博多駅から新幹線で約50分。山陽新幹線と山陽本線が接続し、岩徳線列車を分ける駅。周南市は瀬戸内海に面した、人口約13万人の港湾都市。第二次大戦後に石油化学コンビナートを抱える工業都市として発展した。駅弁は明治時代からの駅弁屋が2010年に廃業した後、新幹線改札内の売店に地元業者の弁当が置かれるようになった。1897(明治30)年9月25日開業、山口県周南市御幸通2丁目。
2010(平成22)年7月に徳山駅のコンビニ「デイリーイン」で発売。同年3月で駅弁屋の廃業により失われた徳山駅弁が、別業者により違う姿で復活した。市内の粭島(すくもじま)がフグの延縄漁はえなわりょう)の発祥の地であることにちなみ、市内でフグの通信販売や料理店を営む徳山ふくセンターが、フグの弁当を開発して駅に置いてもらうこととなった。
2020(令和2)年にリニューアルされた姿は、二段に重ねた長方形のプラ容器の、下段にフグの身と椎茸を載せた炊込飯、上段にフグのフライと南蛮漬、ウインナー、うずら卵、昆布巻などのおかず。フグの駅弁はとても珍しい。大都会や高級店や贈答品の高級食材でないタイプのフグを、淡泊で駅弁では珍しい食材を味わえる、普段使いのお弁当。価格は2010年の発売時で950円、2015年時点で1,000円、2018年時点で1,080円、2020年に1,000円へ戻り、2023年時点で1,100円。
※2023年6月補訂:値上げを追記上記の駅弁「幸ふく弁当」の、2010(平成22)年の発売当時の姿。フグとシジミの炊込飯を、錦糸卵と絹さやの刻みで覆い、骨付きのフグ南蛮2個やナス焼やししとうなどを添えていた。以後、掛紙と御飯とフグを維持しながら、おかずや付合せを変化させていった。発売当初は一日5個、半年を経て20個くらい売れたそうだ。
※2020年12月補訂:新版の収蔵で解説文を手直し2010(平成22)年7月からの販売。黒塗りで正方形の容器に透明なふたをして、中身の写真に商品名を印刷した掛紙を巻く。中身は白御飯の上に錦糸卵を敷き、タレに漬かった刻みアナゴをまぶし、エビのボイルを四方向に並べ、パセリとガリを添えるもの。飯とアナゴとエビの味は合っていない気がしたものの、それぞれの淡さと柔らかさは、なかなかのもの。この駅弁は季節販売である模様。2014年までの販売か。
徳山駅では下記のとおり、2010年3月25日限りで駅弁が失われた。報道上では徳山と下関の新山口への合併とされたが、実態は土休日の駅弁販売が続く下関と違い、徳山は駅構内の食堂を他社に譲り駅前の売店を閉める、駅弁としては完全な撤退となった。しかし誰も宣伝しないまま、新幹線改札内限定ではあるが、このように地元の弁当が進出している。
※2019年8月補訂:終売を追記2010(平成22)年7月からの販売。プラ製トレーを接着した長方形の容器に透明なふたをして、ウナギ蒲焼の写真と商品名を印刷した掛紙を巻く。中身は白御飯にタレをかけ、ウナギの蒲焼きをスライスして詰め、玉子焼と漬物と山椒とタレを添えるもの。これも非常にやわらかい感じ。ウナギを蒲焼きそのものやその刻みでなく、アナゴの駅弁のようにスライスで詰める駅弁は、初めて見たと思う。この駅弁は季節販売である模様。価格は2010年の発売時や購入時で1,200円、2013年時点で1,300円。2018年までの販売か。
※2019年8月補訂:終売を追記山陽新幹線「ひかりレールスター」運転開始を記念して、2000(平成12)年3月に発売。フグと様々な動物のアイコンをちりばめた専用のボール紙製容器を使用、割りばしを置いて輪ゴムで十字にしばる。9区画の黒いプラ製トレーに入る中身は、花形日の丸御飯、扇形赤飯、いなりずし、トラフグ唐揚2本、玉子焼とかまぼこ、アナゴ2切れ、イイダコとエビとサトイモの煮物、シイタケとレンコンの煮物としのだ巻、すき焼風味大豆。徳山に関連する海と山の食材を詰め込んだという。
