博多から特急で1時間強。日田市は大分県の北西端に位置する、人口約6万人の旧天領。かつては交通の要衝や林業の街として栄え、現在は歴史的な町並みや伝統文化で観光客を集めている。駅弁は2003年の秋に国鉄時代からの駅弁屋が撤退、駅前食堂が引き継いで駅待合室のキヨスクで3種の駅弁が注文販売されたが、2015年までに駅の売店そのものがなくなった。1934(昭和9)年3月3日開業、大分県日田市元町。
日田駅の駅弁業者の交代に伴い、2003(平成15)年の秋頃に発売。深めな長方形の容器にふたをして、商品名や三隈川の流れを墨書きした掛紙を巻いて、ビニタイで留める。中身はヤマイモと納豆を具にした酢飯を高菜で巻いた棒寿司が1本、8切れにカットされて横たわるもの。
調製元は創業1930(昭和5)年という日田の駅前食堂。この駅弁は、駅の待合室のキヨスクに商品見本のみを置き、注文すると約10分で弁当が届けられる仕組み。事前予約も可能らしい。この手の高菜巻きはきっと、九州と和歌山でしか受け入れられないであろう。趣味者や旅行者にまったく媚びない、地域密着型商品。
2015(平成27)年3月の日田駅のリニューアルで、駅からキヨスクその他の売店が消えたため、この駅弁は今では駅では買えないものと思われる。駅前食堂は健在。
※2016年9月補訂:終売を追記日田駅の駅弁業者の交代に伴い、2003(平成15)年の秋頃に発売。深めな長方形の容器にふたをして、商品名や三隈川の流れを墨書きした掛紙を巻いて、ビニタイで留める。中身は鮎の姿寿し。魚型に整形した厚めの酢飯にシソの葉をかけて、腹から開いたアユの酢締めを1匹乗せて、レモンと甘酢生姜を添えるもの。
この駅弁は、駅の待合室のキヨスクに商品見本のみを置き、注文すると約10分で弁当が届けられる仕組み。事前予約も可能らしい。アユ姿寿司の駅弁は山陰や九州など、昭和の頃までは関東以西の各地で人気を集めていたが、現在はその数を減らしつつある。この駅弁は酢が軽く食感が柔らかい、駅弁にない現代的で一般受けしそうな風味を持つため、紹介例が増えれば実力派として名を上げられそうな気がした。
2015(平成27)年3月の日田駅のリニューアルで、駅からキヨスクその他の売店が消えたため、この駅弁は今では駅では買えないものと思われる。駅前食堂は健在。
※2016年9月補訂:終売を追記日田駅の駅弁業者の交代に伴い、2003(平成15)年の秋頃に発売。長方形の容器に透明なふたをして、日田祇園の曳山行事の写真を掲載した掛紙を巻いて、ビニタイで留める。中身は御飯の上を高菜と肉そぼろとの炒め物で覆い、炒り卵とグリーンピースも詰めて、ニンジンやサトイモやレンコンやサトイモやシイタケの煮物、ハヤの佃煮など。
この駅弁は、駅の待合室のキヨスクに商品見本のみを置き、注文すると約30分で弁当が届けられる仕組み。事前予約も可能らしい。高菜の駅弁は佐世保その他九州内にいくつか存在し、駅弁としては日田は無名であるが、味はかなりよいのではないかと思う。
2015(平成27)年3月の日田駅のリニューアルで、駅からキヨスクその他の売店が消えたため、この駅弁は今では駅では買えないものと思われる。駅前食堂は健在。
※2016年9月補訂:終売を追記日田駅の幕の内弁当。昔ながらの経木折に、日田の風景を描いたのだろう掛紙をかけて、ビニールひもで十字にしばる。中身は折箱に直接詰めた細長い俵飯の日の丸御飯と、トレーにぎっしり詰めたおかずは、焼き魚、かまぼこ、玉子焼、ハム、タケノコ、高野豆腐、肉団子など。昔ながらの上等幕の内駅弁という雰囲気は、貴重な存在だと思う。
2002年現在で、ホーム上での立ち売りも実施されていたという。この駅弁は2003年9月限りで、駅弁業者の撤退により失われた模様。
栗型の赤いプラ容器を、同じ形の掛紙とともに赤いネットに入れる。中身は左側が御飯の上にカニそぼろと栗を載せる栗めし、右側が味付飯の上に椎茸と鶏の刻みを載せるかしわめし。その両方に錦糸卵とグリーンピースが乗る。つまり、ひとつでふたつの味を楽しめる、珍しい栗飯駅弁。この駅弁は2003年9月限りで、駅弁業者の撤退により失われた模様。
市内を流れ鵜飼も見られる三隈川の鮎を使用、長方形の容器の中に腹から開かれた酢締めの鮎が2匹、大分県産ひとめぼれを使用した酢飯の上に載り隣り合って整列する、中身はそれだけのシンプルな駅弁。鮎はヒレもそのまま食べられる柔らかさ。
日田駅は、今は久留米と大分を結ぶから久大(きゅうだい)本線の中で、最近こそ有名建築家プロデュースの駅舎を持つ由布院駅が有名になったが、沿線最大の都市を持つ線内随一の主要駅。一時期JR時刻表から駅弁の記号が消えていて心配した。かつて徳川の天領の頃に築かれた古い街並みが、近年の再整備を経て観光客を集めるようになっている。真夏の快晴日に街歩きをしたら、気が遠くなるほど暑かった。
この駅弁は2003年9月限りで、駅弁業者の撤退により失われた模様。
経木の枠とふたを持つ正方形の容器の中身は、白御飯と赤飯の紅白の飯を取り囲むようなL字型のトレーに、鶏唐揚・焼鯖・タケノコや糸こんにゃくにみかんなど、上記の駅弁「謹製お弁当」とおおむね共通も、少しだけ豪華なおかずが入る。
駅弁の名前は日田が江戸時代に徳川幕府の直轄地、つまり天領であったことに由来する。ここまで4種類で、日田駅弁のすべて。容器も掛紙の内容も、昭和の頃から変わらないようだ。
この駅弁は2003年9月限りで、駅弁業者の撤退により失われた模様。