第二次大戦前の調製と思われる、昔の村上駅弁の掛紙。絵柄や記載内容に村上を思わせるものはなく、大正時代から第二次大戦中まで時期を推定できるような情報も見あたらない。
村上駅では現在のJR羽越本線が全通した1924(大正13)年頃に駅弁が出現したらしいが、1936(昭和11)年8月に現在のJR米坂線が全通した後、または1938(昭和13)年3月に機関車の拠点が村上から坂町に移転した頃、あるいは1940(昭和15)年5月に、調製元が村上駅から坂町駅に移転し、以来駅弁のない駅。
越後平野の北端に位置し、古くからここを起終点とする列車あったり急行列車が止まり、1954(昭和29)年3月に市制を敷くような城下町があり、1972(昭和47)年8月の羽越本線電化で交流電化と直流電化の接点になり、平成時代には村上牛が知名度を上げて新潟駅の駅弁になったのに、村上駅に駅弁をという話がまったく聞かれない。
新潟駅から特急しらゆきで約80分。柏崎市は新潟県中部の中越地方で日本海に面した、人口約8万人の宿場町。明治時代に西山油田で栄え、製造業の工業都市となり、世界最大の原子力発電所が立地する。駅弁は1902(明治35)年頃から1960年代過ぎまで売られ、幹線鉄道の主要駅にもかかわらず早くに消えた。1897(明治30)年8月1日開業、新潟県柏崎市駅前一丁目。
1920年代、大正10年代のものと思われる、昔の柏崎駅弁の掛紙。海に面した柏崎で、海らしい絵柄としたのだろうか。松と鳥を描く扇を重ねた。赤い部分はおそらく、過去の誰かの保管時に他の紙と重ねてインクが転移したのではないかと思う。柏崎駅では1902(明治35)年頃から1960年代過ぎまで駅弁が売られた。調製元の天京は、柏崎では名の通った旅館だったらしい。
新潟駅から電車で約1時間。羽越本線が米坂線を分ける坂町駅には、昭和時代には国鉄の機関区が置かれ、近隣の新津ほどではないものの鉄道の要衝であり、当時は幕の内と寿司の駅弁が売られた。今は駅弁の痕跡はない。1914(大正3)年11月1日開業、新潟県村上市坂町。
昭和30年代頃の調製と思われる、昔の坂町駅弁の掛紙。羽越本線と米坂線の接続駅である坂町では、昭和50年代頃まで幕の内と寿司の普通弁当が細々と売られていたそうだが、今はなくなっている。
新潟駅から白新線の電車で約40分。新発田市は新潟県の北東部に位置する、人口約9.4万人の城下町。稲作などの農業が盛んで、陸軍や陸上自衛隊の駐屯地であり、繊維業から工業が興り、新潟のベッドタウンでもある。駅弁は第二次大戦前から1990年代まで売られたが今はなく、当時の駅弁屋の駅弁が今は新潟駅や新津駅前で売られる。1912(大正元)年9月2日開業、新潟県新発田市諏訪町一丁目。
新潟駅から越後線の電車で約1時間。吉田駅は越後線と弥彦線が交わる駅。ここに1913(大正2)年から1970年頃まで駅弁が存在したことは、もはや忘れ去られている。1912(大正元)年8月25日開業、新潟県燕市吉田堤町。
長岡駅から上越線の普通列車で30分強。魚沼市は新潟県中部の中越地方の南端で、2004年11月に2町4村が合併してできた市。市域の大部分が森林であるほか、最高級の銘柄米である魚沼産コシヒカリを名乗れる地域の一部である。駅弁は1943年頃から1990年頃まで売られた。1923(大正12)年9月1日開業、新潟県魚沼市四日町。