九州新幹線の新八代駅から鹿児島中央駅までの部分開業に合わせて、2011年3月から指宿枕崎線の鹿児島中央駅と指宿駅を結び始めた観光列車「指宿のたまて箱」で、事前の会員登録とネット予約により列車内で受け取れる車内弁当として、2023(令和5)年10月1日に発売、同日からのJR九州の駅弁キャンペーン「第14回九州駅弁グランプリ」へエントリー。これは駅では買えない車内弁当。
列車にない独自のイラストを使う白黒の掛紙を巻いた、市販品ながら実際の車両の半身と同じように真っ黒な紙箱に、うなぎおにぎり、ひじき肉巻おにぎり、黒米おにぎり、レッドキャベツ・黒酢つけおにぎり、ちらし寿司おにぎり、きざみ梅おにぎりで6個の手まり寿司サイズの飯球を詰め、黒豚カツ、たまご焼き、さつま揚げ、カンパチの照焼、カツオの煮付け、豚ごぼう巻きを添える。
小箱に小粒な料理の詰合せはきっと、玉手箱をイメージしたのだろう。その激しく揺れる列車内で食べることにも、向いているかもしれない。調製元は鹿児島中央駅の駅弁売り場にも弁当を卸すスーパーマーケットチェーン店。今回は阪神百貨店の駅弁大会で購入。現地で買うにはとても手間のかかる商品だからかどうか、整理券の入手と実物の入荷にそれぞれ何時間も待たなければならない、大変な人気で購入が困難な商品だった。
2025(令和7)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、鹿児島県の指宿枕崎線の指宿駅の駅弁「りゅうぐうの舞」として実演販売。京王百貨店のプレスリリースを読み込めば、同線の観光特急列車「指宿のたまて箱」の車内受取限定弁当「指宿のたまて箱弁当」をモチーフにした弁当と判明するが、催事では指宿駅の駅弁として、指宿のたまて箱の車内弁当として、宣伝し販売し紹介された。
ということで、体裁は上記の車内弁当「指宿のたまて箱弁当」に似て、紙箱に白黒の掛紙を巻いてゴムでしばるもの。霧島熟成豚ひなもりポークを使用したひじき肉巻おにぎり、鹿児島大学農学部監修とした鹿児島県産の黒米と枕崎産のカツオミソを使用した黒米おにぎり、霧島産黒酢によるレッドキャベツ黒酢おにぎり、大隅産うなぎの手まり、鹿児島の味という甘いちらしずしとうす焼玉子の手まり、指宿の菜の花をイメージした高菜の手まりで6種のてまりおにぎりと、さつま半島南端黒豚カツ、南九州産のタマゴを使った玉子焼き、串木野産のさつま揚げ、垂水産カンパチの照焼き、枕崎産カツオ腹皮の塩焼き、霧島連山ひなもりポークのごぼう焼きを、おおむねタイル状に並べたり折り重ねた姿は車内弁当にそっくり。具材もだいたい同じ。
これは催事場で一日400個または300個製造するためのアレンジなのかどうか。2023年の「ふたつ星一段重弁当」に対する「特製ふたつ星弁当」で見てきたように、大都会から遠くて買いに行きにくい観光列車内限定弁当を持ってくる際に、模造品と本物では催事場での客付きがまるで異なる。高価ながら賑やかで雰囲気の良いお弁当に思えても、これは話題性に欠き、見た目であまり売れていなかったように思えた。
2007年の秋までに投入された「道弁」なる駅弁催事向け商品のひとつ。長方形の小さな容器を、スーパーやデパートの売り場での見栄えを重視した構造だと思える、立ち上がり付きのボール紙の枠にはめる。中身は白御飯の上に豚佃煮、豚ばら肉、錦糸卵を乗せるもの。それぞれの見栄えや風味に業務用食材の工業製品感がある、パッケージ入りコンビニ弁当。来シーズンの催事場にあるかどうか。
このようなう弁当が地域の名物として売られていることになっている「サンポートしぶしアピア」とは、鹿児島県志布志市と中小企業総合事業団他が出資した志布志まちづくり公社が運営する郊外型ショッピングセンター。1987(昭和62)年3月の国鉄志布志、大隅の両線の廃止により、広い構内を持て余した志布志駅の敷地を活用した。だから、かつての駅入口まで後退したJR日南線志布志駅の目の前にある。道弁という商品は、2年保ったかどうか。
かつて志布志駅には急行列車が発着し、公式な駅弁販売駅でもあったが、今は鈍行客のみ一日100人程度が利用する小さな終着駅。駅弁は当然に不要だろう。2005年9月に台風の影響で2週間ほど青島駅〜志布志駅が不通になった際にも、代行バス輸送をしなかったにもかかわらず地元も旅行者も困らなかったようで、鉄道路線そのものが現在は不要かもしれない。
※2025年6月補訂:終売を追記これは駅弁でなく、2025年1月に鹿児島港から三島村の各島へ行くフェリー「フェリーみしま」の乗船時に、乗り場に来た弁当販売車で買えた弁当。その販売は船内で放送され、買い物客の行列ができ、船が出港する前にいなくなった。これは卵とじのカツ丼で、鹿児島や三島その他の郷土や地域性を持たない惣菜弁当だと思うが、おいしかった。味噌汁付きで600円均一。
