新大阪駅から新幹線で35分。米原市は滋賀県の東部で琵琶湖に面した、人口約4万人の宿場町。重要な街道や鉄道や高速道路が交わる、交通の要衝である。駅弁は明治時代からの駅弁屋が健在で、マスや牛肉などの駅弁を売る。1889(明治22)年7月1日開業、滋賀県米原市米原。
会社発足時のJR東海が、東海道新幹線「こだま」停車駅の各駅の駅弁屋に900円の新作駅弁を作らせた駅弁キャンペーン「新幹線グルメ」の米原駅版として、1987(昭和62)年11月に発売。新幹線グルメは20世紀末に自然消滅したが、この駅弁は評判が良く、米原駅を代表する駅弁として販売が続く。
竹すだれの模様と、以前は添付したしおりの内容を印刷した紙容器を、和紙風プラ製で唐草模様の風呂敷で包む。過去には竹すだれの容器を使った。中身は半分がおこわ、半分がおかずで合鴨肉、鶏のくわ焼き、玉子焼、わかさぎ甘露煮、こんにゃく、さといも、わけぎぬた和え、梅干し、黒豆煮、赤かぶ漬、山ごぼう、サイコロに詰めた飴玉。おこわは春には山菜、夏には枝豆(過去にはそら豆)、秋や冬には栗(過去には冬は黒豆、正月三が日は赤飯)となり、今回は6月でも春の山菜だった。また、サイコロは「御縁がある」で必ず5の目を上にして、古くは六面すべてが5の目であった。
琵琶湖北部の村に住むおばあちゃんが、囲炉裏端で子供たちにお話を聞かせているような、ほのぼのとした光景をコンセプトとした、新幹線グルメ1の人気駅弁。価格は1987年の発売時で900円、その後長らく1,000円、2008年3月から1,100円、2014年時点で1,150円、2020年時点で1,200円、2023年時点で1,400円、2024年10月から1,480円。
米原はかつて長らく、駅名が「まいばら(Maibara)」、地名が「まいはら(Maihara)」と、読みが異なっていた。2005年2月14日の3町合併による米原市の誕生で、地名を駅名に合わせて「まいばら」と読むようになった。
※2024年11月補訂:写真を更新し値上げを追記2020(令和2)年1月15日に購入した、米原駅弁の風呂敷としおり。値段が徐々に上昇しているが、それ以外は変わらないと思う。
上記の駅弁「湖北のおはなし」の、2015(平成27)年時点での姿。食品表示の分量を除き、下記の2011年や2003年のものと、そんなに変わらない。この頃までには正月の赤飯バージョンの販売がなくなり、春は山菜、夏は枝豆(過去にはそら豆)、秋は栗、冬は黒豆のおこわを詰めていた。これは1月の駅弁大会で購入したものだが、秋の栗おこわを詰めた。
上記の駅弁「湖北のおはなし」の、2011(平成23)年1月時点での姿。価格の改定を除き、何も変わらない。中身でおこわが包装されているのは、おそらく遠隔地への輸送に対応したものであろう。冬なので、おこわが黒豆になっている。購入時の価格は1,100円。
上記の駅弁「湖北のおはなし」の、2003(平成15)年6月時点での姿。価格の改定を除き、何も変わらない。夏なので、おこわが枝豆になっている。購入時の価格は1,000円。
2015(平成27)年に米原駅で発売。真っ黒なニワトリを描いた真っ赤なスリーブに収めた、長方形のプラ容器に滋賀県産近江米の白飯を詰め、とりそぼろ、錦糸卵、鶏照焼のスライス6切れで覆い、パセリと赤かぶ漬で彩る、ほとんど鶏のお弁当。鶏肉が淡い風味でシンプルに味わえる。価格は2015年の発売時で800円、2019年時点で850円、2020年時点で900円、2022年時点で1,000円、2023年時点で1,100円、2024年時点で1,200円、10月から1,280円と、鶏飯の駅弁にしては割高に思える。
1990年代の発売か。弁当では脇役になるはずのおかか(かつおぶし)が主役になった、珍しいコンセプトを持つ駅弁。長方形の容器を、朱と白と商品名でできたシンプルな絵柄の掛紙で包む。中身は滋賀県産近江米の白飯の全面をおかかで覆い、白ごまを振り、刻み大葉と赤かぶ漬で彩り、玉子焼、鶏のくわ焼、わけぎぬた和え、サツマイモ、黒豆煮、枝豆、焼たらこを添えるもの。
揚げ物がないヘルシーさをうたう。メインのおかかごはんは、当然に常温ながら風味食感がふんわりあたたかい感じで、駅弁の名前から来る安っぽさを良い意味で裏切り、その存在の渋さを魅力とする声に納得できる。価格は2004年時点で800円、2014年時点で900円、2021年時点で容器を変えて1,000円、2023年時点で1,200円、2024年10月から1,300円。
※2024年11月補訂:写真を更新し値上げを追記上記の駅弁「井筒屋のおかかごはん」の、2004(平成16)年時点での姿。上記の2024年のものと、掛紙も容器も中身もほとんど同じ。当時の掛紙には「食べる気101%」という浮いたフレーズが付けていた。当時は「たこ・そば・こーら」という奇怪な駅弁もあり、そういう社風だったのだろう。2004年度のJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の対象駅弁。
米原駅の上等幕の内弁当。平たく浅い正方形のプラ容器に、透明なふたをして、茅葺き屋根の家屋の春夏秋冬を描いたスリーブで留める。中身は滋賀県産近江米の日の丸御飯、焼鮭、かまぼこ、玉子焼と、えびフライ、合鴨肉、玉ねぎ入り牛肉炒め、油揚げ入り小松菜煮、こんにゃく、黒豆煮、日野菜蕪漬け。駅弁の上等が今に生き残る感じ。価格は2003年時点で1,000円、2020年時点で1,050円、2022年時点で「近江の味」の名が付いて1,100円、2023年時点で1,250円、2024年時点で1,300円。
※2024年11月補訂:写真を更新し値上げを追記上記の駅弁「近江の味」の、2003(平成15)年時点での姿。当時は名前が付いていなかった。ふたの絵柄は、上記の2024年のものにも、そのまま引き継がれている。日の丸御飯に鮭塩焼・蒲鉾・玉子焼の幕の内駅弁三種の神器に、海老フライや薩摩芋の天ぷら、かぼちゃや里芋の煮物、そして米原駅弁を主張するような牛すきやき肉が少しと、デザートにこんにゃくゼリーという、中身はあまり変わらない上等幕の内駅弁。
