東京駅から東北新幹線はやぶさ号で3時間強。青森市は本州北部で陸奥湾に面した、人口約27万人の港町。明治時代に入り県庁が置かれ、帝都からの鉄道が開通して北海道への航路が拓かれたことで、県内一の都市として発展した。駅弁は新幹線の改札内や高架下のコンビニで売られるが、完売していることが多いと思う。1986(昭和61)年11月1日開業、青森県青森市大字石江字高間。
2016(平成28)年2月1日に東京駅と大宮駅で発売か。中身は写真のとおり、ほたて飯、イナリ寿司、しじみ御飯、若生(わかおい:1年ものの昆布)おにぎり、くわ焼、牛バラ焼、豚みそ漬、牛源タレ焼、すしこ、紅鮭寿司、赤カブ漬、きゅうり漬、味噌おでん、煮物4点、たまご焼、味噌身欠にしん、煮ホタテ、なすしそ巻、ホタテ唐揚げ、鶏肉塩焼、カボチャ餅、黒石焼そば、酢ホタテ、イカメンチと、実に24種類ものメニューが、高級チョコ大の区画に収まる。アイデアとしてありきたりでも、商品化と東京への輸送は驚くべき。食べて疲れを覚えそうなレベルの、究極のおつまみ駅弁かもしれない。価格は2016年の発売時や購入時で1,200円、2017年9月から1,350円。
※2018年1月補訂:値上げを追記北海道新幹線の一番列車の車内で買えたサンドイッチ。食パン四等分サイズの、正方形のタマゴサンドとハムレタスサンドが、四方を向いてプラ製のサンドイッチ向け容器に収まる。国内の列車の車内販売で買えたサンドイッチとしては、経験上日本一の安さ。調製元は新幹線新青森駅の開業の頃からの駅弁屋。
早朝の下りと深夜の上りに各2本のみが設定された北海道新幹線はやて号では、開業日に限り車内販売が実施され、通常は売り子さんが乗務しない。このサンドイッチが以後にどこかで買えるかどうかは分からない。
2021(令和3)年1月9日に青森駅と新青森駅で発売。青森駅現駅舎ラストイヤーイベント、青森駅舎の2021年度内での解体を記念するキャンペーンの、2020(令和2)年12月の青森駅4代目駅舎との思い出の写真・メッセージ募集に続く第2弾として、掛紙に「ありがとう四代目青森駅舎」と書いて駅舎の写真を掲載したこの駅弁を3月までの期間限定で販売した。同年10月のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2021」へのエントリーで再発売。駅弁の名前は津軽弁で「おお、うまいところだけ弁当」という意味で、「ん」から始まる史上初の駅弁ではないかと思う。
これまで青森で発売されている駅弁の中から人気のメニューを集めたという中身は、白飯を鶏照焼と鶏そぼろで覆う鶏丼、白飯を牛バラ玉ねぎ炒めで覆う牛丼、白飯を錦糸卵で覆いカニほぐし身とイクラを載せたカニイクラ丼、ホタテに煮物に玉子焼に切り昆布煮にりんごシロップ漬を詰めたおかず。青森県産米「青天の霹靂(へきれき)」をたっぷり詰めた御飯弁当。1年間ほどの販売か。
青森駅の駅舎の四代目は、1959(昭和34)年に完成。その約60年の歴史は、本州と北海道を結ぶ大動脈として上野駅や大阪駅からの長距離列車と青函連絡船を乗り継ぐ客で賑わった昭和40年代や、青函トンネルの開通で豪華寝台列車や標高マイナス240mを駆ける快速列車が発着した1990年代といった、青森駅の最盛期を経たものである。そんな客はホーム上や乗換通路を利用し、駅舎に来なくてもよかったため、この駅舎そのものは幅約100m、奥行約30mの実質平屋建てで、主要駅としては異様にコンパクトにできていた。
