東京駅から電車で約45分。大船駅のある鎌倉市は、神奈川県の東部で相模湾に面した、人口約17万人の古都。13世紀に幕府と呼ばれる武家政権がここを拠点とし、農漁村に戻るも明治時代に別荘地や観光地として再興、文人や要人が好んで住んだり訪れた。東海道本線が横須賀線を分岐する大船駅では、1898(明治31)年から大船軒が駅弁を販売、鎌倉の文人や駅前の映画撮影所の関係者に親しまれた。1888(明治21)年11月1日開業、神奈川県鎌倉市大船1丁目。
1899(明治32)年2月の発売という、全国初のサンドイッチ駅弁。古風なデザインと駅弁誕生秘話の説明文を記した紙箱に、ハムサンド4切れと、チーズサンド2切れを収める。大船駅に限らず、首都圏の駅弁売店や、JR東日本の新幹線や特急列車の車内販売で、広く売られる。サンドイッチなど、様々な種類のものが全国津々浦々のコンビニエンスストアで365日24時間買えるからこそ、こんなシンプルなものが駅で生き残っていてもよい。
明治時代の発売当時のサンドイッチは、最高級の駅弁であり、今でいう幕の内弁当や助六寿司や牛肉弁当より高価であった。大船駅では、ここで駅弁を販売していた富岡周蔵が、親交のあった黒田清隆からのアドバイスにより、ハムを輸入しサンドイッチを作り、駅で販売した。後に駅弁で使うハムの自家製造を始め、その製造部門が分離独立した会社が、現在の鎌倉ハム富岡商会である。だからこの駅弁でも、富岡商会のハムを使用する。
調製元は長らく、大船駅弁の大船軒であったが、2011年までに当時の日本レストランエンタプライズ、かつての日本食堂、現在のJR東日本クロスステーションの、埼玉県戸田市の工場で作るようになった。さらに2023年4月には大船軒がJR東日本クロスステーションへ吸収合併され、大船での実態が名実ともに消えた。このサンドイッチはその後も引き続き、大船軒のブランドで、日本初の駅弁サンドウィッチをうたい、首都圏や東日本の各駅で売られる。
価格は2001年時点で350円、2007年時点で380円、2008年9月のリニューアルで480円、2012年時点で500円、2014年時点で530円、2022年12月から550円、2023年時点で580円。
※2023年11月補訂:写真を更新し会社消滅と値上げを追記2022(令和4)年11月24日に購入した、大船駅弁の紙箱。現物は価格を除き、上記の2023年のものと変わらない。下記のとおり大船駅の駅弁屋である大船軒は、このサンドイッチを調製しなくなり久しかったが、大船駅その他の駅の販売者としては、2022年度末まで存続した。
2014(平成26)年6月15日に購入した、大船駅弁の紙箱。上記の2022年のものと変わらない。食品表示ラベルに調製元の記載はなく、販売者に「(株)大船軒 SH」とあった。
大船駅弁のサンドイッチの、2011(平成23)年時点での姿。上記の2014年のものと、価格を除きまったく変わらない。リニューアルと同時かどうか、調製元が大船軒から日本レストランエンタプライズ(NRE)に変わった。今回購入したものの食品表示ラベルでは、製造者がNREになっていた。
※2017年4月補訂:新版の収蔵に伴い、解説文の大部分と写真を削除2008(平成20)年9月1日に従来の下記「サンドウィッチ」をリニューアル。掛紙のデザインを変えて、中身を鎌倉ハムのサンドイッチに統一、3切れにマーガリンを、3切れに粒辛子マヨネーズを塗っている。値段は100円も上がったが、駅構内にコンビニもデパ地下も進出してきた現在、駅弁としての、そして110年の歴史を刻むサンドイッチを売るには、彼らに似ないオリジナリティを復刻する方向に間違いはないと思う。地元のメディアが食い付いて、駅弁イベントに出品でき、オールドファンが泣いて喜ぶ再出発。しかし2010年9月14日限りで上記商品へリニューアル。
※2012年5月補訂:リニューアルを追記2008(平成20)年1月のさいか屋藤沢店の駅弁大会で復刻販売された、大船駅伝統の駅弁。1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃の掛紙を復刻し、確かにその文字が記されている。しかし掛紙をよく見ると、法定の容器包装識別表示や食品表示ラベルはともかく、当時になかった駅弁マークや公式サイトURLまで印字しており、これでは復刻ではなく創作になるような。箱の構造や中身や分量や風味に価格は、現行品と同一。
JR横浜支社が管内の駅弁屋4社を集めて2008(平成20)年1月26日と27日に横浜駅西口で実施したイベント「どんどん食べて!!記念・限定駅弁フェア」にて、目玉企画として販売された記念駅弁。一日20個に一時間の待ち行列ができていた。記念駅弁としてそこそこよくできあがった印象。そこそこ、なのは再現掛紙に似つかわしくない駅弁マークやURL等と、紙箱の安っぽさから。
紙箱にビニールシートを敷いてサンドイッチ6切れを詰め掛紙をかける内容は現行と同じ。サンドイッチの具が発売当時の鎌倉ハムで、その厚さは現在の倍、バターや辛子も当時のものを再現したという。価格は現行品の倍近いが、戦前のサンドイッチ駅弁は幕の内弁当より高価であったから、まだ安いとも言える。
チーズとハムのサンドイッチがそれぞれ3切れずつ、紙箱にぴったりと収まる。大船駅弁は大船・鎌倉駅の他に、戸塚・藤沢・茅ヶ崎・東戸塚・逗子の各駅でも購入可能で、一部商品は東京や横浜のデパートや売店でも販売される。この駅弁は2001年7月時点で350円、2007年7月に買ったら380円。
※2007年11月補訂:写真を更新2001(平成13)年7月7日に購入した、大船駅弁の掛紙。上記の2007年のものと同じ。中身を見比べると、当時はハムサンドが4切れとチーズサンドが2切れだった。
1960(昭和35)年3月16日11時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。大船駅弁のサンドイッチは、その歴史や知名度の割に、残されている掛紙が少ないと思う。
1939(昭和14)年1月8日7時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。富士山を背景に大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内を描く内容は、下記の1933年4月ものと同じであり、その構図を変えて新たに描き直されている。色彩はより明るくなり、しかし掛紙の右下には「昭和十三年三月十八日横須賀鎮守府検閲済」なる、今に振り返れば暗くなる文字が加わる。
1933(昭和8)年4月2日17時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。下記の1931年5月のものと同じく、富士山を背景に、大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内が描かれる。こちらのほうが不思議と図柄が明瞭で、調製元に電話番号が付記された。
1931(昭和6)年5月24日8時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。富士山を背景に、大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内が描かれる。大船駅と鎌倉山と江ノ島口と長谷を結ぶ実線には「日本最初ノ自動車専用道路」と付記される。江ノ島電気鉄道が鉄道を敷くために買収した土地を転用し、1930(昭和5)年に民間企業の日本自動車道が鎌倉山別荘地と江ノ島への交通機関として設けた、今でいうバス専用道路。現在は道路が鎌倉市と藤沢市の市道で、上空の多くが湘南モノレールに使われる。
1928(昭和3)年10月不明日6時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。湘南スケッチその3として国道藤沢付近の松を描いたデザインは、今の感覚ではサンドイッチ向けらしくないと思う。