近鉄の津駅で見つけた、持ち帰り向け惣菜としての寿司。紙箱に入っているので、駅弁に見えなくもない。写真のとおり、惣菜として標準的なネタを載せたにぎり寿司などが入っていた。調製元は中京地区に寿司食堂や回転寿司や持ち帰り寿司店の店舗網を築く名古屋の水産商社。
津は三重県の県庁所在地であり、津駅は近鉄とJRと伊勢鉄道が乗り入れるターミナルである。国内で(あるいは世界で)最も短い地名や駅名でも知られる。しかし三重県内に限っても、津市は人口で四日市市に負け、駅の利用者数は近鉄でもJRでも県内1位でなく、観光地としても伊勢志摩や熊野古道に匹敵するものはない。駅弁もずいぶん前に消えている。「津々浦々」と言われるくらい日本全国に存在する地名あるいは施設名の一般名詞を名乗るくらい、重要な土地であったのだと思うのだが。
2013(平成25)年1月の阪神百貨店の駅弁大会で発売か。容器に巻き付けた掛紙に書かれるとおり、伊勢は神宮の第62回式年遷宮で賑わっており、これに伴い開発されたのだろう。デパ地下の惣菜容器に、あさりしぐれ、あなご天、えび天の天むすを2個ずつ詰める。軽い塩味の、お手頃でお手軽な軽食。宇治山田駅に加えて鳥羽駅でも売られたそうな。1年間ほどの販売か。
宇治山田駅は伊勢神宮の玄関口として、現在の近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道の子会社であった参宮急行電鉄が、ターミナル駅として巨大かつ荘厳な駅舎と高架橋を建てた。第二次大戦後も玄関口として君臨したが、1969(昭和44)年の鳥羽線の開業により終着駅でなくなり、車社会化や伊勢自動車道の開通、バブル経済以降の伊勢・志摩観光の停滞、中心市街地の衰退などにより、駅の利用者(定期券客を除く)は30年で3分の1に減った。それでもすべての近鉄特急が止まり、皇族や内閣のお伊勢まいりではここの貴賓室が使われるなど、駅としての地位の高さを守る。駅舎は2001(平成13)年に国の登録有形文化財となった。
伊勢神宮の内宮の最寄り駅である近鉄の五十鈴川駅で、弁当とともに台売りされていた商品。羊羹でも入っていそうなボール紙の容器の中に、真空パックの牛肉の太巻寿司が入る。カットされているのでそのまま食べられ駅弁代わりになり、一方で保存が利くのでお土産にも向くようで、パッケージに暖めるともっと美味い旨のコメントが付いている。私はそのまま食べたが、飯がパラパラで牛の風味が薄く感じられたため、暖めるのが正解のようだ。
現況は不詳だが、遠く静岡県で近鉄が経営する東名高速道路浜名湖サービスエリアで同種異名の商品を見たりしているので、駅売りに限らずどこかで取り扱われているかもしれない。
※2015年8月補訂:現況の推測を追記近鉄線の主要駅で販売されていた牛肉駅弁。折角の経木の容器に、トレーを入れてボール紙のふたをかけているのはもったいない。中身は白御飯に牛ステーキにフライドポテトという具合で、松阪駅の牛肉駅弁にそっくりだが、肝心の牛肉が固くて噛み切れず、こちらの弁当にはナイフの添付が欲しいところ。しかし、この地域の鉄道利用は近鉄がJRを圧倒しているので、これがあの松阪牛駅弁だと誤認して購入するお客さんは多いかもしれない。調製元が2008年度限りで駅弁から撤退したそうで、この駅弁は現存しない。
※2015年8月補訂:終売を追記これは駅弁ではなく、料理屋を持つ旅館が作る弁当で、高島屋横浜店の物産展で実演販売されたもの。黒い長方形の容器の中身は、かきの混ぜ御飯にカキフライが3個入る、価格や内容や分量で駅弁とウソをついても納得されるような内容。弁当名から製造販売者の物凄い自信を感じるが、出来立てでほんのり暖かかったことも加わり、確かにとても美味かった。
三重県の駅弁販売駅は松阪駅のみ。参宮線の駅にこのような駅弁があればと思い、当館に収蔵した。2004年冬の情報では、冬期の土休日に限り近鉄志摩磯部駅で販売されているとのこと。
入手状況から1992(平成4)年11月16日7時の調製と思われる、昔の近鉄の駅弁の掛紙の一部。近鉄の駅の売店や特急列車の車内販売で売られる弁当は、戦後昭和から2002(平成14)年まで、子会社の近鉄観光が手掛けていた。
昭和50年代頃のものと思われる、昔の近鉄の駅弁の掛紙。近鉄鳥羽線の鳥羽駅付近と思われる線路を走る、近鉄特急ビスタカーの写真を使う。
1984(昭和59)年12月23日の調製と思われる、グリル近鉄の弁当のふた。近鉄の東半分、愛知県内や三重県内のどこかで売られたと考えられる。調製は三重県内の宇治山田駅でも、絵柄は大阪。当時に路線長で国内最大の私鉄であった近畿日本鉄道では、子会社が駅弁を調製し、駅で販売していた。駅ごとに駅弁屋が異なることは、なかったようだ。