三島村は、鹿児島県の指宿半島の南側で、竹島と硫黄島と黒島の3つの島からなる、人口約400人の村。第二次大戦後のアメリカの占領により分村する前は同じ村だった十島村と同じく、鹿児島港から村内各島を結ぶフェリーが出ていて、村役場が村内でなく鹿児島港にある。船内にも島内にも港にも食堂や売店はなく、ここでは弁当販売車とパン販売車とカップラーメンが人気だった。
これは駅弁でなく、2025年1月に鹿児島港から三島村の各島へ行くフェリー「フェリーみしま」の乗船時に、乗り場に来た弁当販売車で買えた弁当。その販売は船内で放送され、買い物客の行列ができ、船が出港する前にいなくなった。これは日の丸御飯に鶏唐揚、豚肉と野菜炒め、ハンバーグ、たくあんを添えた、とりから弁当。鹿児島や三島その他の郷土や地域性を持たない惣菜弁当だと思うが、おいしかった。味噌汁付きで600円均一。
三島村は鹿児島港から週3便か4便のフェリーで約4時間。本にもネットにも訪問が困難だとは書かれていないが、個人的には日本全国で最も行くのに苦労した場所。宿が取れないこと5回、船が出ないこと2回、10年越しで8度目の挑戦にて、ようやく硫黄島に上陸できた。秘湯と呼ばれる海岸の露天岩風呂、低木のジャングルに伝説の墓標、リゾート開発の置き土産になった飛行場とクジャク、満天の星空。鉄道や駅弁の旅とは違う時間と空気を感じられたと思う。
鹿児島中央駅からJR指宿枕崎線の列車で約1時間。指宿市は鹿児島県の薩摩半島の南東端に位置する、人口約4万人の温泉地。海岸の高温な温泉や蒸気が江戸時代から利用されるようになり、昭和時代中期には大規模宿泊施設が建ち並び、東洋のハワイと言われた。駅弁は昭和40年代頃に当時の西鹿児島駅の駅弁の一部が売られたほか、下記のとおり2004年度に要予約の駅弁が売られた。1934(昭和9)年12月19日開業、鹿児島県指宿市湊1丁目。
九州新幹線の開業と指定席付き快速列車「なのはなDX」登場に伴い、おそらく2004(平成16)年3月13日にひっそりと誕生し、10月10日開始のJR九州の駅弁キャンペーン「第1回九州の駅弁ランキング」のリストに載って驚かれた、指宿駅では約30年ぶりの駅弁。
大きいが強度のない容器に、板前さんのイラストを載せたもっと大きく薄手の掛紙をかけて、ビニールひもでしばる。中身はグリーンピース御飯とおかかごはん、それに黒豚角煮やカツオ腹皮の木の芽焼やきびなごなどが入るというが、それぞれが小粒少量で風味を感じ取れないことに加えて、解説やお品書きがないので予備知識がないと指宿や鹿児島との関連が分からず、だいぶ損をしている。また、水分を逃がさない容器により水気が風味を落としている感じもした。
この駅弁の入手には、JR九州の駅のみどりの窓口で前日までに引換券を購入し、当日に駅のキヨスクで商品を受け取る必要がある。調製元にJRを通していない旨を電話で伝えて予約しても良いらしいが、どちらにしても手間はかかる。駅弁と名乗るにはもっと勉強が必要だと感じる商品。調製元は指宿駅前の食堂で、水曜定休。
なお、駅弁ランキングの終了後に収穫報告がなく、駅弁の入手に関する案内もJRから消えているため、この駅弁の販売は数か月で終了したものと思われる。
※2012年2月補訂:終売を追記鹿児島中央駅から特急列車「はやとの風」で1時間強。大隅横川駅は、1889年から2005年まで単独で村制や町制を敷いた横川町の中心駅で、駅の開業当時からの九州最古の木造駅舎を持つ。駅弁はないが、下記のように駅で地元の弁当が買えた。1903(明治36)年1月15日開業、鹿児島県霧島市横川町中ノ。
観光特急「はやとの風」で訪れた大隅横川駅で、様々な物品とともに販売されていたお弁当。浅い竹籠にアルミホイルを敷き、きび入りおにぎり、黒米入りおにぎり、玉子焼、スパゲティ、鶏唐揚2個、ガネ1個、ナスなどの煮物、ウインナーなどを置き、ラップで包んでいた。たった500円で、これは賑やかな1人用オードブル。駅弁の視点では、京都駅の竹籠弁当を薩摩風にアレンジしたような感じ。大隅横川駅待合室での物産販売「ぽっぽ市」は、2010年代に定期的または不定期に開催されたようだが、大隅横川駅で弁当を買えたという話は、この先にも後にもまったく聞かれない。
大隅横川駅もまた嘉例川駅と同じく、九州最古の木造駅舎を持つ無人駅。第二次大戦中の機銃掃射の痕跡がホーム上屋に残ることでも知られる。しかし2004年3月の観光特急「はやとの風」とともに観光地として花開いた嘉例川駅と違い、こちらは何もなく、何もせず、静かなままだった。それではまずいと考えたのだろうか、10年経った訪問当日の駅では嘉例川駅以上にスタッフと商品が駅に入り、駅前では門松を立てていた。なお、両駅は2005年11月の合併により、今は同じ霧島市内にある。
※2025年6月補訂:終売を追記