東京駅から新幹線で約5時間。福岡市は福岡県の西部で玄界灘に面する、人口約160万人の城下町かつ港町。政令指定都市かつ福岡県の県庁所在地で、九州の鉄道や経済の中枢である大都市。駅弁は主に新幹線ホーム、新幹線コンコース、改札外の東西自由通路の売店で、地元や九州一円や西日本のものが多種売られる。1889(明治22)年12月11日開業、福岡県福岡市博多区博多駅中央街一丁目。
2020(令和2)年の12月までに、博多駅と新幹線小倉駅で発売か。専用の紙箱に見える建物は、明治時代の博多駅舎の写真をぼかしたものか。この容器に収めた黒いプラ製トレーに、梅と胡麻を振りかけた白飯、かまぼこと玉子焼と焼きサバときんぴらごぼう、筑前煮と紅白なます、鶏照焼とうぐいす豆、焼売と野菜コロッケ、明太子ほぐし、大根の醤油漬けを詰める。旅や観光よりも普段使いに向いたお弁当か。これは博多か、幕の内弁当かと問われると、いずれも弱いような気がする。
2010年代までには博多駅で発売か。市販の仕出し弁当向けボール紙容器に「幕の内弁当」のシールを貼り、食品表示ラベルでの品名も「幕の内弁当」とある。中身は日の丸俵飯に、焼鮭、かまぼこ、玉子焼と、レンコンやタケノコなどの煮物、有頭海老、串カツ、おくら海鮮詰フライ、肉団子、きんぴらごぼう、鳥栖の焼麦(しゃおまい:焼売)2個、煮豆、大根漬で、これもやはり幕の内弁当そのもの。調製元は鳥栖駅弁の中央軒だが、博多駅でのみ売られる駅弁。紹介例が公式にも非公式にも皆無でも、こうして大駅の実需を担う。
博多駅に昔からあった幕の内弁当。正方形の経木枠の容器の中身は、トレーに入っているのがちょっと味気ない俵型御飯に、鯖塩焼とコロッケ、高野豆腐に玉子焼、ひじき煮に昆布巻、きんぴらごぼうと切り干し大根が入るもの。他駅の幕の内弁当とはひと味違う、おかずのラインナップ。
かつて蒸気機関車が日本中を走っていた頃、駅弁の幕の内弁当には上等と並等があった。現在では「上等」という言葉自体が使われなくなりつつある中で、駅弁の上等がここに生きている。祭の神輿を描いた掛紙も、なかなか古めかしい。
2010年12月限りで調製元が駅弁から撤退、この駅弁も買えなくなった。
※2011年2月補訂:終売を追記博多駅の、駅弁屋ではない業者がつくる幕の内弁当。しかし、福岡エリアのランドマークを水彩画風に描いた古風な掛紙、美味いあんかけ鶏唐揚やぶり煮に、焼明太子と高菜で九州を主張するおかずの内容、いずれも本物の幕の内駅弁の上を行くものと感じた。
2003年当時の博多駅は、昔からの駅弁屋に加えて、この業者とJR西日本の子会社が入る3社競合の激戦地に見えて、主戦場がそれぞれホーム上、コンコース、新幹線エリアと分かれており、九州一旅客が多い駅でもあり、それほど競合はないように見えた。なお、現在ではこの業者の商品を駅構内で見ることはできない。
※2011年2月補訂:現況を追記1994(平成6)年9月25日17時の調製と思われる、昔の博多駅弁の掛紙。その絵柄や記載内容は、下記の1993年1月のものと同じ。県名になった那珂川の西側の城下町福岡と、駅名になった東側の港町博多は、それらの名を決めた明治時代当時は別の街であり、この掛紙に記されるとおり、博多弁と福岡弁という異なる方言が使われていた。今では一体となり、福岡弁は使われなくなったらしい。
入手状況から1993(平成5)年4月13日15時の調製と思われる、昔の博多駅弁の掛紙の一部。上等の幕の内駅弁だろうか。
1993(平成5)年1月2日14時の調製と思われる、昔の博多駅弁の掛紙。絵柄から博多人形や一寸法師をイメージしたがどうか。この絵柄は昭和50年代から平成時代まで、博多駅弁の幕の内弁当で長く使われた。
入手状況等から1977(昭和52)年のものと思われる、昔の博多駅弁の掛紙。博多の季節の祭りを描いた掛紙は、有名な「ディスカバージャパン」と「いい日旅立ち」の谷間で忘れられた、国鉄の旅行キャンペーン「一枚のキップから」のロゴマークがある。
入手状況等から1970年代のものと思われる、昔の博多駅弁の掛紙。調製印は10月23日16時とある。博多駅東の住居表示が施行された1969(昭和44)年7月頃以降、福岡市が政令指定都市となり5区が発足した1972(昭和47)年4月より前のものか。絵柄はとくにない。
1960(昭和35)年6月30日16時の調製と思われる、昔の博多駅弁の掛紙。調製元の都ホテルは京都市内のホテルであり、掛紙に「京都」の文字もある。
1938(昭和13)年9月に日本食堂へ統合された列車食堂つまり食堂車の営業は、第二次大戦後に一社独占を改めることとなり、1953(昭和28)年8月に東京の帝国ホテル、1956(昭和31)年11月に京都の都ホテルと大阪の新大阪ホテルが参入した。都ホテルは京都駅〜博多駅の特別急行列車「かもめ」を皮切りに、関西や東京と九州を結ぶ列車の担当を増やしていく。博多出張所はおそらくその頃の営業拠点で、この弁当は駅でなく列車内で売られたものかもしれない。都ホテルの列車食堂は後に東海道・山陽新幹線の食堂車、ビュフェ、車内販売に移行し、1990(平成2)年3月に撤退、国鉄分割民営化で日本食堂のJR東海エリアを受け継いだジェイダイナー東海に、その営業を引き継いだ。
1922(大正11)年のものと思われる、昔の博多駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。