※2023年4月補訂:終売を追記東北新幹線の新青森駅開業10周年を記念し、2020(令和2)年12月12日から1,200円で、新青森、青森、八戸、盛岡の各駅で6,000個を販売。12にこだわったように見えるが理由は不明で、そもそも新幹線の開業は12月4日だった。中身は掛紙の写真のとおり、御飯に青森海鮮ちらし寿司と同じサーモン棒2本を載せ、ホタテ照焼と鶏照焼、きんぴらごぼう、煮物、玉子焼、イカ焼売とカニ焼売とトンカツ、ちくわ磯辺揚、リンゴのシロップ漬など、おかずがたっぷり。紹介記事では2021年4月以降も売られたとするが、収穫報告は3月までのものしか出てこない。
※2023年7月補訂:終売を追記2018(平成30)年7月1日に新青森駅、青森駅、八戸駅で発売。調製元とJR東日本盛岡支社が共同開発した、青森県のブランド米「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」がテーマの駅弁。掛紙の表面ではその米の魅力を、裏面では駅弁の中身を紹介する。
4区画の中身は、白御飯と筋子、ホタテ照焼と十和田バラ焼きと東北ピクルス、白御飯を覆うヤリイカ姿煮と錦糸卵と秋鮭のほぐし、煮物とアンズしそ巻と、ごぼうと鶏の生姜炒めとリンゴのシロップ煮。米に合うおかずを中心に、青森県産食材をふんだんに使ったという、お米とそのおいしさだけに特化しない、青森県オールスターズ。2020年の春頃までの販売か。
青天の霹靂とは、青森県農林総合研究センター水稲育種部が開発したイネの品種。2014(平成26)年に青森県知事が公募選考で名付けた。青森県産米として初めて、日本穀物検定協会の食味ランキングで「特A」を獲得、2015(平成27)年に青森県が奨励品種に指定して本格的な作付が始まり、東京のスーパーでも買えるようになった。味以外には大粒と早生と、耐冷性および耐病性が特徴。あおもり米『青天の霹靂』ブランド化推進協議会が、実質的に青森県農林水産部が、作付地域を指定し生産者を登録し、農薬使用回数や自家採種などの栽培基準と出荷基準を定め、商標とデザインを管理し、ブランド化を推進する。
※2020年12月補訂:終売を追記2016(平成28)年3月26日の北海道新幹線開業に合わせて、同日に新青森・青森・盛岡の各駅で発売。駅弁の名前と、大きく白い掛紙のデザインや容器に高級感、または高級料理の感じを受ける。「あおもり侍シェフ」なる青森県内の若手シェフ5人が監修したという中身について、掛紙の裏面で監修者名とともに、しっかり解説される。
9区画の中身は左上から右に向けて、「鯖のフリット風味の白ワインビネガー和え【佐藤シェフ監修】」「海峡サーモンと田酒酒粕風味のラタトゥイユ【竹川シェフ監修】」「シャモロックの香りそぼろご飯【伊東シェフ監修】」「鴨肉のボワレ【小坂シェフ監修】」「青森ほたての煮汁合わせシャリ【西村シェフ監修】」「青森県産の牛蒡入りハンバーグ【佐藤シェフ監修】」「赤ワインレーズン飯【佐藤シェフ監修】」「いかメンチの美味あんかけ【伊東シェフ監修】」「彩り野菜のピクルス【小坂シェフ監修】」とある。
つまり、ホタテ飯と鶏飯と赤い飯と、肉や魚や野菜などのお弁当。食べると食材の味に加えて、何らかの香りや薫りが漂うところにも、上質な感じがあった。2016年中に終売か。
※2019年8月補訂:終売を追記2013(平成25)年8月1日の発売。掛紙に書かれるとおり、公益社団法人日本青年会議所東北地区東北ブロック協議会の2013年度「アカデミー大学」で生まれたお弁当。調製元のつがる惣菜とのタイアップとも紹介される。
