札幌駅から快速エアポートで約35分、千歳線が石勝線を分ける駅。1980(昭和55)年10月に千歳空港駅の名で国鉄史上初の空港駅として開業、空港の移転で1992(平成4)年7月から現在の駅名となった。駅前には道路と空港敷地とアウトレットモールしかない、乗り換えのための駅。ホーム上に苫小牧駅弁を売る駅弁売店がある。1980(昭和55)年10月1日開業、北海道千歳市柏台南1丁目。
札幌駅から特急列車で約45分、室蘭本線が日高本線を分け、千歳線列車が乗り入れる駅。苫小牧市は北海道の南西部で太平洋に面する、人口約17万人の開拓都市。昭和40年代に国策による工業地帯開発により、港湾都市へと変貌した。駅弁は大正時代から売られ、今も国鉄時代からの駅弁屋のひとつ「まるい」が、改札外のカレー店で駅弁を販売。1892(明治25)年8月1日開業、北海道苫小牧市表町6丁目。
2023(令和5)年秋の新商品で、南千歳駅と苫小牧駅で発売か。名前には美味しさをぎゅーっと詰め込んだこと、白老産和ぎゅーをふんだんに使ったこと、お値段もぎゅーっと頑張ったことがかけられたらしい。特急列車のテーブルいっぱいに細長い容器に、白飯を錦糸卵と牛肉煮で覆い焼きネギときぬさやを添えたトレーと、ハンバーグ、とうもろこし、にんじん、じゃがいも、ブロッコリーを詰めたトレーと、ローストビーフ、青菜、ポテトサラダを詰めたトレーを収める。それぞれの牛肉に白老産黒毛和牛を使うといい、確かに赤身の柔らかさがおいしく、それでお値段がデパートの駅弁大会や東京駅弁並みに。
2023(令和5)年秋の新商品で、南千歳駅と苫小牧駅で発売か。惣菜向けの小さなプラ容器に、茶飯を詰め、胆振地区厚真産桜姫鶏の焼き鳥で覆い、錦糸卵、にんじん、焼きネギ、ししとう、しば漬けを添える。肉の脂身が印象的に香る、量と姿がコンパクトな焼き鶏丼。
北海道とJR北海道が2011(平成23)年7月から9月まで実施した観光キャンペーン「プレ北海道デスティネーションキャンペーン」の協賛企画として、リクルート北海道じゃらんの雑誌「北海道じゃらん」が同年7月20日から9月30日まで実施した「北海道駅弁選手権2011」17社18種類のひとつとして、2011年7月までに発売か。同キャンペーンでは「新駅弁」の部グランプリを獲得した模様。
黒いプラ製トレーを接着した長方形の容器に透明なふたをして、中身に使われる食材の写真を重ねた掛紙を巻く。中身はホッキ飯、サーモン寿司、つぶ貝の唐揚げ、イクラ醤油漬、鮭照焼、生姜酢漬。見栄えこそ整然とし過ぎるものの、5種の味はつぶ貝を除きいずれも苫小牧駅弁で実績のある味であり、分量も確保され、全部食べると贅沢感や満足感が出る印象。「ほっきめし」と同じく、ホッキ貝の産卵期である5月から6月を除き販売。価格は2011年の発売時で1,100円、2016年時点で1,150円、2018年時点で1,300円、2023年時点で1,500円。
※2024年2月補訂:写真を更新2011(平成23)年9月25日に購入した、苫小牧駅弁の掛紙。上記の2023年のものと、まったく同じ。中身も同じ。調製元が買収されて変わっても、この駅弁は変わらなかった。
JR北海道の車内誌によると、1995(平成7)年の発売。1997年や1992年の発売とする資料もある。楕円形のプラ容器に透明なふたをして、ホッキ貝や中身の写真を印刷したボール紙の枠にはめる。中身は貝柱とひもの煮汁で炊いた御飯を敷き、苫小牧が水揚げ日本一というほっき貝の切り身を載せるもの。飯も具もパラパラ感と想像以上の柔らかさがうまかった。
ホッキ貝の産卵期である5月から6月を除き毎日、一日50個限定で販売されるとする。価格は2010年時点で1,000円、2014年時点で1,050円、2018年時点で1,150円、2023年時点で1,300円。
※2024年2月補訂:写真を更新2010(平成22)年8月8日に購入した、苫小牧駅弁のスリーブ。上記の2023年のものと、絵柄はまるで異なるが、雰囲気が似ている気がする。中身はだいたい同じ。
