかまぼこがわさびソーセージに変わり、ピクルスにした野菜も違う感じ。2回目となると初回ほどの注目度はなかった感じ。第3弾以降が、あるかどうか。
1928(昭和3)年10月27日7時の調製と思われる、昔の国分寺駅弁の掛紙。掛紙に描かれるのは、武蔵国分寺の楼門や当時の本堂に出土品だろうか。この時代の駅弁掛紙として、標準的な構成。中央本線の国分寺駅に駅弁があったことなど、記録上も記憶でもほぼ失われていると思う。
JR東日本の新幹線で提供されるグランクラス軽食・茶菓子セットが、2022(令和4)年5月11日から期間限定で市販されたもの。5月11日から24日まで東北・北海道新幹線下り列車分が、5月25日から6月7日まで北陸新幹線下り列車分が、6月8日から21日まで東北・北海道新幹線上り列車分が、東京、新宿、大宮の各駅と鉄道博物館で販売された。これは6月10日に購入したので、東北・北海道新幹線上り列車分となるのだろう。
グランクラスのロゴマークのみを記した白い紙袋に、ふたつの箱と、割りばしとおしぼりを入れる。中身は大きく黒い箱が軽食で、茶飯を錦糸卵と刻み海苔とタケノコとこごみで覆い、玉子焼、鶏肉揚げ、にしんチーズ巻き、焼ホタテ、なすとお麩の味噌和え、赤パプリカ、しそ巻きを添える。小さく緑色の箱が茶菓子で、よもぎと三温糖のパウンドケーキ。1,680円相当の食べ物ではないと思うが、グランクラスに乗ると運賃と料金で8,000円以上はかかるから、体験としては安上がりなのだろう。7月と9月にも販売を予定。
2011(平成23)年3月5日の東北新幹線はやぶさ号とE5系新幹線電車の営業運転開始により設定された、グリーン車より料金の高い旅客設備「グランクラス」は、E5系電車の増加と北陸新幹線の開業により設定本数を増やしていった。一方で軽食とフリードリンクを提供する列車の本数は順次縮小されており、2021年3月に東北新幹線「はやて」「やまびこ」の全列車でサービスを終了、2022年10月に北陸新幹線「はくたか」の全列車でサービスを終了予定。この軽食・茶菓子セットを見られる機会も少なくなる。
東京の六本木ヒルズで2019(令和元)年12月3日から翌年3月22日まで開催された展覧会「特別展天空ノ鉄道物語」の、会場フロアのカフェ食堂で提供されたメニュー。ここを「天空駅」と定義し、その駅弁というイメージで提供されている。ただし本物の駅弁のように持ち帰ることはできなかった。
六本木ヒルズの展望フロアの眺望写真を載せた、赤い車体の通勤電車の乗降扉をイメージしたスリーブは、ドアを開くと中身が顔をのぞかせる。中身は6種類から注文時にふたつ選択し、その選択により価格が異なる。今回は最も安い「名古屋 みそかつ 650円」と「鹿児島 黒豚W 750円」を組み合わせた。容器ごと加熱したと思われる、アツアツの状態で提供された。写真にはないが、ポリ茶瓶の温茶もついていた。
北陸新幹線でグランクラスの乗客に1個提供される軽食。これは2016(平成28)年当時で和洋が選べるうちの和食で、グランクラスのマークを印刷した掛紙に包まれた箱にちらし寿司、玉子焼、ブリ照焼、豚生姜焼、温野菜サラダ、治部煮、酢の物などが収まっていた。内容は四季で変わる模様。調製元は駅弁屋ではなく、石川県金沢の押寿司屋の芝寿しであった。
新幹線のグランクラスには、個室寝台や昔の一等車に匹敵する高額の料金が設定されたため、目新しさが薄れたらバブル崩壊後のグリーン車のように空いてくる、空気を運ぶようになるのではないかと思ったら、意外にも普通車やグリーン車とたいして変わらない乗車率を維持しているように見える。今回の北陸新幹線の東京行き列車でも、軽井沢や高崎からの短距離の利用者を加え、18席のうち10席以上が埋まり、アテンダントが忙しそうに通路を行き来していた。