青森県内8地域のご当地グルメを詰めたという中身は、青森市の生姜味噌おでん、十和田市のバラ焼き、弘前市のいがめんち、黒石市の焼きそば、八戸市のサバの味噌煮、むつ市の貝焼き味噌、五所川原市のしじみご飯、三沢市の鳥ごぼうの鍬焼き、玉子焼、きゅうり。たしかに、昨今のB級グルメブームに乗ろうと、該当の各地で宣伝を見掛けるものが、そのままここに詰まっている。そう知らずとも、この調製元の駅弁らしい巨大な惣菜容器と、各種の肉の存在感と強い味付けにより、本当にガツンとボリュームがある、これぞ漢弁当という感じの力強さを感じた。価格は2013年の発売時や購入時で1,000円、2017年9月から1,300円。2019年までの販売か。
※2020年12月補訂:終売を追記2010(平成22)年12月4日の東北新幹線新青森駅開業と同時に発売か。弁当名を描いた船用のボール紙箱を使用、6つの白いプラ製の惣菜容器に収まる中身はそれぞれ、鶏そぼろめし、玉子そぼろめし、豆腐のような玉子焼、チーズと鶏挽肉を大葉で巻いた揚げ物、ソーセージと煮玉子とごぼう、バームクーヘン。価格も見栄えも東京のデパ地下を目指したような、高くておしゃれな内容だと思う。食品表示ラベルには1,200円とあるが、現地では1,050円で掲示し販売されていた。一年間ほどの販売か。
箱の右上に「フード・アクション・ニッポンアワード2009」受賞のロゴマークが付いているが、これは弁当の受賞ではなく、農林水産省が2008(平成20)年度から実施する事業「食料自給率向上に向けた国民運動推進事業」により同年に発足した「FOOD ACTION NIPPON推進本部」が、2009年度の審査で常盤村養鶏農業協同組合を、養鶏における飼料用米の活用で表彰したもの。
※2016年11月補訂:終売を追記2010(平成22)年12月4日の東北新幹線新青森延伸と同日からの東京駅「新青森開業記念駅弁大会」に向けてデビューか。横あるいは縦に33センチもある、とても長い市販の仕出し弁当用ボール紙製容器を使用、五所川原の立佞武多の写真をまるまる掲載した掛紙を巻く。黒いプラ製トレーに収まる中身は、ボイルエビと姫竹が載る五目飯に、ホタテと鶏肉の串、サケの串、ホタテやニンジンやこんにゃくなどの煮物、じゅんさいゼリー、赤カブ、りんご煮など。「地元食材をふんだんに使った郷土料理」は見栄えも味も渋めなので、宣伝文か解説文が欲しいところ。
普段は新青森駅での販売。東京駅での駅弁大会の常連でもある。しかしこともあろうにNREは東京駅の駅弁大会でこれを五所川原駅の駅弁として紹介し続けている。この駅弁の調製元の所在地は五所川原であるが、五能線の五所川原駅に駅弁販売の実態はないようで、おそらく調製元にとって不本意な形で疑義駅弁が創られてしまった。半年間ほどの販売か。
五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、青森県五所川原市で毎年8月4〜8日の19〜21時に開催されるお祭り。明治中期から大正初期にかけて行われていたお祭りを1996年に再興、掛紙写真のような高さが20メートルを超えるような大きな大きな山車が市街を練り歩く。今では8月2〜7日の青森ねぶた、8月1〜7日の弘前ねぷたまつりとともに、青森三大佞武多というくくりで紹介され多くの観光客を集める一大イベントになるまで成長した。
※2016年11月補訂:終売を追記2008(平成20)年に発売か。縦8センチ・横24センチの細長い長方形の容器を、青森県とトリ・ホタテ・ウシを描いたボール紙の枠にはめる。中身はその絵のとおり、茶飯の上に鳥そぼろ、鶏照焼、玉子そぼろと紅生姜を載せたとりめし、白御飯の上に焼肉と人参とグリーンピースに赤かぶ漬を載せた牛めし、茶飯の上をベビーホタテと錦糸卵ととびっこで覆った帆立めしが1区画ずつ。青森ではそのいずれもアリなのだろう、味は可もなく不可もなし。不思議とブログ等での紹介例がほぼ皆無である。2009年頃までの販売か。
