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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 小田原(おだわら)駅 JR-East Odawara Station
2015(平成27)年9月訪問 GoogleMap「小田原駅」

駅名標 駅舎 駅構内

東京駅から新幹線で3駅35分。小田原市は神奈川県の南西部で相模湾に面する人口約19万人の城下町かつ宿場町。関東地方の西の出入口として、戦国時代や江戸時代に歴史の舞台となった。駅弁は明治時代に国府津駅で創業した、東海道本線では最古の駅弁屋が健在だが、実態はJRや小田急の子会社が近隣のものを含めた駅弁を集めて売る。1920(大正9)年10月21日開業、神奈川県小田原市栄町1丁目。

【掛紙】鯛めし(500円)Taimeshi
1986年1月19日調製 Jan. 19, 1986

掛紙

1986(昭和61)年1月19日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。つまり下記の駅弁「鯛めし」と同じロットである。駅弁の掛紙など通常は容器と一緒に惜しげなく捨てられるから、何十年も保存すると駅弁の価格以上の価値が出るのだが、なぜか東華軒の小鯵押寿司と鯛めしの掛紙は残存率が異様に高いようで、価値は出ないしこのように同じ日の物が出てきたりする。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(500円)Taimeshi
1986年1月19日調製 Jan. 19, 1986

掛紙

1986(昭和61)年1月19日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。前年のものと比べて、価格を含め変化はない。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(500円)Taimeshi
1985年6月26日調製 Jun. 26, 1985

掛紙

1985(昭和60)年6月26日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1976年11月のものと比べて、価格が200円上がり、雰囲気を変えないままデザインが少々手入れされている。材料の注意書きは削られた。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(300円)Taimeshi
1976年11月23日調製 Nov. 23, 1976

掛紙

1976(昭和51)年11月23日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1975年11月のものと、まったく変わらない。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(300円)Taimeshi
1976年6月13日調製 Jun. 13, 1976

掛紙

1976(昭和51)年6月13日の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。絵柄は上記のものと同じ。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(300円)Taimeshi
1975年11月16日調製 Nov. 16, 1975

掛紙

1975(昭和50)年11月16日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1972年2月のものと比べて、価格が100円上がり、大阪万博開催に伴う新幹線16両編成化を機にか新幹線の編成案内がなくなり、左端の「お願い」の文面が変更されるなどの変化が見られる。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(200円)Taimeshi
1972年2月12日調製 Feb. 12, 1972

掛紙

1972(昭和47)年2月12日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。デザインは現在の「鯛めし」と同じだが、現在と異なり当時は容器に掛紙をかけていた。「大鯛・大鮃(ひらめ)・鰆・梶木鮪にて調製」と書かれているとおり、この頃にはすでにタイの高騰で代用品が使われていた。あまり知られていないが、現在もそうである。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市栄町1−2−38 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(100円)Meibutsu Taimeshi
1964年1月21日調製 Jan. 21, 1964

掛紙 掛紙

1964(昭和39)年1月21日16時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。絵柄は下記の1962年のものと同じで、調製元の所在地表記と電話番号が変わった。同じ日時の掛紙を2枚入手。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市緑4−554 0465(22)8101

【掛紙】鯛めし(100円)Taimeshi
1962年7月1日調製 Jul. 1, 1962

掛紙

1962(昭和37)年7月1日17時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。海に赤いタイが跳ねる、過去にも現在にも他の駅にも共通する絵柄も、その形は下記の第二次大戦前や上記の1970年代以降とも異なる。当時は「おたのしみ弁当」「かまぼこ弁当」「サンドウイッチ」が小田原駅弁の主力であったことがうかがえる。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 神奈川県小田原市緑4−554 0465-5061

【掛紙】鯛めし(30銭)Taimeshi
1941年5月19日調製 May 19, 1941

掛紙

1941(昭和16)年5月19日の調製と思われる、昔の国府津駅弁の掛紙。調製元も名前も価格もおそらく内容も、小田原駅弁と同じものだと思うが、掛紙には国府津駅と書いてある。海を跳ねる赤いタイに、以前や以後の小田原駅や熱海駅の駅弁掛紙にない富士山が描かれた。

販売駅
東海道本線 国府津(こうづ)駅 1887(明治20)年7月11日開業 神奈川県小田原市国府津4丁目
調製元
株式会社 東華軒 国府津駅構内 連絡先の記載なし

【掛紙】鯛めし(30銭)Taimeshi
調製年月日不詳 1940's

掛紙

1940年頃、昭和10年代のものと思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。上記の1941年5月の国府津駅弁と、同じものを描くが、調製元の駅名に、左側欄外の注意書きや、タイの形や波しぶきの粒数が異なり、別の版として描き分けたことがわかる。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
株式会社 東華軒 小田原駅構内 連絡先の記載なし

【掛紙】鯛めし(30銭)Taimeshi
1931年3月12日調製 Mar. 12, 1931

掛紙

1931(昭和6)年3月12日16時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。35銭の価格が30銭に訂正されている。赤いタイが海を跳ねる構図は、小田原駅弁でも他の駅でも、明治時代から令和の世まで広く使われる。調製元は「熱海線小田原駅構内 東華軒出張所」とある。1889(明治22)年7月に新橋駅から神戸駅まで全通した東海道本線で、国府津駅〜沼津駅で勾配の緩和し所要時間と輸送力を改善するために別線を設けることとなり、1920(大正9)年10月に国府津駅〜小田原駅の支線が開通した。この支線が熱海線であり、3度の延伸で1925(大正14)年3月に熱海駅へ達し、1934(昭和9)年12月の丹那トンネルの完成で東海道本線がこちらに移った。これは熱海線が熱海駅止まりだった頃の掛紙で、国府津駅の駅弁屋が小田原駅に出張所を設けたことがわかる。

販売駅
東海道本線 小田原(おだわら)駅 1920(大正9)年10月21日開業 神奈川県小田原市栄町1丁目
調製元
東華軒出張所 熱海線小田原駅構内 連絡先の記載なし