東京駅から北陸新幹線で約1時間半。長野市は長野県の北部に位置する、人口約37万人の門前町で県庁所在地。6〜7世紀からの歴史が伝わる善光寺が参拝客を集め、県庁や鉄道や銀行で商業が興り、1998年には冬季五輪が開催された。駅弁は1892年からの駅弁屋が2007年に撤退、東京駅の駅弁が売られた後に、県内業者の弁当が売店に入荷するようになった。1888(明治21)年5月1日開業、長野県長野市末広町。
2013(平成25)年5月の発売か。白御飯に「りんご和牛 信州牛」の牛肉煮を、少々のタマネギ炒めや糸こんにゃくとともに敷き詰め、野沢菜炒めと大根漬をやはり少々添える。見た目では脂肪たっぷり、しかし食べれば赤身しっかりの牛肉の、風味や口当たりは淡く、見た印象と違う落ち着きが感じられる。2020年4月の塩尻駅弁の事業譲渡で、この駅弁は「お弁当のカワカミ」ブランドの商品になったらしい。
※2022年9月補訂:現況を追記2013(平成25)年4月の発売。長野県須坂の料亭で1967(昭和42)年から廃業の2000(平成12)年まで売られた名物料理を復刻したものだという。細長い容器に、干しシイタケを混ぜた酢飯を詰め、牛肉のしぐれ煮で覆い、ししとう、玉子焼、野沢菜の漬物、りんごのコンポートを添える。その発売は長野のネット上などで話題になったようだが、買って食べた懐かしかったという話はまだ見ていない。2014年頃までの販売か。
2004(平成16)年までに発売か。楕円形の木目調ふた付きボール紙容器を、割りばしなどと一緒に赤い紙枠にはめる。中身は日の丸御飯に信州牛すき焼き肉と焼豆腐やシラタキや煮玉子やネギなど、つまりすき焼きが添えられる。常温でも暖かくても、キンキンに冷えてもすき焼きの風味を出しそうな美味さ。発熱容器版の存在や、現地では一日十個限定という話もある。
新興ブランド牛はもう食傷気味だが、信州牛の「りんごで育った」という枕詞は他にない。飼料にリンゴを加えることで牛の食欲が増進し良い霜降りができるそうで、駅弁のものも柔らかくておいしかったが、長野県と同じく求心力が弱いブランドのようで、偽装牛肉に一年以上気が付かれなかったりしている。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記2004(平成16)年までに発売したと思われる、上記駅弁の加熱機能付き容器版。中身と価格が少々異なるが、コンセプトと風味は同一で、優劣はないが個人的な価値観として、通常版のほうがより駅弁らしいと思った。パッケージに「期間限定」とあるとおり冬季限定駅弁であったが、調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末までに終売となった。
2009(平成21)年10月24,25日に東京駅で開催された「第10回東日本縦断駅弁大会」に向けた投入か。登場中身を美しく撮影したボール紙の長方形の容器に、リンゴの実や葉が印刷される白いプラ製トレーを詰める。中身は紫米混じりの味付飯に、スパゲティを敷いてシメジやマイタケにまみれた牛肉のハンバーグ、野菜のマリネ、リンゴのコンポートを添えるもの。
小柄なハンバーグを見ると価格はなんとなく割高で、スパゲティこそ油漬けだったが、内容と常温での確かな風味は、ここならではのハンバーグ駅弁として存在感を出せるのではと思う。しかしどうやら2010年3月に容器を変えて、大宮駅の駅弁売店「駅弁屋旨囲門」限定商品として登場した模様。そもそも大宮駅でのみ販売するために、あのカリスマ店長の主導で開発された商品なのかもしれない。
この駅弁は調製元の破産により2012年3月30日までに終売となった模様。
※2012年4月補訂:終売を追記2007(平成19)年10月20日の調製である、長野駅弁の掛紙。この駅弁の登場当初はこのように、飾り気のないシンプルなデザインのボール紙でふたをしており、目立たない存在であった。
2008(平成20)年10月12日の調製である、長野駅弁の掛紙。ふたがボール紙から透明なプラ製になり、そのため掛紙が使用されるようになり、中身の写真をアップで使う派手なデザインに差し変わった。これならば見るからにおいしそうなお弁当に見える。この頃にはこうやって駅弁大会へも出品されるなど、長野駅弁としての地位を築きつつあった。
2007(平成19)年6月に登場した新生長野駅弁。長方形の黒い容器に、駅弁の名前や宣伝句と中身の写真を印刷した書いた黒いボール紙でふたをする。中身は白御飯の上をタマネギ炒めと信州牛の薄焼肉で覆い、黄身が半熟な煮玉子に大根浅漬と、リンゴのコンポート(砂糖煮またはシロップ漬)を添えるもの。
見栄えも風味も注意書きも、以前の洗練された長野駅弁と比べて野暮ったい印象は受ける。しかし真空低温調理の牛肉や半熟玉子にはすでにファンが付いているし、リンゴで長野が演じられている。それに撤退業者の後継が出ること自体、JR東日本エリアでは珍しいので、今後の発展を願わずにはいられない。
この駅弁は調製元の破産により2012年3月30日までに終売となった模様。
※2012年8月補訂:当初登場タイプ写真削除により解説文を転記