1977(昭和52)年に発売か。発泡材を井形に組んだ正方形の容器にボール紙でふたをして、カニ、ホタテ、コーン、椎茸、海老を昭和風に描いた掛紙をかける。中身は酢飯の上に掛紙記載食材一式と、山菜と缶詰ミカンとサクランボを載せるちらしずし。
見た目は素朴を通り越して貧相であり、味付けはかなりきつめ。しかし掛紙の絵柄も含めた昔ながらの飾りのなさがあり、それにカニ、ウニ、イクラ、ホタテが見栄え良い催事向け駅弁のえげつなさが微塵もない。ローカル線の旅を彩れるであろう、地味であることが長所の駅弁。価格は2007年の購入時で660円、2014年4月の消費税率改定で680円、2020年時点で750円。
※2021年3月補訂:値上げを追記1972(昭和47)年に苫小牧駅で発売。スモークサーモンの寿司は、今でこそどこの回転寿司でも流れているが、まだ無名であった昭和40年代から苫小牧駅に駅弁として存在していた。
ずいぶんと和風な柄の、細身な長方形の容器に、西部劇風の漫画を描いた掛紙をかける。中身は写真のとおりスカスカで、スモークサーモンと銀だらの薫製の押し寿司が4個ずつ型に収められている。駅弁に珍しい非サビ抜き。味は可もなく不可もなくよりやや良好。価格は2004年の購入時で700円、2014年時点で750円、2018年時点で800円、2023年時点で900円。
※2023年6月補訂:値上げを追記1995(平成7)年7月9日9時の調製と思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。絵柄は上記の2004年9月のものと同じ。当時の資料で700円、現在も800円の駅弁が、1,000円というのは不可解。当時は中身の増量版でもあったのだろうか。
1970年代、昭和50年前後の、11月2日10時の調製と思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。掛紙には鮭が描かれるように見えるが、鮭寿司でなくサーモン寿司。
1981(昭和56)年に「うに弁当」「いくら弁当」「かにちらし」「ホタテ弁当」の4種を発売したという。小柄な正方形の容器に茶飯を詰め、カニほぐし身で覆い、椎茸で彩り、山菜と昆布巻と柴漬けを添える。昭和の北海道でよく見られたカニ駅弁の内容が、ここに残されていた。掛紙の写真はケガニと流氷で、流氷は苫小牧の海では見られないと思う。2022年で終売か。
※2023年6月補訂:終売を追記2000年代かそれ以前から、断続的に販売される駅弁。現地でなく催事で売られる商品に見える。今回も苫小牧駅や南千歳駅でなく、東京駅で売られたもの。小柄な正方形の容器に白飯を詰め、うに、いくら、きゅうり漬けで覆う。スリーブ記載の宣伝文のうち、「海の幸」ではあるものの、「磯の香り」はなかった。2020年頃までの販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記苫小牧駅の普通弁当としての助六寿司。長方形の容器に、稲荷寿司と太巻き寿司が4個ずつきれいに入る。細巻きは入らない。価格と中身を含めたその存在も、市街図と写真を組み合わせた掛紙の絵柄も、昔ながらの駅弁だと感じる。海鮮駅弁が人気の北海道内で、こういう駅弁が買えるのは今では貴重だと思う。2022年までの販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記2016(平成28)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、催事の目玉商品のひとつとして実演販売。以後も調製元の公式サイトに、2個以上2日前までの要予約商品として掲載。品物は百貨店の北海道催事での海鮮弁当という感じで、四角い容器に御飯を詰めて、ズワイガニの爪2個を置き、四隅にイクラとトビッコをまとうカズノコを配置し、すき間をズワイガニのほぐし身で埋める。北海道のどこの駅のものか分からないようなカニ海鮮丼。現地では予約販売にのみ応じたようで、2017年に終売か。