※2017年8月補訂:終売を追記長方形から角をふたつ落とした、独特な形状の大きめの容器は内部で細分化されている。白飯と茶飯の2種の御飯、青森県産素材の小ぶりな帆立・厚焼玉子・とんかつロール・いかめしなどに、デザートがりんご煮ともう1種。いずれも味も風味も抜群で、さすがは味の伯養軒、という作品。このタイプの駅弁にはお品書きが欲しいところ。価格は2002年の購入時で1,000円、2017年時点で1,050円。調製元の青森からの撤退により、2019年9月までに終売のはず。
※2020年5月補訂:終売を追記1980年代のものと思われる、昔の青森駅弁の掛紙。昭和時代後半の東北地方は、こけしの大ブーム。遠刈田系だ南部系だと分類や分析が格調高く語られ、東北各地にこけしの絵柄や容器を使う駅弁が出現し、20世紀中に霧散した。これはつまり特製幕の内弁当で、掛紙をよく見るとそう書いてある。
昭和50年代のものと思われる、昔の青森駅弁の掛紙。右下に列記される「支店・営業所所在地」は、そのすべてで駅弁が売られていたわけではないが、本当に幅広く東北各地に進出していたことが分かる。
昭和40年代のものと思われる、昔の青森駅弁の掛紙。その絵柄に地域の特徴がなく、調製元も東北各地に支店を置いていたため、右下の「青森駅構内」の文字がなければ、販売駅さえも特定できないところだった。
1960年代、昭和35年前後の、10月23日18時の調製と思われる、昔の青森駅弁の掛紙。おかずの掛紙の左下に「35.8 50,000」とあり、1960(昭和35)年8月に5万枚を刷った掛紙と読めるがどうか。右下には24箇所の支店や営業所の所在地を列記した。このすべてが駅弁販売駅ではないだろうが、今となっては雫石や茂市あたりの小さな駅にも伯養軒があったことに驚かされる。
1954(昭和29)年7月21日の調製と思われる、昔の青森駅弁の掛紙。「うなぎ飯」「要外食券」「青森駅食堂」「伯養軒調製」と、必要最小限の事柄を文字で記した。
1954(昭和29)年6月18日の調製と思われる、昔の青森駅弁の掛紙。上記の同年7月の掛紙と、絵柄や文字は同じで、色遣いが異なる。こちらは「¥100」の価格も印字された。
1953(昭和28)年7月28日の調製と思われる、昔の青森駅弁の掛紙。収集者が調製印に「昭和」と書き加えた。青森の金魚ねぶたを描く。山口県柳井の金魚ちょうちんにそっくりなのは、江戸時代の青森や弘前にあった金魚ねぶたを、江戸時代末期に柳井の商人である熊谷林三郎がヒントにして制作したと伝わるから、津軽のほうが元祖だといえる。
1953(昭和28)年6月3日の調製と思われる、昔の青森駅弁の掛紙。駅弁の世界では、お寿司つまり助六寿司と、お弁当つまり幕の内弁当を、厳格に分類していたはずなので、この「お寿し弁当」とはどんなものだったのかと思う。調製印に価格を入れ、合理的にできている。
東京駅から新幹線と普通列車を乗り継いで約3時間半。上野駅や大阪駅など本州各地からの列車と、北海道の函館港からの鉄道連絡船との乗り換えで、明治時代末期から昭和40年代まで多くの旅客で賑わった。駅弁は戦前から売られ、昭和時代には釜飯風の駅弁やリアカーでのホーム上の販売が知られたが、2019年9月に撤退。新青森駅などの駅弁の販売も、駅舎の建て替えで2021年2月に消えた。1891(明治24)年9月1日開業、青森県青森市柳川1丁目。