札幌駅から特急列車で約1時間半。旭川市は北海道の中央部に位置する、人口約33万人の軍都。稲作や蕎麦などの農業、家具その他の工業、買物公園に代表される商業、旭山動物園などの観光もさかん。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋である旭川駅立売が店舗を持つほか、改札口付近の売店でも販売。東京など遠隔地での輸送や実演での販売もよく見る。1898(明治31)年7月16日開業、北海道旭川市宮下通8丁目。
秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2023(令和5)年秋の新商品として、9月に旭川駅や東京駅で発売か。浅い長方形の容器に、とうきびごはんのバターホタテを、茶飯にバター醤油帆立とスイートコーンのみを散らしたものだけを詰める。おかずも付合せも調味料も何も付けない、米と帆立ととうもろこししかない、なんともシンプルな内容。この「ほたてのバター醤油ごはん」レシピが、駅弁では旭川駅の名物になる進展でもあれば面白い。催事に出る新作駅弁なのに価格も抑えられた。
旭川駅の駅弁売り場で買えたいなりずし。商品名に加えて「2こ120えん」と書いた商品名シールを貼る、竹皮柄のフィルム製封筒に、細身のいなりずしを2個詰める。コンビニ商品より手軽な一品。
旭川駅の駅弁売り場で買えたお惣菜。その名のとおり、訳ありのイカ飯が3個。ガチガチの身と粘度の高すぎる飯、そして1個は身が破れて飯がはみだす出来損ない。ただ、訳ありでないいかめしは、旭川駅の駅弁に思い当たらないので、これはどこから出てきたものか。
昔からここで売られていると思う駅弁。中身は名前のとおり、細巻き4本、稲荷寿司3個、太巻き4切れという助六寿し。昭和時代の中期までは、幕の内弁当とこのような寿司が、普通の駅弁であった。今では東海道本線の沿線でしか見られない、残っていないようなタイプの商品の存在に、旭川駅での駅弁の実需の厚さを感じる。今回は朝に旭川駅へ行ったら、この駅弁のみが販売されていた。価格は2015年時点で540円、2020年時点で550円。
※2023年10月補訂:写真を更新2015(平成27)年3月8日に購入した、旭川駅弁の掛紙。上記の2023年の何も情報がない絵柄と異なり、当時は旭川市彫刻美術館と優佳良織工芸館のイラストと説明という、メジャーでなくても地元の観光地を描いていた。容器と中身は変わらない。
旭川駅の幕の内弁当。黒いトレーを入れた大きめの黒い容器に透明なふたをして、緑の旭岳を描いた掛紙をかける。その写真の一部を食品表示の白いシールで隠しているのはもったいない。中身は日の丸御飯を、ポテトサラダとハムの揚げ物、焼き鮭、海老焼売、玉子焼、肉団子、きんぴらごぼう、煮物、漬物などのおかずで取り囲むもの。北の味をさりげなく詰めた、普通の駅弁。2020年に「駅弁屋の幕の内弁当」へリニューアルか。
旭川は北海道内で札幌に次ぐ人口第2位の都市で、つまり函館や帯広や釧路を凌ぐ都会であるにもかかわらず、陸軍と家具と農業で発展した都市ということで、観光的には地味な存在であった。しかし21世紀に入り旭山動物園が注目され入園者数が10倍以上に激増すると、富良野や大雪山・十勝岳連峰のような観光地への入口あるいは経由地から、観光地そのものとしての地位を備えるようになった。
※2021年3月補訂:終売を追記2004(平成16)年4月17日の調製である、旭川駅弁の掛紙。当時は写真で大雪山連峰と旭川市街を掲載し、上記の2015年のものと同じように食品表示ラベルでその一部を隠す。容器や中身はほぼ同じ。
2014(平成26)年の発売か。1998(平成10)年から夏季に旭川駅〜美瑛駅〜富良野駅で運転される観光列車「富良野・美瑛ノロッコ号」(美瑛・富良野ノロッコ号ではない)の関連商品だろう。掛紙にはその列車のロゴマークと車両の写真、沿線の風景写真が使われる。中身は味付飯の上にアスパラベーコンを対角線状に置き、コーン、じゃがいも、牛肉、菜の花などを添えるもので、なんとなく北海道を感じさせる内容。2019年までの販売か。
ノロッコ号は、JR北海道が運行するトロッコ列車。1989(平成元)年6月に釧網本線で登場した際に、「のろい(速度が遅い)」と「トロッコ」をかけ合わせた造語を列車名に採用した。窓のない車両で沿線の風景と空気を感じられるのは、北海道以外のトロッコ列車と同じ。
※2020年12月補訂:終売を追記2006(平成18)年8月に発売。旭山動物園がテーマの駅弁で、取っ手が付いたボール紙製の容器には展示動物の写真が使われ、ふたを開けるとこれらが絵葉書として使えるようになっていた。9区画の中身は日の丸御飯、カニ飯、イクラ飯、山菜飯、煮物、有頭海老、焼売、白身魚などで、食べ物としては残念ながら全体的に貧相な印象。2019年までの販売か。2020年のみ、同じ中身と異なる紙箱を持つ駅弁「ASAHIKAWAグルメBOX」(950円)を販売。
旭山動物園は、旭川盆地の東端斜面で1967(昭和42)年7月にオープンした旭川市営の動物園。長らく地元住民のためのレジャー施設であったが、1997(平成9)年から「行動展示」、動物の生態や能力を自然に誘発させて見せる展示施設を入れ始めたところ、テレビなどで話題となり入園者数が激増、1996(平成8)年度の年間約26万人から2007(平成19)年度には約230万人に、1999(平成11)年度から始めた冬期開園を含めると300万人以上が訪れる人気スポットとなった。
水鳥たちが飛び回り、猛獣が空中を歩き、ペンギンが水中を飛び、オランウータンが空中を散歩し、アザラシが水柱を上下する。ブームの沈静化で2017(平成29)年度には入園者数が年間約140万人に半減したが、引き続き北海道内で有数の観光地であり、大都市にないのに入園者数で三指に入る日本有数の動物園である。
※2022年4月補訂:後継を追記1980(昭和55)年12月29日6時の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。この年の10月に国鉄初の空港駅とされる千歳空港駅(1992(平成4)年7月から南千歳駅)が開業、室蘭駅〜千歳空港駅〜札幌駅〜旭川駅を結ぶエル特急「ライラック」が誕生したことを、車両のイラスト、絵入りヘッドマーク、停車駅図、時刻表で記念する掛紙。名前と中身と値段は、旭川駅の幕の内弁当。
1977(昭和52)年12月31日6時の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。絵柄はまるで異なっても、これも下記の1971年の掛紙と同じく、背景は大雪山、橋は石狩川に架かる1932(昭和7)年竣工の旭橋だろう。
1971(昭和46)年7月31日の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。背景は大雪山、橋は石狩川に架かる1932(昭和7)年竣工の旭橋だろう。山も橋も今でも健在で、橋は2002年に土木学会から土木遺産に、2004年に北海道遺産構想推進協議会から北海道遺産に、それぞれ認定されている。
1954(昭和29)年3月20日の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。価格は記されていない。おそらく100円くらいの幕の内弁当だろう。旭川駅という文字が3つも書かれる。
1953(昭和28)年8月3日の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。60円の価格を80円に訂正し、層雲峡と旭橋を描く。
1924(大正13)年8月8日の調製と思われる、昔の旭川駅弁の掛紙。商品名も調製元も現代と同じ左横書きで表現され、この当時のものとしては珍しいと思う。禿げ山の向こうに海が見えるような、旭川では見られないと思う景色を描く。