※2019年9月補訂:終売を追記苫小牧駅の幕の内駅弁。高度経済成長の時代を感じるキャッチフレーズを添えた、苫小牧の工業地帯の航空写真を印刷した専用のボール紙箱に、日の丸御飯を詰めた白いトレーと、焼鮭やホタテや玉子焼やトンカツやスジコなどを詰めた白いトレーを詰める。名前も見栄えも、かつての普通の幕の内駅弁の姿を現しながら、おかずに北の味が取り入れられた。2022年までの販売か。
苫小牧では1960年代から国家プロジェクトとして工業開発を開始、1963(昭和38)年には太平洋沿いの国道や国鉄日高本線の経路を変更して苫小牧港を掘り割り、苫小牧東部開発計画の名称で約1万ヘクタールもの巨大工業地帯の整備を目論んだ。しかしオイルショックによる産業構造の変化により計画は頓挫し、一方で1990年代まで従前の計画を推進して借入金を積み上げた。半世紀を経ても広大な遊休地を持て余すが、港湾を備える平坦整形地は今でも産業には最上の適地であり、工場の進出がとめどなく続く。苫小牧は室蘭や小樽を押しのけ、道内最強の貿易港かつ産業港の地位を得た。
※2023年6月補訂:終売を追記2012(平成24)年8月9日の東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」オープンと同時に、「かにホタテ弁当」「イクラかに弁当」「うにホタテ弁当」の3種が誕生した、苫小牧駅の駅弁屋を販売者とする東京駅限定の弁当のうちのひとつ。調製元の公式サイトでそう読めるので、経緯はともかく怪しい点はない。しかし東京での見栄えは、全国各地の駅弁を集めた売店で苫小牧と書かれた弁当が売られるという、疑義駅弁にしか見えない姿をしている。
正八角形の容器に白御飯を詰めて、イクラ醤油漬、ベニズワイガニのほぐし身、鮭フレーク、錦糸卵で覆い、ガリを添えるもの。駅弁大会向け北海道駅弁の典型的な姿であり、その中では内容もパッケージも個性はない。製造委託(記号付き)のせいか味は中の下という印象で、現地の駅弁とは大違い。なぜこんな商品を出してしまったのだろうか。2018年頃まで断続的に販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記上記の商品「イクラかに弁当」と同じく、2012(平成24)年8月9日の東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」オープンと同時に3種が誕生した、苫小牧駅の駅弁屋を販売者とする東京駅限定の弁当のうちのひとつ。こちらの具はホタテ煮3個、ベニズワイガニのほぐし身、ボイルえび、シイタケ煮、錦糸卵、大根漬。食べた感想もまた同じ。2018年頃まで断続的に販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記上記の商品「イクラかに弁当」と同じく、2012年8月9日の東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」オープンと同時に3種が誕生した、苫小牧駅の駅弁屋を販売者とする東京駅限定の弁当のうちのひとつ。こちらの具はホタテ煮3個、蒸しウニ、山菜煮、シイタケ煮、錦糸卵、大根漬。食べた感想もまた同じ。2018年頃まで断続的に販売か。
少なくとも昭和50年代前半から、支笏湖でのチップことヒメマス漁の解禁期間(6〜8月)に合わせ、毎年7月から9月までのち8月に販売された駅弁。細長い長方形の容器に、支笏湖と風不死岳(ふっぷしだけ)と釣り船を描き宣伝文を書いた掛紙を巻く。中身は駅弁の名前どおりのチップ姿寿司。酢飯の上にヒメマスの半身が尾頭付きで置かれ、生姜酢漬、山菜醤油漬、はじかみを添えるもの。固めの身がかなり酸っぱい昭和の駅弁の味だが、尻尾から頭までなんとか食べられる、ピンクの身がきれい。価格は2011年の購入時で1,000円、2016年時点で1,050円。2020年頃までの販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記1981(昭和56)年に発売か。小柄で上げ底な正八角形の容器に透明なふたをして、中身の写真と駅弁の名前を印刷したボール紙の枠にはめて、輪ゴムで留める。中身は白御飯の上にイクラ、錦糸卵、ホタテ1個、山セリ、シイタケを載せるもの。価格は2009年の購入時で1,100円、2014年時点で1,150円、2018年時点で1,500円。
