東京駅から新幹線はやぶさ号で約100分。仙台市は宮城県の中央に位置する、人口約110万人の城下町で県庁所在地。豊かな植生で杜の都(もりのみやこ)と呼ばれる、東北地方の首都として君臨する大都会。駅弁は明治時代から売られ、戦後昭和から平成時代に3社が競う日本一の激戦区であったが、JR東日本の子会社が駅弁売店を独占した2010年代からは活気がない。1887(明治20)年12月15日開業、宮城県仙台市青葉区中央1丁目。
2023(令和5)年10月に仙台駅で発売、同月からのJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2023」にエントリー。この四半世紀くらい、牛たん駅弁があふれる仙台駅で、こんな単純な名前の駅弁が未発売で残っていた。商品名のみを記した黒いスリーブに収めた、長方形の発泡材容器に麦入りでない白飯を詰め、牛たんの塩焼きのみで覆い、南蛮味噌漬とレモン果汁とゆず胡椒を添付する中身もまた、とてもシンプル。切れ目を入れた厚めの牛たんという今風の使い方で、温めなくても塩味と脂の乗りでおいしかった。この時点で伯養軒ブランドの駅弁は、仙台駅でほとんど取り扱われなくなっており、新幹線改札口の内外にあるJRの駅のコンビニ「ニューデイズ」で出会えるかどうか。
仙台駅で牛たん弁当のみを売る駅弁売店で買えたお弁当。以前から仙台駅で買えた、牛たんレストランチェーン「喜助」ブランドの商品。今回は製造者が喜助でなく、仙台駅弁の日本レストランエンタプライズになっている。麦飯、牛たん、つくね、付合せを平たいプラ容器に詰めた、おいしい惣菜弁当。
2014(平成26)年の春までに発売か。白御飯に塩味の牛たんと味噌味の牛たんを貼り、牛たん入りのつくね照り焼きと牛たんのそぼろ煮ですき間を埋め、はじかみ、フキとレンコンとニンジンの煮物、しば漬けを添える。
駅弁の名前どおり、そしてパッケージの写真や記載どおり、牛タンを4種類の味で食べられる。しかし、脂が白く浮いて見た目が悪いのは別にして、10年前の仙台駅弁のような薄めで固めの牛たんは、今の時代には評価を得られないと思った。主に仙台駅でなく、東京駅や駅弁催事で売られている模様。価格は2015年の購入時で1,050円、2022年4月から1,250円。
※2022年3月補訂:値上げを追記2014(平成26)年4月までに発売か。真っ黒な楕円形の容器に生姜飯を詰め、牛たんの大和煮と山菜とニンジンとマイタケで覆い、玉子焼、シイタケ煮、ごぼう煮、ふき煮、柴漬けを添える。仙台駅の他の牛たん駅弁とは一線を画す内容。肉の味付けが濃く強く、御飯の生姜風味も肉の種類も飛んでいく、個性的な牛タン駅弁というか、塩分過多の悪しき駅弁というか。1年間ほどの販売か。
2009(平成21)年に発売か。真っ黒な円形の容器をセロハンテープで固定し、中身の写真を印刷したボール紙の枠にはめる。中身は白御飯の上を牛タンの塩焼きと味噌焼とそぼろで覆い、赤かぶ漬、南蛮味噌漬、赤ピーマンと黄ピーマンを添えるもの。最近の駅弁には珍しく、牛タン塩焼きに脂が浮いており、見た目にまずそうであるが、常温で食べても味には問題ない。味付けが強いことは否めない。
パッケージの裏面には伯養軒の略史が記される。実際には2005年の清算と事業譲渡により社歴は断絶しているのだが、ブランドネームとロゴマークと、残存した青森、盛岡、仙台、郡山の支社の所在地や連絡先は、清算前と変わらない。味も良くも悪くもなっていないと思う。価格は2010年の購入時で950円、2016年時点で1,000円。2020年までの販売か。
※2021年3月補訂:終売を追記宮城県とJRの駅弁レシピ公募「第3回みやぎOrara駅弁コンテスト」で準グランプリを獲得した作品の商品化で、2008(平成20)年5月に発売。トレーを接着した円形の容器に透明なふたをして、中身の写真を掲載したボール紙の枠にはめる。
中身は宮城県産ひとめぼれの御飯の上に牛タン甘辛煮、糸こんにゃく、ささがきごぼう、白菜、春菊などを載せるすき焼き風弁当。牛たんは荒く千切られており、風味や食感は普通の牛肉のよう。仙台麩と長なす漬と笹蒲鉾を添えて、仙台駅弁であることをアピールしている。2014年時点で現存しないものと思われる。
※2015年2月補訂:終売を追記テレビ局のイベントでの駅弁催事で、仙台駅弁として売られていたお弁当。写真のとおり、麦飯に味噌焼きと塩焼きの牛タンを4枚ずつ貼り付けたものを、真空パックにして紙箱に詰めている。仙台空港の空弁で見たブランドネームを付けるが、空弁屋というわけではなく仙台で競う牛タン屋のひとつであり、仙台駅でも土産物を売り、この商品も販売されているそうな。
弁当を名乗るし、形態はそうだろうけれども、どう見ても土産物。肉も御飯もカチカチに固まった、まるで牛タンのライスバーガーだが、十分に厚みのある塩味や味噌味の牛タンは、スパイスがしっかり効いたような風味と柔らかな食感で魅せる。500Wの電子レンジで約1分程温めれば、味と香りが増すのかもしれない。2010年頃までの販売か。