グランクラスの軽食の選択制は2019(平成31)年3月限りで廃止され、4月から和軽食のみが提供される。東北新幹線、北陸新幹線、上下の別で4種類があるという。
東北新幹線でグランクラスの乗客に1個提供される軽食。これは2017(平成29)年当時で和洋が選べるうちの洋食で、グランクラスのマークを印刷した紙箱に、ハムときんぴらごぼうのサンド、かぼちゃサンド、鮭とスパゲティ、梨とキウイのフルーツが収まっていた。内容は四季で変わる模様。調製元は仙台駅弁の日本レストランエンタプライズであった。
新幹線のグランクラスを、人生2度目の利用。前年春の北陸新幹線と違う、東北ならではのものがあるかと思ったら、シードルと日本酒が長野県産から青森県産に変わっただけだった。軽食や飲料とともに提供された、スイーツ(りんごのパウンドケーキ)の紙箱とおつまみ(あられ)の袋にも、グランクラスのマークが入る。
グランクラスの軽食の選択制は2019(平成31)年3月限りで廃止され、4月から和軽食のみが提供される。東北新幹線、北陸新幹線、上下別で4種類があるという。
※2020年1月補訂:終売を追記北陸新幹線でグランクラスの乗客に1個提供される軽食。これは2016(平成28)年当時で和洋が選べるうちの洋食で、グランクラスのマークを印刷した紙箱にタマゴサンド、ハムポテトサンド、鶏肉のソテー、黄桃とキウイのフルーツが収まっていた。内容は四季で変わる模様。調製元は東京駅弁の日本レストランエンタプライズであった。
グランクラスは、2011(平成23)年3月5日の東北新幹線はやぶさ号とE5系新幹線電車の営業運転開始により設定された、JR東日本の特別車両。普通車やグリーン車より大きな座席とアメニティグッズを備え、1両18席あたり1名のアテンダントが付き、乗客には軽食1個とフリードリンクが提供され、片道6000円以上の追加料金がかかる。後に北陸新幹線と北海道新幹線に設定が広がり、同線のJR西日本とJR北海道の車両にも設備が備わる。
グランクラスの軽食の選択制は2019(平成31)年3月限りで廃止され、4月から和軽食のみが提供される。東北新幹線、北陸新幹線、上下別で4種類があるという。
※2020年1月補訂:終売を追記東京駅や新宿駅と東伊豆を結ぶ行楽向け特急列車「スーパービュー踊り子」の、1号車階下の売店で販売されたカレーライス。購入にはグリーン車の乗客になることが必要だった。注文すると販売員が、プラ製の使い捨てトレーに、車内の電子レンジで加熱したレトルトカレーとパックライスと、福神漬を詰めて、やはり使い捨てのコップ水とスプーンとともに、客に渡す。グリーン個室の利用者には、客室乗務員への注文により個室まで届けてくれた。
2014(平成26)年までは、1号車階下のサロン室で食べる場合に限り、陶製の皿にカレーを盛り、金属製スプーンを付けて提供したという。観光列車の特別車に乗ったのに、このような屋台の食事が出てきては、がっかりするかもしれない。しかしこれが、普通の客が切符を買って乗れる列車では全国で唯一となった、車内で提供される暖かい食事であった。
売店ではサンドイッチとシウマイも販売される。サンドイッチは過去には、カレーと同じく皿に盛ってくれたようだが、この時点では市販の駅弁をそのまま渡された。写真の1枚目にあるのは、車内でハムとチーズのサンドイッチとして売られていた「大船軒サンドウヰッチ」。シウマイは横浜駅弁の「真空パックシウマイ」を車内の電子レンジで暖めて渡される。
2018(平成30)年の春頃をもって、グリーン車サロンでのカレーの販売が廃止された模様。2020(令和2)年3月限りで、スーパービュー踊り子そのものが全廃される。
