1960年代のものと思われる、昔の彦根駅弁の掛紙。絵柄は彦根城と、あとふたつは何だろうか。彦根駅では1900年代から1990年代まで駅弁が売られたが、1960年代にとりめしとちらしずしがあった以外は、幕の内弁当のみを販売したらしい。
名神高速道路の多賀サービスエリアで売られていた柿の葉寿司。柿の葉に包まれた押寿司が、サバが4個にサケが4個、割りばしや甘酢生姜ごとボール紙の箱に収まり、見本写真と商品名を描いた包装紙に包まれる。関西ではどこでも買える柿の葉寿司、あるべきものがあるべきところにある安心感がある。同じ商品が他所のサービスエリアや売店でも、きっと買えることだろう。
調製元は京都府加悦町、現在の与謝野町が1999年に設立した、冷凍米飯加工事業と精米事業を持つ第3セクター。玄米ごはん、焼き鯖寿司、そしてこの柿の葉寿司と、どこでも作っている商品を作る工場に補助金と交付金を何億円も注いでおり、何かコトがあればワイドショーで散々に叩かれるだろうが、地元の米をただ売るだけではなく付加価値を付け、そこに雇用も生むことそのものは、正しい地域振興の姿だとも思う。
京都駅から電車で2駅9分。大津市は滋賀県で琵琶湖の南岸に位置する、人口約34万人の県庁所在地。琵琶湖の港町として栄えたが、1880(明治13)年の逢坂山トンネルの開通以来、京の都と近くなりすぎ、以後は京都の衛星都市やベッドタウンという性格を持つと思う。駅弁はない。1921(大正10)年8月1日開業、滋賀県大津市春日町。
1960年代の調製と思われる、昔の大津駅弁の掛紙。調製元や商品名や絵柄は下記の駅弁「幕の内御辨當」と同じでも、価格や駅名の表記がないため、駅でなく街で売られた弁当だろうか。
1960年代の調製と思われる、昔の大津駅弁の掛紙。「東海車販株式会社」の押印があるため、駅でなく列車内で売られたものだろう。絵柄は「縁結びの符」だそうな。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の大津駅弁の掛紙。掛紙に描かれるのは琵琶湖であろうか。大津駅は、滋賀県の県庁所在地の代表駅であるにもかかわらず地味な印象で、現在は駅弁販売駅にさえなっていない。
1920(大正9)年5月21日の調製と思われる、昔の大津駅弁の掛紙。名所案内を隠す位置に「空瓶、空土瓶、折箱丼等を窓より投けらるると線路工夫などが怪我しますから腰掛の下にお置き下さい」の注意書きを貼る。この時代の駅弁掛紙には、窓から物を投げるな旨の注意書きがあって当たり前だった。