2020(令和2)年4月29日の調製と思われる、当別駅弁の掛紙。廃止区間を含む路線図と、おそらく1990年頃の石狩当別駅の駅舎の写真などが描かれる。容器の9区画に様々な食材を詰めたお弁当だったらしい。
JR札沼線の北海道医療大学駅〜新十津川駅の廃止を前に、石狩当別駅近くの飲食店が「とうべつ豚弁」とこの「とうべつ彩り弁当」(各1,000円)を、石狩当別駅で4月18日から営業最終日の5月6日までの土休日10日間に予約販売しようとしたもの。ところが政府の新型コロナウイルス感染症対策を受けて、JR北海道が4月17日を最終運行日にすると、その前日夜に突然発表したことを受けて、駅での販売を中止し、調製元と駅前の公共施設「当別ふれあい倉庫」で販売した。公式な駅弁ではないが、地元の新聞に紹介されて大変な人気だったようで、この掛紙はネット上で1万円近い値段を付けられている。
昭和30年代、1960年前後のものと思われる、昔の栗山駅弁の掛紙。栗山駅は国鉄室蘭本線と夕張鉄道がクロスする、石炭輸送が華やかりし頃は鉄道の要衝のひとつであり、駅弁も存在した。幕の内と寿司以外の駅弁はなかった模様。
高速道路のサービスエリアの売店で売られていた惣菜。透明なプラ製容器に、厚揚げやコンニャクなどで具を増量した、ホタテも入る五目飯を詰めている。小腹に良い味だが、分量に対する価格は不満が出る感じ。夕暮れの訪問時、有珠山サービスエリアの高速道路弁当「どら弁当」は、犬用の「ポチ」のみで、人間用のものはなかった。掲示によると「洞爺湖モシリ弁当」(1,000円)があるそうな。価格は2010年の購入時で400円、2019年時点で520円。
※2020年5月補訂:値上げを追記北海道虻田郡洞爺湖町の国道230号沿いにある「道の駅とうや湖」で買えた惣菜。透明なプラ製の惣菜容器に赤飯と生姜漬が入る。見て蛍光ピンクの着色が毒々しく、食べておしるこやぜんざいのように甘い小豆。すごいものに出会ってしまった気がした。調製元は洞爺湖畔の菓子店。
札幌駅から特急列車で約50分。追分駅がある安平町(あびらちょう)は、北海道の道央の中南部に位置し、2006年に早来町と追分町が合併してできた、人口約7千人の町。室蘭の港と官設鉄道を結ぶ路線が、夕張の炭鉱へ向かう鉄道を分ける駅ができ、ここに鉄道の町ができた。駅弁も明治時代から売られたが、1970年頃に失われた。1892(明治25)年8月1日開業、北海道勇払郡安平町追分中央。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の追分駅弁の掛紙。スズランでデザインされた絵柄に見える。かつては室蘭本線が夕張線を分け、現在は石勝線と室蘭本線が交わる追分駅では、1904(明治37)年から1970年頃まで駅弁が売られた。
苫小牧駅から日高本線の普通列車で30分。むかわ町は北海道の太平洋側で鵡川町と穂別町が2006(平成18)年に合併してできた、人口約7千人の町。ししゃもの産地と恐竜化石の発掘でアピール。かつて日高本線が富内線を分けた鵡川駅では、戦後昭和時代に駅弁が売られた。1913(大正2)年10月1日開業、北海道勇払郡むかわ町末広。
営業当時で、苫小牧駅から日高本線の列車で約4時間。様似町は北海道南部の日高地方で太平洋に面した、人口約4千人の港町。サケ・マス漁や日高昆布の漁業に、イチゴや競走馬の農業が盛んという。日高本線の終着駅で襟裳岬への玄関口であり、国鉄の列車とバスを乗り継いだ駅では、昭和40年代から50年代まで駅弁が売られた。駅と鉄道の廃止を機に駅弁が復刻され、冷凍食品で通信販売。1937(昭和12)年8月10日開業、2021(令和3)年3月31日限りで廃止、北海道様似郡様似町大通。
2021(令和3)年8月7日に発売。昭和40年代に様似駅で発売し、この時で30年以上前まで販売されていたという駅弁「つぶ貝弁当」を、様似町内の女性グループ「まんまの会」が当時のレシピで復刻し、駅の跡地でのイベントで22日まで販売した。また、冷凍食品にして通信販売を開始した。
掛紙は現役当時のものをカラーコピー。容器は現地の掲示や通販サイトの掲載では黒塗りの重箱であるが、ここでは冷凍食品の通信販売で黒いプラ製トレー。その中につぶ貝の混ぜ御飯だけを詰める。貝の飯なのに臭みも固さもない、滋味あふれる感じ。イベントの終了後も、かつての駅舎に入居した観光案内所で、冷凍食品として予約販売される。カラーコピー掛紙だけの販売もある。