※2020年1月補訂:終売を追記2007(平成19)年7月10日から9月9日まで江戸東京博物館で開催された企画展「大鉄道博覧会」の売店で販売された記念弁当。容器と中身は偶然か必然か、同年8月25日に販売された「夏休みフェア記念弁当」とほぼ同じ。しかしこちらが200円高い。弁当としての実需がない、イベント用の記念商品だから、きっとこれでよい。カラーコピーの掛紙には新幹線開業前の東海道本線の特急「つばめ」の写真が載る。
博物館と運営財団と大新聞社が主催者に名を連ねたこの特別展は、多くのメディアに大きく取り上げられたが、少なからぬ鉄道ファンは、質量ともこの程度の展示で1,300円も取るのか、同じ場所で同じ料金を取る美術品展や文化財展などと比べて貧弱極まりないなどと憤慨していたような。個人的にも、かなり同感。
2018(平成30)年の東京競馬場で買えた弁当。観戦スタンド内の売店をくまなく巡ったつもりが、掛紙があるもの、駅弁のようなものは、これだけであった。小柄なプラ容器に白飯を詰め、カリカリに焼いた豚バラ肉で覆い、ネギや漬物を添える、見た目には重そうな軽食。例えば「トン勝つ」のようなゲン担ぎは見当たらない。調製元の名称は場内の売店と同じで、所在地や連絡先との関連は不明。
コーヒーチェーン「エクセルシオールカフェ」東京競馬場店限定のメニュー。競走馬と騎手を小さく描いた紙箱に3切れの固いカツサンドが収まる。分量、風味ともたいしたことがない場内価格。ギャンブル場で勝つサンドを買って食べること、あるいは容器を来場記念に持ち帰ることに意義がある。コーヒーとのセット売り(1,000円)もあった。2018年の再訪時、店舗は健在だったが、この商品は消えていた。
※2018年8月補訂:終売を追記文化放送のラジオ番組「ラジオ★かぶりつき」内で浜松町駅弁として制作し、2007(平成19)年3月3,4日の2日間、浜松町駅と羽田空港で一日100個ずつが販売された企画弁当。価格は文化放送の周波数にちなみ、弁当名はおそらく放送局の名前にちなみ、掛紙にはアナウンサーが検討し漫画家が描いたイラストを載せた。
中身は東京タワーを意識した仕切りに、キンメダイ焼、うなぎ蒲焼、つくね、カズノコ、里芋、玉子焼、海老焼売、菜の花、漬物などを詰めるもので、それぞれが浜松町や番組にちなんでいる。
その売れ行きについて、駅では未明から行列ができる大人気だったそうだが、空港では売店に積まれて閑古鳥。中身の風味や分量もこの価格にしても充実しているので、売り方には困りそうだが、販売の継続があればいいと思う。
2004(平成16)年10月頃の復刻発売。粗末な感じを出した紙袋の中に、大きく固いパンの塊がふたつ入っている。見た目でも食べても満腹になるが、これ以外に何も付いていないし、固結とは言えないがアゴが鍛えられる固さなので、食べる人を選ぶと思う。それでもその品質は、本物の発売当時とは格段に良いだろう。
鐵道パンは、戦中の1944(昭和19)年から戦後の昭和20年代頃まで、列車の車内で売られたもの。輸送力増強の要請と食糧事情の悪化により、当時は急行はもちろん長距離鈍行にも連結されていた食堂車をなくす代わりに、車内販売でこれや弁当を売り歩くようになったものだが、これが今も親しまれる車内販売のはじまりとされている。
1986(昭和61)年9月27日から1988(昭和63)年3月31日まで存在した、日本唯一の地下鉄駅弁。小淵沢駅で名物になった駅弁「元気甲斐」と同じく、テレビ朝日のテレビ番組「愛川欽也の探検レストラン」で発売した。8個の揚げ握り飯とミニおでん1串を、手が汚れないようにと配慮したビニール手袋とともに手提げの箱に入る。発売初日は3,500個、累計で6.9万個が売れたそうだ。