駅弁の名前は徳山の「とく」とフグの古名で山口県内の呼び名「ふく」を組み合わせたと見える。レールスターの他に「とらふく」延縄魚発祥の地であることと1960(昭和35)年開業の徳山動物園も記念したというが、ここまで来るとテーマが拡散し過ぎている感があり、中身も同様で雑多な印象を受けてしまった。駅弁屋さんの意欲の空回りが残念。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
※2011年3月補訂:旧版の写真削除に伴う解説文の移動、増強、終売の追記2001(平成13)年12月31日に購入した、徳山駅弁のパッケージ。中身は約8年後の上記の駅弁「とくちゃんふくちゃん弁当」と同じで、価格は100円安く、パッケージには700系新幹線電車の写真も載っていた。
徳山駅の並等幕の内弁当。正方形の平たい経木枠の容器に木目柄のボール紙でふたをして、漢太寺と笠戸大橋の写真を掲載した掛紙でつつみ、ビニールひもで十字にしばる。中身は日の丸俵飯と、半透明のトレーに詰められたコロッケ、焼きサバ、玉子焼、カマボコ、カニかま、肉団子、ソーセージ、糸こんにゃく、福神漬。
このような昭和の昔の幕の内駅弁が、よくぞ21世紀まで残っていたものだと感心する。同時に、よくぞこのレベルの弁当を21世紀まで550円という安価で提供し続けていたものだと、また感心する。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
徳山駅の中等幕の内弁当。正方形の平たい経木枠の容器に木目柄のボール紙でふたをして、漢太寺と笠戸大橋の写真を掲載した掛紙でつつみ、ビニールひもで十字にしばる。中身は日の丸俵飯と、半透明のトレーに詰められたハンバーグと豚生姜焼、焼き鮭とウインナー、ハムとかまぼこと玉子焼、揚げ焼売とゴボウとレンコン、糸こんにゃく、豚角煮とピンク漬。
見た目の貧相と内容の豪華と味の凡庸な安心感を足して3で割ったようなお弁当という印象。上記の並等幕の内に比べて、おかずのグレードは安物感はあるものの上がっているが、容器と御飯と駅弁の名前と掛紙ネタが同じなので、まるで間違い探しをしているよう。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
東京と九州を結ぶ寝台特急列車「富士」「はやぶさ」の下り列車での朝の車内販売で買えたサンドイッチ。ハムタマゴサンドが2切れ、キュウリとキャベツとトマトの野菜サンドが2切れ、小さなプラ製の惣菜容器に収まる。1切れ100円と考えれば高価だが、具の見栄えと新鮮さは良かった。調製元が徳山駅弁当なのでここに収蔵したが、これはもしかすると車内販売専用商品で、駅売りをしていないかもしれない。列車の廃止と調製元の廃業で、現在は買えないものと思われる。
上記の寝台特急はいずれも2009年3月13日限りで廃止されている。乗車日時点で私も含めて最後に乗っておこうと考える人が多く、寝台券の入手は困難になり乗客も増えていた。下りの朝の車販は徳山から1号車から始まるという情報をネットなどで仕入れたのか、駅到着の数十分前から通路には数十人の行列ができており、販売開始とともに柳井駅弁が売り切れ、次に徳山駅弁の「あなご飯」が売り切れ、残る弁当類は「徳山幕の内」とこのサンドイッチだけになっていた。食堂車はすでに1993年3月に廃止されているため、これも買えなかった乗客は下関駅のホームで弁当屋に行列を作ることになる。
※2011年7月補訂:終売を追記下記の駅弁「徳山幕の内」の、普段の姿。中身と価格は同じで、ふたの絵柄が「観光周南市案内図」なる、少々にじんだイラストマップ。この絵柄自体は修正しながら長く使い続けられている模様。弁当に対する感想も、前回と同じ。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
