旭川駅から列車で1時間強、根室本線と富良野線との接続駅。富良野市は北海道の中央部にある、人口約2万人の開拓地。日本一のニンジンなどで潤う畑作地帯であり、第二次大戦後はスキー場で、昭和40年代はラベンダー畑で、昭和50年代はテレビドラマで全国的にその名を広めた著名な観光地。1937(昭和12)年からの富良野駅の駅弁屋は1990(平成2)年4月に撤退、後に旭川駅の駅弁の一部が売られたが、今はなにもない。1900(明治33)年8月1日開業、北海道富良野市日の出町。
富良野駅の待合室の立ち食いそば店「駅の立喰 圭子ちゃんの店」の店頭でおにぎりとともに売られていた惣菜。惣菜容器に太巻き2個とおいなりさん2個を詰める。全国各地の駅そば屋、立ち食いそば店と本当に良く共存しているタイプの商品。調製元は富良野市内の惣菜屋。
富良野駅のキヨスクで買えた幕の内弁当。ボール紙製の市販の弁当容器を使用、白いプラ製トレーに収まる中身は、日の丸御飯に鶏照焼、赤魚照焼、味付帆立、かぼちゃ天ぷら、きんぴらごぼう、焼売、かまぼこ、玉子焼、シイタケやニンジンなどの煮物、マカロニサラダ、山くらげ、山海漬、大根桜漬など。書くと豪華で食べると貧相。しかし一食の弁当として不足はない。
調製元は富良野駅へも駅弁を卸しているはずの旭川駅の公式な駅弁屋。ここは駅で売らず催事で売る、見た目に駅弁にしか見えない催事弁当をたくさん出しているのに、実際の駅ではこのような駅弁には見えない惣菜弁当を卸しているのは不思議に思えた。富良野駅のキヨスクは2016年10月限りで閉店、駅弁もその前になくなった模様。
※2020年5月補訂:終売を追記2010(平成22)年に発売か。プラ製の長方形の赤黒い惣菜容器に、商品名とブランド名を書いた同じ色の紙帯を巻く。中身は昆布の炊込飯の上に錦糸卵やズワイガニのほぐし身を敷き、刻みシイタケやグリーンピースをまぶし、ゴマ昆布佃煮を添えるもの。価格も分量もお手軽でお手頃。旭川空港や稚内駅でも買えた模様。ほどなく終売か。
調製元は旭川駅の公式な駅弁屋であるが、不思議なことに旭川や富良野の駅弁を名乗らず、同社が札幌駅の近くで営業する居酒屋のブランドを名乗り、その所在地や連絡先も記される。なお、その居酒屋は2010年12月で閉店した模様。
※2017年2月補訂:終売を追記2002(平成14)年7月に発売。25年ぶりという久々の富良野駅弁。但し製造販売は旭川駅の駅弁屋さんが手掛け、旭川駅でも販売されているという。ボール紙の枠に収納された横長な長方形の容器の中に御飯を敷いて、サクサクした食感の豚肉「とんとろ」を軽くタレをかけた状態でたっぷりと載せ、小松菜にゆでじゃがいもと半熟卵が添えられる、類例を探しづらい特徴的な内容。分量は少な目だが好感の持てる駅弁。駅弁大会の常連さんになる気配。
富良野駅での販売は2002年の夏だけで、現在は旭川駅でのみ販売されているという情報がある。2003年の秋現在でパッケージと価格が変更されている模様。2015(平成27)年までに販売終了か。
※2017年2月補訂:終売を追記1922(大正11)年のものと思われる、昔の下富良野駅、現在の富良野駅の駅弁掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の下富良野駅、現在の富良野駅の駅弁掛紙。絵柄はスキーの風景に見えて、古めかしい格好で雪の斜面を歩いているものか。