2006(平成18)年1月に発売、3,000個を販売。組み立てて厚みを出したふた付きの、木目調の大きなボール紙製容器に、商品名を書いた緑色の掛紙をかけて、ひもでしばって段ボール箱に詰める。中身は梅干し色のEF8181北斗星塗装が載る御飯部分、EF5864青大将塗装とEF651013ブルトレ塗装が入る煮物部分、EF81189カシオペア色、EF5861お召機とEF81151交直流色が入る揚げ物部分、EF8195レインボー色とEF651019レインボー色が入るおかず部分。
つまり、タカラのゼンマイ駆動ミニカー「チョロQ」の国鉄・JR電気機関車版を収める容器を、駅弁風に仕立てたもの。子供向けや駅弁ファン向けというより、チョロQコレクター向けの商品だろう。こういう発想を玩具メーカーが持つくらい、駅弁にブランド力があるのだと思う。メーカーの所在地が東京なので、東京都の駅弁として収蔵。
2018(平成30)年9月30日にJR東日本の各駅の鉄道グッズ店で発売。ふたが透明で中が見える長方形の木質エコ容器に、商品名の紙帯を締める。中身は駅弁の中身をプリントしたTシャツが1枚。おしながきは底面に敷かれていた。食べられない、着る駅弁。
これは白い郡山駅「海苔のりべん」バージョン。横川駅「峠の釜めし」、米沢駅「牛特上カルビ弁当」、郡山駅「海苔のりべん」、水戸駅「釜揚げしらす弁当」、小淵沢駅「高原野菜とカツの弁当」の中身の写真と、黒と白の2色のTシャツで、合計10種類の商品が用意された。駅弁の値段くらいに安くならなかったものかと思うが、丈夫さが支持される売価で千円弱の綿100%無地Tシャツ「United Athle 5001−01」にオンデマンド印刷を施し、売店や権利者の各社にマージンを払えばこんなものか。訪日外国人観光客の日本土産として、発見してもらえるかどうか。
新宿駅から小田急線の電車で約40分。町田市は東京都中部の南端に位置する、人口約43万人のベッドタウン。1908年に横浜と八王子を結ぶ鉄道が通じ、1927年に新宿と小田原を結ぶ鉄道が通じ、第二次大戦後の高度経済成長で住宅と人口が激増、町田駅付近に商業が集積した。駅弁はなかったが、2023年から朝に時々売られることがある。1927(昭和2)年4月1日開業、東京都町田市原町田六丁目。
まちだの駅弁の第2回または第2弾は、2024(令和6)年1月6日から8日までの、朝7時30分から9時頃まで販売。内容は日替わりだそうで、1月6日は40個を売ったという。この1月8日版は、日の丸御飯に鶏肉の味噌焼き、れんこんの青のり揚げ、さつまいも、伊達巻き、椎茸や人参などの煮物、ポテトサラダ、小松菜おひたし、赤カリフラワーなどを折り重ねた。今回の販売もネット上で紹介され、開店前に行列ができ、見た目に行楽客でも用務客でもない方々に買われていった。
まちだの駅弁の第3弾は、プロサッカーJリーグのFC町田ゼルビア戦の実施に合わせて2024年5月19日と6月1日の11時から、町田駅でなくスタジアム最寄り駅の鶴川駅の北口改札前で、一日100個を1,100円にて販売。第4弾は2024年9月21・22日に、町田市でもない新百合ヶ丘駅で同様に販売。引き続き、定期的な販売は行われていない。
※2024年10月補訂:以後の販売を追記2023(令和5)年9月16日から18日までの3日間、朝7時30分から一日40個または80個を販売。小田急町田駅で初めての駅弁。同駅の駅員が発案し、掛紙の絵柄も駅員が描き、中身は町田市観光コンベンション協会を通じて町田市内で障害者の活動を支援するNPO法人プラナスに依頼し、主に町田産の食材を使って調製、駅の机や椅子を使い、駅員が販売した。
