東京駅から普通列車を乗り継いで約2時間。山北町は神奈川県の最西端に位置する、人口約1万人の山間の町。現在の御殿場線が東海道本線であった頃は、峠越えの機関車を抱える鉄道の街として栄えた。駅弁は明治・大正時代に「鮎寿し」が有名で、当時は全国を代表する駅弁のひとつであっただろうが、すでになくなって久しい。1889(明治22)年2月1日開業、神奈川県足柄上郡山北町山北。
2009年10月11日に山北町中央公民館とその建物前で開催された「JR御殿場線山北駅開業120周年記念イベント」で買えた、地元の食材のみを使用したというオリジナル弁当。小さなプラ製の惣菜容器を、昔の山北駅構内でたたずむ蒸気機関車の写真を印刷した掛紙で包む。中身はおいなりさん3個におから、ぶどう、煮豆、厚揚げ、シメジ、カボチャ煮、とりそぼろなど。
もう二度と買えないとは思うが、雰囲気のとても良い手作り弁当で、しかもこれで300円とは大変にお買い得。年に一度10個程度でいいから、記念駅弁として山北駅のキヨスクで発売すれば、地元の宣伝になるのではと思う。調製元は不詳。
1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通し、東海道本線が現在の熱海経由のルートに切り替わると、鉄道の街として栄えた山北は急速にさびれていったという。急行列車や長距離列車が来なくなり、1943(昭和18)年に機関区がなくなり、駅弁も消え、駅も小さくなった。しかし今でも鉄道と駅は現役で、売店の営業もあり、土休日はハイキング客で賑わうこともある。
2009年10月11日に山北町中央公民館とその建物前で開催された「JR御殿場線山北駅開業120周年記念イベント」で買えた、かつての山北駅弁の復刻版。透明プラ製の惣菜容器を、静岡県三島市の駅弁掛紙収集家で著名な駅弁サイト「駅弁の小窓」の運営者が提供した昭和初期の駅弁掛紙のカラーコピーで包む。中身は鮎の姿ずしが1本。
天然物を使ったというアユは、人吉駅などに残るアユ姿寿司駅弁に比べてかなり小柄で、しかも非常に酢がきいておりとても酸っぱかった。一日限りの復刻駅弁に価格の妥当性は必要ないし、この復刻駅弁の発売は新聞記事にもなったが、現役当時の味もこうだったのか、そうであれば第二次大戦後生まれの世代の口にはとても合わないと思う。
山北駅の鮎ずしは第二次大戦前における全国一の有名駅弁ではなかったかと思うほど、当時の文学作品や紀行文に購入記録が残っている。日本の首都と京阪神、さらに西の方面へ海外までを結ぶ最重要幹線であった東海道本線が、伊豆半島の付け根で山越えをするにあたり蒸気機関車の増結や解放を行った、1963年から1997年までの信越本線横川駅をスケールアップしたような駅が当時の山北駅であり、停車時間中に駅弁「鮎ずし」がたくさん売れたという。
昭和(または大正)7年10月22日17時の調製と思われる、昔の山北駅弁の掛紙。1934(昭和9)年の丹那トンネル開通まで、日本の最重要幹線であった東海道本線は現在の御殿場線経由。山北駅は箱根越えのための機関車を付け替える鉄道の要衝で、多くの通過旅客や鉄道員や蒸気機関車や客車貨車で賑わい、駅弁もたくさん売れた。