東京駅から新幹線ひかり号で一時間半。浜松市は静岡県の西部で太平洋の遠州灘に面する、人口約79万人の城下町。2005年に2市8町1村を編入し、天竜の山奥まで市域を拡大した。楽器やオートバイなどの工業でも、ウナギやミカンなどの農水業でも知られ、県庁所在地に負けない活力を持つ。駅弁は江戸時代に創業し明治時代からの駅弁屋が、新幹線ホーム上や改札外などで駅弁を販売。1888(明治21)年9月1日開業、静岡県浜松市中区砂山町。
東京駅から新幹線こだま号で1時間45分。掛川市は静岡県の西部で太平洋の遠州灘に位置する、人口約11万人の城下町。全国有数の茶所であり、県内有数の工業都市でもある。駅弁は、1988(昭和63)年に新幹線の駅ができたことで、浜松駅弁の一部が売られるようになった。1889(明治22)年4月16日開業、静岡県掛川市南1丁目。
浜松駅の駅弁屋の店舗で、最も安かったウナギ弁当。簡易パッケージのお得なうなぎ弁当なのだそうな。持ち帰り弁当チェーン店向けの容器に、白御飯を詰めて、ウナギ蒲焼きを置き、タレ、山椒、大根桜漬を添え、食品表示ラベルを貼る。かつての駅弁を知る身にとっては、暴騰したウナギの分量が寂しい限り。購入時点で下記の「うなぎ弁当(赤ワイン仕込み)」(2,580円)と「松うなぎ飯」(2,780円)も、販売は継続されているが、もはや浜松駅弁の主力ではなかった。値段は2014年の購入時で1,750円、2020年時点で1,820円、2021年時点で1,620円。
※2021年3月補訂:値下げを追記2000(平成12)年の発売。浜松駅弁のウナギ弁当の筆頭格。容器に白御飯を敷き、赤ワインで仕込んだというウナギの蒲焼きを載せて、タレ、山椒、わさび漬けカップを添えるもの。ウナギは確かにふんわり柔らかく、好評にも肯けるが、そのため従来の駅弁「うなぎ飯」は注文生産となってしまった。
浜名湖や浜松や静岡県は、もはや日本一のウナギの産地ではない。ここは第二次大戦後に産地として名を上げ、最盛期には国内の養殖ウナギの7割が静岡県産という時期もあったが、1983(昭和58)年に都道府県別ウナギ生産量の首位が愛知県に交代して以来、近年は愛知県と鹿児島県の一騎打ちである。静岡県は3〜5位あたりに付けているから、まだ上位に付けていることには間違いないが、年間の生産量からすると、愛知や鹿児島の4分の1程度に留まる。
それでも昭和の丸顔の新幹線に親しみ、駅や車内でウナギ弁当を食べた世代からすれば、浜名湖や浜松駅といえば、ウナギやその蒲焼きを想像せずにいられない。ただ、ウナギがあまりにも高騰し、ここの駅弁での価格が二千円を超えてしまったことから、現在の浜松駅弁の主力はウナギではないとも聞く。価格は2000年の発売時で1,200円、後に1,300円、2012年の購入時で2,100円、2014年時点ではなんと2,500円。2015年時点で2,430円、2019年時点で2,650円、2020年時点で2,700円、2021年時点で2,450円。
※2021年3月補訂:値下げを追記2011(平成23)年4月17日に購入した、浜松駅弁の掛紙。コンピュータグラフィックの香りがするデザインが販売開始から10年以上使われていた。そしてなんといっても、現在と価格が大きく異なる。シラスウナギの入手難により上がる一方のウナギ相場は、2012年に倍額のキロ4000円台へ高騰、鰻丼の価格も当然に上がり、老舗のうなぎ屋の廃業が相次ぎ、駅弁もこうやって高騰した。