長方形の木質エコ容器の、半分に白飯を詰め、しその葉を介した残る半分に豚肉、れんこん揚げ、かぼちゃやしいたけなどの煮物、ささがきごぼう、玉子焼、さつまいも、小松菜などを折り重ねる。調製元は町田市内でも、町田駅から相模原市を介してはるか遠くの相原町とある。「里山ごはん」の名にふさわしい、それぞれの食材に存在感のあるお弁当だった。
町田市は東京都の中部の南端に位置する、人口約43万人のベッドタウン。出土品より旧石器時代から現代まで人が住んでいたようだが、町になるのは鉄道ができてから。甲州や信州の生糸を開港へ短絡して運ぶためにできた横浜鉄道のちJR横浜線が原町田駅を設け、東京市内の地下鉄道ができなかった代わりに東京と小田原を短絡する電気鉄道を敷いた小田原急行鉄道のち小田急小田原線が新原町田駅を設け、第二次大戦後の高度経済成長で多摩丘陵の小山や台地が都市化されたことで、日に50万人が行き交う交通結節点となった。
1980年までにいずれも町田駅となった、横浜線と小田急線の駅に、駅弁はなかった。通勤電車の横浜線に駅弁の必要はないだろう。小田急線は特急ロマンスカーが1990年代には通勤に加えて観光でも利用され始め、しかし1976年から小田急百貨店が載り食品が豊富に売られる駅に駅弁売店はできず、その10時の開店前に駅弁(のような弁当)が買えないという声が駅に届き、この駅弁の販売とその販売時間に反映された。
この駅弁は見た目には、ミニコミ誌のネット情報を見た鉄道マニアと駅弁マニアだけに買われた感じ。販売時間前に待ち行列ができ、彼らにだけ買われて品切れた。この3日間の実績は、はたして今後につながるのだろうか。
東京駅から電車を乗り継いで約20分。大相撲の興行場の立地で知られる市街地。この隅田川に面した駅は、かつて東京の千葉方面への鉄道ターミナルであり、房総半島方面の急行列車などが多く発着し、1970年代には日本食堂両国営業所が東京駅や上野駅とは異なる駅弁を販売した。1972年の総武快速線の開業でその役割を東京駅に譲り、駅弁もなくなった。1904(明治37)年4月5日開業、東京都墨田区横網一丁目。
1977(昭和52)年7月3日9時の調製と思われる、昔の両国駅弁の掛紙。大きな山を背景に汽車が走る、両国駅を発着する千葉方面の列車にはなさそうな風景を描いた。調製元である日本食堂のロゴマークも、東京駅や上野駅と異なりここへ乗り入れる計画さえも無い新幹線の絵柄。
1974(昭和49)年5月18日の調製と思われる、昔の両国駅弁の掛紙。当時の日本食堂は東京都内の東西南北の鉄道ターミナルについて、南の港区海岸の調理所では東京駅弁を、北の台東区東上野の上野支店では上野駅弁を、東の墨田区横網の両国営業所では両国駅弁を、それぞれ調製していた。西の新宿駅には田中屋がいた。両国駅は千葉県方面のターミナル。絵柄は千葉の灯台や海岸の風景をイメージしたのだろう。1972(昭和47)年7月には総武本線が東京駅へ乗り入れ、東のターミナルも東京駅に移り変わっていく。
東京駅から京浜東北線の電車で20分。蒲田は東京23区の南部で、東急の多摩川線と池上線、京急の本線と空港線、JR京浜東北線が乗り入れる、商店街と宅地が広がる密集市街地。JR蒲田駅に駅弁があるとは紹介されないが、キヨスクの駅弁売店があるため、東京駅などと同じ駅弁の一部が買える。1904(明治37)年4月11日開業、東京都大田区蒲田五丁目。
蒲田駅の開業110周年を記念して、2014(平成26)年4月12,13日の両日に蒲田駅で販売。掛紙には京浜東北線の新旧の電車5種類の写真や、半世紀以上前の蒲田駅のイラストが使われる。中身はアサリとアナゴの御飯に、焼鮭、玉子焼、肉団子、煮物、漬物。東京駅の有名な駅弁「深川めし」に、その調製元である日本レストランエンタプライズ(NRE)が売る配送弁当のおかずを足した感じで、かなりボリュームがあった。