国鉄時代には新幹線と並ぶ花形列車であった、東京と九州を結ぶブルートレイン。これが全廃される時代が来るなど、昭和の頃は考えられなかったが、そのお名残乗車ブームは意外に大きくなかったのか、今回は乗車の約2週間前に難なくB寝台が取れ、これを乗車当日にB寝台個室「ソロ」へと変更できた。熊本での所用は切符の購入後に考えて、熊本電鉄に鶴屋百貨店の駅弁大会と熊本城や天草空港をめぐり、飛行機で帰ってきた。
※2011年7月補訂:終売を追記山陽新幹線0系新幹線電車の引退を記念して、2008(平成20)年9月10日から12月まで販売された記念駅弁。といっても中身や価格は通常版の徳山幕の内(のりまき弁当)と同一で、経木枠の長方形の容器に被せるボール紙のふたの絵柄のみ、0系電車の写真に差し替えている。
中身は俵飯4個分と海苔巻き白御飯4個、焼鮭とカマボコと玉子焼、じゃがいものコロッケ、鶏肉や海老やレンコンなどの煮物に昆布巻、肉団子、ハモしそ巻き、コンニャクに明太子など。肉も魚もなんでも入っているが、何でも詰め込んでいる感じで そんな主題の不詳さと味付けの濃さが、なんとも徳山駅弁らしいもの。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
工業地帯は昭和30年代まで国と地域の力を示すシンボルとして誇られてきたが、昭和40年代になって公害が社会問題になると一転して、忌み嫌われ避けられる迷惑施設として、隠されるか控えめに紹介されるようになってしまった。大阪その他の駅弁の掛紙からも消えてしまったが、徳山では今でもコンビナートこそが地域の象徴、この駅弁の0系写真でもあえて、新幹線の線路の海側に連続するコンビナートを背景に据えている。
※2011年7月補訂:終売を追記瀬戸内に広く分布する穴子駅弁の徳山駅版。金地朱印で魅せる長方形ボール紙容器を事務用輪ゴムでしばる。中身は御飯の上に腹開きの穴子蒲焼にその刻みを載せるもの。見栄えは良く穴子の品質も良いのに、その味付けがただ塩辛く醤油辛いだけになっているのはもったいない。なお、2004年8月13日に食べたものは辛さが薄く、添付のタレを使わずにおいしくいただけた。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。この駅弁は徳山・小郡・下関の駅弁屋の合併、実態は徳山と下関の廃業により、2010年3月25日限りで失われてしまった。
山口県周南(しゅうなん)市は、2003年4月21日に徳山・新南陽・鹿野・熊毛の2市2町が合併してできた、山口県最大の面積を誇る人口約16万人の市。市名は旧国名「周防(すおう)」南部から来たと思われる地域名を取ったものだが、旧国名も新市名も地元以外の人で読める人は少ないだろう。石油化学コンビナートやそれに代わる産業の振興とともに、知名度の回復も市の重要な課題だと思われる。
※2011年7月補訂:終売を追記1980年代のものと思われる、昔の徳山駅弁の掛紙。新幹線と幹線道路と巨大工場を構図とし徳山らしさを出した、力強い写真。東海道を除く新幹線は、最小曲線半径が4000メートルもあるので、望遠レンズの力に頼らなければ曲がる新幹線列車を写しにくいが、徳山駅付近には半径1600メートルの急カーブがあるため、このような写真が撮れた。当時は最高時速210kmの新幹線が170kmで、現在は最高時速300kmの新幹線が185kmで徐行運転。
入手状況から1977年の調製と思われる、昔の徳山駅弁の掛紙。ちょっとファンシーでシンプルなデザインに見えて、徳山動物園の象と工業地帯のガスタンクや石油タンクという、徳山が誇る地域のシンボルをしっかりサポートしている。
入手状況から1977年の調製と思われる、昔の徳山駅弁の掛紙。意匠で押さえている点は上記の掛紙と同じだが、瀬戸内の島々が加わり、それぞれの内容が少し詳細に描かれている。
1960年代に使われたのではないかと思う、昔の徳山駅弁の掛紙。調製元の社名がなければ、駅弁の掛紙とは分からないような、何も示していない絵柄と名前である。