過去に比べておそらく、駅弁催事で目立つ方向、目立つ方向へ、駅弁の名前も含めて残念なアップデートが行われた結果がこれだと思う。大粒のイクラはドロドロかつ潰れまくっており、商品名と価格に期待した買い物客はガッカリしたかもしれない。それでも価格に目をつぶれば、画面右下あたりに少々の素朴さが感じられなくもない。2022年までの販売か。
※2023年6月補訂:終売を追記ウニ色のプラ容器を、ウニがたっぷり入った中身をフルカラーで印刷したボール紙の枠にはめる。中身はそのパッケージの写真のとおり、昆布ダシで炊いた御飯を蒸しウニが完全に覆い尽くすもの。上げ底でふたに厚みがある容器なので、実はかなり量が少ないのだが、見た目のインパクトの強烈さが勝り、なかなか評判が良いようだ。価格は2003年の購入時で1,000円、2017年時点で1,200円。2017年までの販売か。
※2019年8月補訂:終売を追記漆塗り風の四角いプラスティック製容器の中で、うにまぜ御飯の上に約1/3の面積でうにが敷き詰められ、残りを錦糸卵と椎茸で埋める。ウニ・イクラ・鮭の弁当は北海道に来たという印象を感じるため、先に進めばもっとウニが大量に載る駅弁があるという観点からも、北海道の空の入口で発売されているのは正しい。価格は2001年の購入時で870円、2017年時点で850円の商品となっている。2016年までに販売休止中となり、2017年に終売か。
※2019年8月補訂:終売を追記2001(平成13)年1月28日に購入した、昔の苫小牧駅弁のパッケージ。この当時、同じ駅弁屋の駅弁でも、千歳・南千歳・新千歳空港の各駅と苫小牧駅では、並んでいる商品のジャンルが違うような気がした。
1980年代のものと思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。山岳と産業港が描かれる。駅弁の掛紙にしては、案内表記などが足りない気はする。
1979(昭和54)年1月2日18時の調製と思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。山と湖と木と船を描いて、苫小牧を表現か。
1975(昭和50)年2月15日11時の調製と思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。シシャモとチップ(ヒメマス)とマスを押寿司にしたこの駅弁は、郷土の食材を取り入れた素晴らしい駅弁として、昭和時代後期に苫小牧と北海道と全国を代表する駅弁のひとつとして君臨したが、調製元が1996(平成8)年頃に廃業したため失われた。掛紙にはアイヌの民族衣装であるアットゥシが描かれる。
1950年代の、1月19日10時の調製と思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。その絵柄に特段の意味はなさそう。「容器は下へ」の注記は、かつての映画館のような腰掛下へのゴミ残置を要請するものか。昔の客車は椅子の下が空いていて、電車の時代になるとそこに電気暖房が付いて金属板で囲まれるようになり、最近はその小型化と足を伸ばしたい旅客の要望で再び空くようになった。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の苫小牧駅弁の掛紙。おどろおどろしい商品名の文字が印象的。広告枠には東京の上野駅前の旅館の名が見える。
苫小牧駅の東隣の駅であり、普通列車で1駅6分。線路名称のうえでは、室蘭本線が千歳線を分ける駅であり、1922年から1943年までは後の国鉄富内線も分岐したが、その機能は苫小牧駅へ移り、この駅で折り返す列車はなく、今は宅地に埋もれる通勤通学の駅。戦後昭和時代にシシャモ・チップ(・マス)寿司で一時代を築いた苫小牧駅弁の近藤商事は、もともと沼ノ端駅の駅弁屋であり、1920年代から1950年代まで駅弁が売られた。1898(明治31)年2月1日開業、北海道苫小牧市沼ノ端中央3丁目。