新宿駅から小田急線の電車で約40分。町田市は東京都中部の南端に位置する、人口約43万人のベッドタウン。1908年に横浜と八王子を結ぶ鉄道が通じ、1927年に新宿と小田原を結ぶ鉄道が通じ、第二次大戦後の高度経済成長で住宅と人口が激増、町田駅付近に商業が集積した。駅弁はなかったが、2023年から朝に時々売られることがある。1927(昭和2)年4月1日開業、東京都町田市原町田六丁目。
まちだの駅弁の第2回または第2弾は、2024(令和6)年1月6日から8日までの、朝7時30分から9時頃まで販売。内容は日替わりだそうで、1月6日は40個を売ったという。この1月8日版は、日の丸御飯に鶏肉の味噌焼き、れんこんの青のり揚げ、さつまいも、伊達巻き、椎茸や人参などの煮物、ポテトサラダ、小松菜おひたし、赤カリフラワーなどを折り重ねた。今回の販売もネット上で紹介され、開店前に行列ができ、見た目に行楽客でも用務客でもない方々に買われていった。
まちだの駅弁の第3弾は、プロサッカーJリーグのFC町田ゼルビア戦の実施に合わせて2024年5月19日と6月1日の11時から、町田駅でなくスタジアム最寄り駅の鶴川駅の北口改札前で、一日100個を1,100円にて販売。第4弾は2024年9月21・22日に、町田市でもない新百合ヶ丘駅で同様に販売。引き続き、定期的な販売は行われていない。
※2024年10月補訂:以後の販売を追記2023(令和5)年9月16日から18日までの3日間、朝7時30分から一日40個または80個を販売。小田急町田駅で初めての駅弁。同駅の駅員が発案し、掛紙の絵柄も駅員が描き、中身は町田市観光コンベンション協会を通じて町田市内で障害者の活動を支援するNPO法人プラナスに依頼し、主に町田産の食材を使って調製、駅の机や椅子を使い、駅員が販売した。
長方形の木質エコ容器の、半分に白飯を詰め、しその葉を介した残る半分に豚肉、れんこん揚げ、かぼちゃやしいたけなどの煮物、ささがきごぼう、玉子焼、さつまいも、小松菜などを折り重ねる。調製元は町田市内でも、町田駅から相模原市を介してはるか遠くの相原町とある。「里山ごはん」の名にふさわしい、それぞれの食材に存在感のあるお弁当だった。
町田市は東京都の中部の南端に位置する、人口約43万人のベッドタウン。出土品より旧石器時代から現代まで人が住んでいたようだが、町になるのは鉄道ができてから。甲州や信州の生糸を開港へ短絡して運ぶためにできた横浜鉄道のちJR横浜線が原町田駅を設け、東京市内の地下鉄道ができなかった代わりに東京と小田原を短絡する電気鉄道を敷いた小田原急行鉄道のち小田急小田原線が新原町田駅を設け、第二次大戦後の高度経済成長で多摩丘陵の小山や台地が都市化されたことで、日に50万人が行き交う交通結節点となった。
1980年までにいずれも町田駅となった、横浜線と小田急線の駅に、駅弁はなかった。通勤電車の横浜線に駅弁の必要はないだろう。小田急線は特急ロマンスカーが1990年代には通勤に加えて観光でも利用され始め、しかし1976年から小田急百貨店が載り食品が豊富に売られる駅に駅弁売店はできず、その10時の開店前に駅弁(のような弁当)が買えないという声が駅に届き、この駅弁の販売とその販売時間に反映された。
この駅弁は見た目には、ミニコミ誌のネット情報を見た鉄道マニアと駅弁マニアだけに買われた感じ。販売時間前に待ち行列ができ、彼らにだけ買われて品切れた。この3日間の実績は、はたして今後につながるのだろうか。