2002(平成14)年3月16日に購入した、浜松駅弁の掛紙。上記の2011年のものとだいたい同じだが、値段が100円安いことと、当時は「濱松」ではなく「浜名湖」を名乗っていたことと、食品表示ラベルがなかったことがわかる。この時は中身に薬味も入っていた。
浜松駅で買えた、うなぎ弁当。駅の高架下の商業施設「コスタ」で、公式な駅弁屋を含め3社の弁当販売店が並び、それぞれにウナギの弁当を販売する。これは一番奥の「浜名湖養魚漁協直営店 丸浜」の商品。同じ中身でウナギの量や大きさが異なる「浜名湖」(1,800円)「直虎」(2,700円)「家康」(3,200円)の3種類があり、その中で最も安いものを購入した。
ふたにふちのある発泡材容器を、商品名を描いた橙色のスリーブにはめる。中身は白飯をウナギの蒲焼きで覆い、柴漬けとタレを添えるもの。赤黒いウナギは、脂が控えめで白身魚の食感がある、スーパーやファストフードの脂と弾力と柔らかさが豊かなものでない、浜名湖沿岸で定評の鰻屋で食べる鰻重の味を持つと思う。調製元はその名のとおり、浜名湖地域の養殖漁業の振興と発展を目的に、1949(昭和24)年に設立された協同組合で、ウナギの加工販売も行い、浜松市内に直営店3店を持ち、浜松駅と遠鉄百貨店では弁当も売る。
※2022年11月補訂:写真を更新し解説文を整理2014(平成26)年4月6日に購入した、浜松駅のお弁当の掛紙。2022年のものと、中身は同じ。掛紙と容器は異なり、比べれば当時は駅弁や高額なお弁当らしくない姿だったように思える。
浜松駅で買えた、うなぎ弁当。駅の高架下の商業施設「コスタ」で、公式な駅弁屋を含め3社の弁当販売店が並び、それぞれにウナギの弁当を販売する。これはその真ん中の「浜名湖山吹」の商品。同じ掛紙と中身で、ウナギ蒲焼きの量や形が異なる1,500円、1,800円、2,100円。3,000円の4種類があり、その中で最も安いものを購入した。
ふたにふちのある発泡材容器に、商品名とアピール点を書いた掛紙を巻く。中身は白飯をウナギの蒲焼きで覆い、2種の漬け物を添えるもの。つまり鰻重。色も風味もあっさり白いウナギを、塩気の強いタレでいただく。調製元は静岡と東京に4店舗を持つウナギ販売店で、1948(昭和23)年にうなぎの養殖で創業し業態を変えていったという。
※2022年11月補訂:写真を更新し解説文を整理2008(平成20)年7月26日に購入した、浜松駅のお弁当の掛紙。上記の2022年のものと、絵柄は異なるが素材は共通。容器の形は違うが、中身は変わらない。2012年にウナギの価格が急騰する前は、うなぎ弁当は日本全国で千円前後にて買えた。
2004(平成16)年12月5日に購入した、浜松駅のお弁当の掛紙。その絵柄は異なるが、容器や中身は2008年のものと同じ。当時は浜松駅の改札外コンコースに屋台を出して、このうなぎ弁当を販売していた。
2006(平成18)年の秋頃に発売か。経木枠のちょっと深めな長方形容器を、濃緑色でよく見るとファンシーな絵柄をちりばめた掛紙で包む。中身はタレ御飯の上に薄焼き玉子を敷き、ウナギ蒲焼きを2切れ置いて、わさび漬、ウナギ肝佃煮、奈良漬を添付するもの。
つまりシンプルな鰻重で、かつての「うなぎ飯」の復活だろうか。この価格だから見栄えや風味はまともだが食感は並、タレを添えず塩辛い鰻蒲焼にこの値段を払えるかどうか。ただ、見栄えではウナギの肉感がけっこういい味を出していた。価格は2007年の購入時で1,500円。その後のウナギの高騰を受けて2013年時点で2,300円、2014年時点で2,700円。2015年時点で2,630円。2020年までに終売か。
