東京駅から北陸新幹線で約1時間半。長野市は長野県の北部に位置する、人口約37万人の門前町で県庁所在地。6〜7世紀からの歴史が伝わる善光寺が参拝客を集め、県庁や鉄道や銀行で商業が興り、1998年には冬季五輪が開催された。駅弁は1892年からの駅弁屋が2007年に撤退、東京駅の駅弁が売られた後に、県内業者の弁当が売店に入荷するようになった。1888(明治21)年5月1日開業、長野県長野市末広町。
北陸タイプな正方形の押し寿司を5個、笹の葉と透明なシートで個別包装し、商品名と調製元を描いたボール紙の箱に詰めたもの。味は良い意味での並。しかし分量の割に高価だこと。調製元は富山県立山の土産物店であるが、ここのマス寿司は不思議と長野県内の主要駅で売られている。
新しい富山駅弁「ますのすし小丸」サイズの小さなマス寿司が1個、中身を大きく美しく印刷したボール紙の箱に入る。味は良い意味での並。しかし分量の割にずいぶんと高価だこと。調製元は富山県立山の土産物店であるが、ここのマス寿司は不思議と長野県内の主要駅で売られている。
NHK大河ドラマ「天と地と」放送に合わせて、1969(昭和44)年に発売。長野駅の昭和の頃の名物駅弁で、最近はちょっと影が薄い。ふたが2枚付くボール紙の長方形の容器に白いトレーを入れる。そこに笹を敷き酢飯を詰め、手前左から椎茸、肉そぼろ、イクラ、富倉山菜炊、紅マス、野沢菜油炒の順番で具を載せる。本物の駅弁通はこの順番を覚えているとか。食事としての風味は並で見栄えとコンセプトで味を出す点は、昭和の頃の名物駅弁といった感じ。
川中島合戦の故事にちなんだ笹ずしとのことだが、その関連は調製元の公式サイトでも現物でもよく分からない。川中島の合戦とは、1553年から1564年にかけて、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信の戦国時代を代表する両雄が、長野県の川中島地区で5度も戦ったと言われるもの。特に永禄4年(1561年)の第4次合戦は、時代を代表する決戦や激戦として、小説やテレビ番組などで今でも繰り返し取り上げられる。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記1992(平成4)年1月12日の調製と思われる、長野駅弁のパッケージ。内容は発売時から終売まで変わらなかったはず。当時は笹の葉の色と柄を持つ、取っ手付きの箱で売られたことがわかる。
ワインか日本酒の小瓶が入りそうな手提げ付き紙袋を使う。中身は、正方形の酢飯に信濃雪鱒か紅鱒を載せた押し寿司を笹で包に、具を記した紙帯を締め惣菜寿司向けトレーに入れてビニール袋に詰めてある。味は北陸沿線の同種品と同じく美味いが、笹の若々しい緑色と肌触りが、駅弁を上品なものに仕上げている。一日半の日持ちがするのでお土産にも向きそう。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記