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 旅の友「駅弁」。実際に食べた駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本・JR東海 東京(とうきょう)駅 JR Tokyo Station
2017(平成29)年1月訪問 GoogleMap「東京駅」

駅名標 駅舎 駅構内

東京と日本の中央駅。東海道・山陽・東北・上越・山形・秋田・北陸の各新幹線、東海道・中央・総武・東北の各線、山手線や京浜東北線などの電車が、一日あたり3000本以上行き交い、100万人以上の利用者で終日賑わう。駅弁はJR東日本やJR東海の子会社のもので約100種類とも、エキナカの商品を含め400種類以上とも、デパ地下の弁当を含め1000種類以上とも言われ、さらに全国各地の駅弁も集まり、こちらも日本最大。1914(大正3)年12月20日開業、東京都千代田区丸の内1丁目。

【終売】さよなら『初代つばさ』400系記念弁当(1,000円)2010年4月11日に東京駅の「東日本縦断駅弁大会」で購入
Sayonara Syodai Tsubasa 400-Kei Kinen Bento (end of sales)

掛紙 外観 外観 中身 中身 中身

山形新幹線400系電車の引退を記念して、2010(平成22)年4月1日から18日まで、東京、上野、大宮の各駅で販売された記念駅弁。購入品は電車の顔写真を8個も使った銀色の掛紙を使うが、他にもう2種の別デザインがあったそうな。

プラ製トレーを接着して透明なふたをかけた長方形の容器の中身は、白御飯の上に山形豚の味噌焼を貼り、こごみとレンコンをさらに貼り、山形産のジャンボマッシュルームの揚げ物も載せ、玉こんにゃくやおみ漬や赤かぶ漬を添えるもの。記念弁当であるから味や中身は二の次だが、若者向けで意外にいける。もし山形駅にもNREが進出してしまった際には、定番の駅弁にできるのではないかと思う。

山形新幹線は1992(平成4)年7月に東京駅と山形駅の間で開業し、1999(平成11)年12月に新庄駅まで延伸された。在来線である奥羽本線の福島以北で線路の幅を新幹線と同じ1,435mmに広げ、しかしトンネルの断面は広げられないので在来線と同じ大きさの電車を製造し、新幹線と在来線で乗り換えのない直通運転を実現したもの。山形駅までの事業費520億円のうち国が47億円を補助、山形県が46億円と山形市が9億円を出資した山形ジェイアール直行特急保有という会社が資金調達と施設整備と車両保有を担当し、JR東日本が会社へリース料を支払っている。

その際に製造されたのが写真の400系電車。新幹線の区間は交流2.5万ボルトを受電し時速240kmで、在来線の区間は交流2万ボルトを受電し時速130kmで走り、見た目は大きいが在来線特急と同じサイズに収めている。2008年12月から2010年4月にかけて後継のE3系電車に置き換えられて、掛紙記載のとおり4月18日運転の「つばさ18号」を最後に引退した。実は登場時と引退時で塗色が異なる。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551

【終売】さよなら寝台特急富士★はやぶさ記念弁当(1,000円)2009年3月1日に東京駅の駅弁売店で購入
Sayonara Shindaitokkyu Fuji Hayabusa Kinen Bento (end of sales)

掛紙 外観 外観 外観 中身 中身 中身

2009(平成21)年3月14日JRグループダイヤ改正による、東京〜熊本間の寝台特急列車「はやぶさ」と東京〜大分間の寝台特急列車「富士」の廃止に伴う記念弁当で、3月1日から14日まで東京駅と鉄道博物館で販売。今回は掛紙の差し替えはなく、1種類で通して発売した。なお、3月7〜8日の横浜駅西口での廃止記念グッズ販売イベントでは、掛紙の絵柄が異なるものを販売していた。

木目柄で正方形の容器にボール紙のふたをして、箸袋に駅弁の名前が書かれた割りばしを置いて輪ゴムで留めて、寝台特急列車「富士・はやぶさ」の写真を載せた掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。その色調は記念対象列車の車体色にちなんだ青色で、同色のビニール袋も添付。

中身は列車の運転区間の沿線にちなみ、富士山を模した赤飯とカニフレークにはやぶさ型のニンジンを置き、東京でベッタラ漬、横浜で焼売、静岡で抹茶わらび餅、名古屋で味噌カツ、京都で豆腐湯葉磯辺揚、大阪でたこ焼き、山口で有頭海老素揚、福岡で高菜炒め、熊本で辛子蓮根、大分で椎茸煮、その他玉子焼などを詰める。風味はいつものNRE。中身や価格や味がどうであれ、掛紙で買われていった記念駅弁だろう。

国鉄の分割民営化(1987年)から22年、旧国鉄の看板商品であった九州ブルトレこと東京〜九州間の寝台特急列車群が、全廃される日が来るとはまさか思われなかったであろう。廃止の理由を公式や報道では利用減としかしなかったが、JR発足直後のテコ入れの効果が上がらなかった実績があるにせよ、当館の各地に書いていると思うJR東日本・東海・九州の各社の都合により、体よく安楽死させられて3社ともハッピー、と思えてならない。本列車の廃止後にJR九州が余剰車両を利用して九州各地でブルトレツアーを主催して人気と収入を得ているとは、皮肉が効いていると思う。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551

【終売】さよなら寝台急行銀河記念弁当(1,000円)2008年3月14日に東京駅在来線コンコースの駅弁売店で購入
Sayonara Shindai Kyuko Ginga Kinen Bento (end of sales)