浜松駅では2006年から2007年までの高架橋耐震補強工事に伴う駅構内改装で、改札外コンコースや在来線改札内から駅弁売店が一掃され、高架下のデパ地下風商業施設へ移転してしまった。おそらく新幹線ホーム上には駅弁売店があるのだろうが、前記の販売形態であればただの街弁。他のウナギ蒲焼き業者2店と並んで、駅弁として見慣れていた商品を売っていた。
※2020年4月補訂:終売を追記2001(平成13)年の発売。長方形の発泡材容器を使用。御飯の上に白ワインで仕込んだ浜名湖産鰻の蒲焼を、薄口のタレで仕上げて載せる。つまり上記「ふんわり赤ワイン仕込蒲焼きうなぎ弁当」の白ワイン版で、あちらは鰻蒲焼の色が赤黒いがこちらはクリーム色、そしてミニサイズの安倍川の本ワサビが樹脂のすりがねと一緒に入っている。見栄えは「赤」が良いが味は「白」が良いという噂。現在は販売されていない。
※2013年5月補訂:終売を追記赤い薄手の樹脂製容器をボール紙の枠に入れる。中身は御飯に錦糸卵を敷いて鰻蒲焼を載せる、駅弁の名前どおりの鰻丼。駅弁大会で冷たい状態のものを購入し食べたら、御飯がパサパサで錦糸卵はゴワゴワ、メインの鰻蒲焼はゴム板を食べているよう。どうも美味しくいただくには電子レンジ等での加熱が必要なようで、ふたにもそれを勧めるシールが貼られる、冷めたら駄目な、駅弁らしくない駅弁。現地では他の鰻飯駅弁と同様、暖かい状態で販売されているものと思われる。2004年頃までの販売か。
※2015年10月補訂:終売を追記1916(大正5)年の発売。うなぎ弁当は駅弁としてでも日本全国で食べられるが、浜松の「うなぎ飯」は本場だけに格上。コクではなくキレのある鰻が、白飯の上にたっぷりのタレと共に載り、漬物類と共に鰻の肝の佃煮が添えられる。量は少なめで値段もそれなりだが、浜松を訪れる際にはぜひ買い求めたい。
1981(昭和56)年1月4日10時の調製と思われる、昔の浜松駅弁の掛紙。引き続き掛紙の絵柄に変化はなく、1978(昭和53)年11月からの国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」のロゴマークが入り、ついでに注意書きの内容が少し変化した。「株式会社高島屋大阪支店」の調製印があるため、同店での駅弁催事で売られたものなのだろう。
1972(昭和47)年7月21日の調製と思われる、昔の浜松駅弁の掛紙。調製印に加えて価格と「DISCOVER JAPAN」ロゴマークから、調製時期に関して疑いはないが、それがなければもっと昔の時代を名乗っても大丈夫そうな、古風なデザインの掛紙である。
1960(昭和35)年8月21日の調製と思われる、昔の浜松駅弁の掛紙。上記の1972年7月のものと、文字のレイアウトは異なるが、基本的な絵柄は変わらない。「四時間以内に御召上り下さい」のスタンプが押されている。
1935(昭和10)年9月25日0時の調製と思われる、昔の浜松駅弁の掛紙。下記の1932年10月のものと同じ。欄外左側の注意書きが、少し短くなった。
1932(昭和7)年10月3日10時の調製と思われる、昔の浜松駅弁の掛紙。価格は30銭や35銭だった幕の内弁当より、やや高め。浜名湖と弁天橋と帆掛け舟などが描かれていると思う。浜松が日本一のウナギの産地として栄えたのは戦後昭和の時代だが、東京の養魚家である服部倉次郎が養殖の適地として浜名湖沿岸で養鰻を開始したのは1900(明治33)年であり、1916(大正5)年には駅弁になり、大正時代末期までには有数のウナギ産地となっていた。