※2017年8月補訂:終売を追記羽田空港や仙台空港の空弁として名を広めた棒状牛タン飯「良じおんちゃんの牛たん麦飯」の新パッケージ。商品名や中身の解説などを描いたボール紙のパッケージに、真空パックの直方体が3個収まる。塩味の牛タンを黒麦飯で挟んだサンドイッチがふたつ、みそ味の牛タンを白麦飯で挟んだサンドイッチがひとつ。これだけで千円を取るのだけれども、牛タンは厚みがあるのに固くなく、評判の味は生きている。仙台駅では駅弁売店ではなく土産物店で売られているのではないかと思う。2010年頃までの販売か。
※2017年8月補訂:終売を追記駅弁の名前は「牛舌つづみ」でなく「牛舌づつみ」で正しい、仙台駅の加熱式でない牛タン駅弁。赤い小柄な長方形の容器に、ふたと掛紙を兼ねたボール紙をかけて、割り箸ごと輪ゴムでしばる。掛紙は2003年12月20日から、仙台市内の専門学校生がデザインしたものとなっている。中身は白御飯の上に牛タン味噌焼を載せるだけ。
冷えた牛たんはさすがに見栄えこそ、脂が浮いた感じで悪いものの、食べてみればクセのないあっさりふわふわな食感で、仙台駅の牛タン駅弁として有名である薄く堅めな加熱式のものより、個性がより出ていると思う。万人に受けず一部に根強いファンをつくるタイプか。2014年時点で現存しないものと思われる。
※2015年2月補訂:終売を追記仙台の市中の牛たん屋による牛たん弁当の一種で、加熱機能付き容器を使わないタイプ。1986(昭和61)年に8月に創業し、仙台エリアで牛たんのレストランや売店をチェーン展開する「たんや善治郎」のもの。中身は白御飯、牛たん、南蛮みそ漬のみというシンプルさ。パッケージの中身写真のとおり、2区画の容器それぞれに白御飯を詰め、左側に今風のカットと切れ目を持つ厚くて柔らかい牛たんの塩焼きを、右側に昔ながらの舌の形とした薄くて固い牛たんの味噌焼を、それぞれ散らしている。前者をおいしく、後者を懐かしく食べた。
仙台の市中の牛たん屋による牛たん弁当の一種で、加熱機能付き容器を使わないタイプ。1975(昭和50)年1月に創業し、仙台市内や関東地方や大阪で牛たんレストランをチェーン展開する「喜助」のもの。平たい容器に、ほぼ白御飯な麦飯、牛たん焼、牛すき焼、玉子焼などを、とても整然と並べる。牛たん焼の下にも御飯が敷かれる。不思議なほど美しく整ったつくりのお弁当。おいしい牛タンは厚切りで塩味。
仙台と東京で牛たんレストランを展開する「伊達の牛たん本舗」の持ち帰り弁当。仙台駅と東京駅では駅構内にそのレストランがあるため、駅弁のように買うことができる。二段重ねの容器の中身は、下段が大麦の混ぜ御飯、上段が牛たん焼、牛たんしぐれ煮、しそ巻き、南蛮味噌漬け。容器はスーパーの惣菜のように簡素だが、駅弁のような掛紙に巻かれるし、この価格であるし、駅弁に見えてくる。売り場がレストランの一角であり、作り置きの時間が短いようで、ほんのりあたたかい状態でいただける。
2006(平成18)年秋の駅弁催事で発売した催事用商品。駅弁ではなく「駅弁屋の味」。実在の駅弁屋が作っているようだが、駅売りはないようで、パッケージにも「こちらの商品は駅では販売しておりません。」の注記もある。
約11センチ四方の容器の中に麦飯ではなく茶飯を詰め、牛たんの塩焼きと味噌焼を貼り付ける。内容は仙台駅弁らしいし、風味も仙台駅弁のものだが、分量に対する価格は感覚的に2割ほど高い。駅弁屋と催事屋とスーパーの三層構造でマージンがかかっていると思えば、そんなものか。
仙台駅の駅弁売店で買えた、駅弁屋ブランドのレトルトカレー。商品の名前のとおり、カレーに牛たんが入る。写真は白飯と器を別に用意した調理例。牛たん入りというだけで、仙台のご当地感がある。各社のものが各地で買えるレトルト牛たんカレーの中で、これは具が小さめで上品な感じを受けた。保存食なので仙台に限らず、各地と通販で買える。
ウェルネス伯養軒の前身である伯養軒はかつて、東北地方一帯で駅弁と食堂を手掛けた、外食産業の名門企業であった。仙台空港の食堂と供食も手掛け、1981年に仙台空港のレストランで提供し「世界のエアラインクルーに大人気だったカレー」を現代風にアレンジしたものが、このレトルトカレーだという。ただし仙台空港の国際化は1990年。箱の「機内食を製造して四半世紀 世界の航空会社が賞賛したご当地カレー」表記の理由はこれだろう。
仙台駅の駅弁売店で買えた、駅弁屋ブランドのレトルトシチュー。商品の名前のとおり、シチューに牛たんが入る。牛たん入りというだけで、仙台のご当地感がある。上記の牛たんカレーと違い、類例に乏しいから個性的な商品だと思う。こちらは宣伝文を「明治23年からの伝統を受け継ぐウェルネス伯養軒の前身が心を込めてお届けします」としたが、2005年の清算で歴史が切れていると思うし、シチューの伝統はあったのだろうか。