掛紙 外観 外観 中身 中身

2008(平成20)年3月15日ダイヤ改正に伴う東京〜大阪間の寝台急行「銀河」の廃止を記念して、同年同月12〜14日の3日間に東京駅と鉄道博物館で販売された記念駅弁。同列車の牽引機関車とテールマークを掛紙に使用する。

中身は列車の運転区間にちなんだそうで、あさりご飯と煮物が東京、焼売が横浜、ウナギの小片が載る白御飯に味噌カツが名古屋、漬物で京都、たこ焼で大阪。その他は赤魚焼、玉子焼、汽車型の蒲鉾、菜の花、鶏唐揚、和菓子など。2年前の「さよなら出雲記念弁当」と似たようなもの。日替わり掛紙で10日間連続発売を敢行した前回と違い、今回は3日間とも共通の掛紙だった。

東京と関西を結ぶ夜行列車は1889(明治22)年の東海道本線全通で始まり、1949(昭和24)年に東京〜神戸間の夜行急行列車1往復に「銀河」の名が付く。その後に7往復まで増えた同種列車は、1964(昭和39)年の東海道新幹線の開業により「銀河」1往復を残して廃止されるが、新幹線や飛行機よりも遅い時間に出発でき、翌朝の各始発便より早く目的地に着ける利便性から、国鉄夜行バス「ドリーム号」とともに、昼間の交通機関と長い間共存していた。

しかし1987(昭和62)年の国鉄分割民営化以降は利用が漸減し、2008年3月14日限りでの廃止が決まることになる。新幹線の高速化や飛行機の増便に大衆化、夜行バスの成長の影響もあるだろうが、廃止の主因はJRの希望によるものだろうし、約30年間も放置された車両や時刻や運賃は利用減を期待したのではとも見える。列車を担当したJR3社のうちJR東日本が田町の車庫の再開発事業への転用を希望し、JR東海が電車でも気動車でもない機関車牽引の列車を毛嫌いし、JR西日本は特に利害がなさそうだが他2社の反対に対抗する材料もないだろう。近年の夜行バスが運賃や設備やダイヤを多様化し、航空が運賃や座席や予約を多様化する一方で、鉄道は日中短時間への一様化が進んでいる。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551

【終売】さよなら出雲記念弁当(1,000円)2006年3月10日に東京駅の駅弁売店で購入
Sayonara Izumo Kinen Bento (end of sales)

掛紙 外観 外観 外観 中身 中身

2006(平成18)年3月18日JRグループダイヤ改正による、東京〜出雲市間の寝台特急列車「出雲」の廃止に伴う記念弁当。掛紙写真を事前に募集し、2006年3月8日から17日まで合計10種類の日替わり掛紙を使用した。写真はその3月10日版。

経木枠の正方形の容器にビニールをかけて、お品書きを載せて経木のフタをして輪ゴムでしばり、公募写真を1点載せたレーザーカラープリンタの掛紙をかけて、麻ひもで十字にしばる。中身は10日間共通で、うなぎが載る白御飯と、アサリとカニが載る茶飯、赤魚照焼に蒲鉾に玉子焼につくねやコノシロ、里芋などの煮物に菜の花やなめこなど。中身は可もなく不可もなく。しかし掛紙完集を目指して10日間同じものを食べ続ければ、数日で飽きてそのうちウンザリしそうな内容。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551

【掛紙】さよなら出雲記念弁当(1,000円)2006年3月11日に東京駅の駅弁売店で購入
Sayonara Izumo Kinen Bento

掛紙

2006(平成18)年3月11日の調製である東京駅弁の掛紙。上記駅弁の3月11日版。「出雲」の写真が入れ替わり、掛紙の色調が変わり、さらに掛紙上部の電気機関車がディーゼル機関車に変わっている。中身は当然に同じ。

国鉄の分割民営化は、結果的に寝台特急列車の息の根を止めた。経由全社の合意を経るという煩雑な手続きのために、車両の更新は止まり、ダイヤの改善も止まり、乗客の減少とサービスの低下を繰り返したあげく、列車本数の漸減が進んだ。見方を変えれば、昭和50年代に経営難の国鉄が打ち出して世論の反発と政治問題を招いた、夜行列車の全廃を進めることができたとも見える。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551

【掛紙】さよなら出雲記念弁当(1,000円)2006年3月12日に東京駅の駅弁売店で購入
Sayonara Izumo Kinen Bento

掛紙

2006(平成18)年3月12日の調製である東京駅弁の掛紙。上記駅弁の3月12日版。「出雲」の写真がまた入れ替わり、掛紙の色調がまた変わり、さらに掛紙上部のディーゼル機関車が少し動いている。中身は当然に同じ。当館の収蔵はここまで。

「出雲」廃止の表向きの理由は、利用の減少と東京駅の発着容量の不足。前者は30年も旧態依然で走っていれば当然だが、後者は寝台特急が減少しているので理解し難い。ただ、これを翻訳して、国鉄分割民営化時の協定によりJR東日本は「出雲」の収入のうち東京〜熱海間の分しかもらえないのに、日中に田町の車庫を1線使われてしかも車内整備をしなければならず、その経費負担に嫌悪を示している、とすれば理解しやすい。当時に6往復を数えた東京駅発着の寝台特急は、電車併結の「サンライズ出雲・瀬戸」と客車の「はやぶさ・富士」併結の2往復に減少し、JR東日本が望むであろう全廃も近いかもしれない。

販売駅
東海道本線 東京(とうきょう)駅 1914(大正3)年12月20日開業 東京都千代田区丸の内1丁目
調製元
株式会社 NRE大増 東京都荒川区西尾久7−48−1 03(3810)7551