JRの発足を記念して、1987(昭和62)年に発売。クリーム色のプラ製釜飯容器に、伊吹山や昔の茅葺き屋根の家を描いた掛紙をかける。中身は刻み油揚げ混じりのかやくごはんの上に、蒲鉾、鳥、海老、鶉卵、おかか、栗、椎茸、タケノコ、グリーンピース、紅生姜などが載せるもの。
よくありがちな釜飯駅弁ではあるが、風味も内容も何を言いたいのかよく分からない印象。また、季節の品物を入れているという具に季節は感じられなかった。釜飯駅弁容器は2003年3月に買ったときはプラ製、今回は陶製だった。価格は2007年の購入時で900円、後に950円、2008年3月から1,000円。2011年までに終売か。
※2015年8月補訂:終売を追記新幹線700系のぞみ号の登場に伴い、1999(平成11)年4月に発売か。おばんざいとは日常のおかずという味の京言葉、あるいは京滋(けいじ)地方の方言で家庭料理の意味だそうな。デザインも構造も簡素な長方形のボール紙容器を使用する。
中身は表面に書いてあるとおり、梅ごはんに肉じゃが、磯辺巻たまご、ナス煮、揚げだし豆腐、白菜の煮浸し、白あえなど。これが白いトレーに機械的に詰められているが、料理の見栄えと風味には家庭料理風の美しさがある。買って食べて良かったと思える駅弁は、出張にも観光にも向く。2007年の購入後、ほどなく終売か。
※2015年8月補訂:終売を追記1977(昭和52)年か1978(昭和53)年の、9月29日14時の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。1977(昭和52)年1月〜1978(昭和53)年10月の国鉄の旅行キャンペーン「一枚のキップから」の時代の掛紙で、珍しいことにその前の「ディスカバー・ジャパン」のアイコンを消さずに並べた。「近江民家シリーズ5」とし、昔の商家の建物の絵を2点掲載する。なお、1978(昭和53)年11月に国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」が始まると、そのアイコンも加えて3点を並べた掛紙が現存する。
1970年代、昭和50年前後の、4月15日12時の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。1970(昭和45)年10月〜1976(昭和51)年12月の国鉄の旅行キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の時代の掛紙である。「近江民家シリーズ6」とし、昔の商家の建物の絵を2点掲載する。米原そのものは鉄道の開通で町になったが、この地域が滋賀県ではなく近江の国であった頃は、全国を股に掛ける商人の拠点として賑わった。
昭和30年代、1960年前後の、6月16日17時の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。おかずの掛紙は琵琶湖の風景か。平安時代末期の西行法師の歌集「山家集」に収められた短歌「おぼつかな 伊吹おろしの 風さきに 朝妻舟は 会ひやしぬらむ」を記し、その当時に現在の米原市朝妻と大津を結んだ渡船である朝妻舟を描いた。
1950年代のものと思われる、昔の米原駅弁の掛紙。琵琶湖をバックに竹生島と賊ヶ嶽を描くが、いずれも今となってはけっこう不気味な絵柄のような。電話番号はなんと一桁。
1950年代のものと思われる、昔の米原駅弁の掛紙。上の掛紙とまったく同じ。調製印に月・日・時しか書かれないため、いつのものか分からないところも同じ。
1938(昭和13)年10月20日8時の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。伊吹山は米原駅の北東約15km、車で行ける日本百名山。麓から歩いても日帰り登山ができ、当時も絵柄のような軽装で鋭気を養えたのだろう。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。米原駅の構内営業者が調製し販売しただろう、20銭のおまんじゅう。
1938(昭和13)年3月26日2時の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。上と同じでやはり何を描いているのか分からないが、湖はたぶん琵琶湖だろう。デザインが地味なのは、世情なのか駅弁屋の個性なのか。
おそらく1930年代、昭和10年前後のものと思われる、昔の米原駅弁の掛紙。収集者は昭和4年か5年のものと推定し、掛紙にそう記した。調製元の加藤利恵について、現在の米原駅の駅弁屋である井筒屋より早く1890(明治23)年に先代の加藤鎌次郎が米原駅で駅弁や雑貨の立ち売りを始め、1897(明治30)年頃か1899(明治32)年に後の井筒屋となる宮川利八に弁当業を譲渡し、サンドイッチや焼豚などを販売したという。となると、この洋食御弁當とは何だろうか。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の米原駅弁の掛紙。奉祝とは、1928(昭和3)年11月の昭和天皇御大典のことだろうか。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の米原駅弁の掛紙。琵琶湖と島の略図を描く、とても小さな掛紙。
1919(大正8)年9月3日の調製と思われる、昔の米原駅弁の掛紙。琵琶湖と竹生島と多景島と、米原駅や彦根駅付近の鉄道路線図を描く。近江鉄道で1931年3月に開業した米原・彦根間が描かれていないことと、意見等の記入欄があることから、1933(昭和8)年のものでないと判断。