様似駅はこの駅弁が現役だった期間、旅行者で賑わった。当時は海外旅行や航空運賃がまだ高額で、一方で鉄道は日本国有鉄道(国鉄)の「均一周遊券」により、例えば東京からでは1万円か2万円で2週間ないし3週間、北海道まで急行列車と鉄道連絡船で往復でき、北海道内の国鉄の鉄道とバスが乗り放題という安さだった。森進一「襟裳岬」のヒットは1974(昭和49)年。様似駅は日高本線と国鉄バス日勝線を乗り継ぐ駅であり、ここで駅弁が商売になった。
1990年代になると、海外や航空は安く便利になり、鉄道は周遊券や夜行列車の廃止で高く不便になり、日高でも道路が良くなり高速道路まで伸び始め、鉄道は見捨てられた。古びた日高本線は高潮や地震で度々不通となり、2015年にはほぼ全線で列車の運行を休止しバス代行輸送を実施。地元では利用しない鉄道をJR北海道と国の金で復旧しろと強硬に主張したため、その結果として2020年度限りで鉄道を廃止する手続きが取られた。日高は車で何の不便もないが、旅行者がツアーやレンタカーの力を借りず自力で訪れることは難しくなった。
札幌駅から特急列車で約1時間半。苫小牧方面行と長万部方面行と室蘭行の室蘭本線が集まる駅。駅弁は戦前昭和から1980年代まで鉄道弘済会が販売し、「はも弁当」が知られた。以後は駅弁のない駅であったが、2009年頃から地元の弁当や母恋駅弁が売店に入るようになった模様。1892(明治25)年8月1日開業、北海道室蘭市東町2丁目。
2017(平成29)年8月1日に東室蘭駅で発売。同駅のキヨスク「北海道四季彩館東室蘭店」のリニューアルオープンに合わせ、北海道の室蘭で昭和時代から親しまれるやきとりを題材に、市内の絵鞆半島の西端部で昼でもやきとりを食べられる居酒屋の弁当を開発し、木金土曜日に一日10個を売り始めた。
掛紙は居酒屋の暖簾の写真であり、その裏面で弁当と店舗を紹介。残り物の持ち帰りに使えそうな薄く赤黒いプラ容器に、白飯を詰め、豚肉とタマネギのやきとりを3本、うずらの卵串を1本並べ、豚肉の炒め物ですき間を埋め、漬物とタレと辛子を添える、ハイブリッドな豚丼。北海道の、函館や室蘭や根室のやきとりは、鶏肉でなく豚肉を使う。B級グルメの正しい味。
港湾と工業の都市であった室蘭で、昭和時代初期から市内で労働者に食べられていたモツや野鳥の串焼きが、畜産と豚肉の普及により安価な豚肉に置き換えられ、当時も今も北海道で栽培が盛んなため安く手に入るタマネギと合体したそうな。洋辛子の使用もこの特徴。今も市内の居酒屋で好んで提供されるほか、ご当地グルメの時代になり「室蘭やきとり」の名前が付いて、商業施設や観光施設で弁当としても買えたり、市役所や観光案内所が名物として紹介するようになった。
札幌駅から函館本線の電車で30分。この1880(明治13)年に北海道で初めて開業した鉄道とともにできた駅では、その開業時から甘酒と饅頭あるいは甘酒饅頭が立ち売りされたといい、これをもって史上初の駅弁であるという説が、2000年代にネット上で唱えられ始めた。1942年に戦時統合で6者が合併し小樽駅の駅弁屋となり、販売を終えたらしい。1880(明治13)年11月28日開業、北海道小樽市銭函。
1919(大正8)年4月23日午前の調製と思われる、昔の銭函駅弁の掛紙。漢数字の調製印は、大正時代に特有のものに感じる。「大正」の手書き文字は、収集者により書き加えられたもの。銭函駅では1880(明治13)年から第二次大戦頃まで、酒饅頭が立ち売りされていたという。これを北海道最初の駅弁とする説が2000年代に現れ、駅弁発祥宇都宮説より時期が古いことから日本最初の駅弁とする説が、ウィキペディアに書かれている。
札幌駅から函館本線の普通列車を乗り継いで約1時間半。現在は駅員もいないような駅であるが、かつては函館本線が岩内線を分け、急行列車も止まる主要駅であった。駅弁は昭和時代の戦前から末期まで売られた。その後も当時の駅弁屋が駅前に商店を構え、かつての駅売り銘菓「トンネル餅」の販売が続けられた。1904(明治37)年7月18日開業、北海道岩内郡共和町小沢。
1904(明治37)年の小沢駅の開業とともに生まれた、かつての駅売り銘菓。手のひらサイズの経木折に、煉瓦積みのトンネルと蒸気機関車を描いた古めかしい掛紙をかける。中身は上新粉を練って蒸して砂糖を加えた、関東地方あるいは東日本で「すあま」と呼ばれる、マシュマロとういろうを足して2で割ったような、柔らかい和菓子が10個入る。駅前の国道に面した「伯洋軒末次商店」での販売。2010年の訪問時にこの商店は、トンネル餅の販売のみで営業していた。価格は2010年の購入時で400円、2022年時点で450円。
現在の小沢駅は急行列車や長距離列車が止まるどころか経由さえもしない、駅員もいない閑散とした駅。しかし過去には文字通りの函館本線として、函館と札幌方面とを結ぶ列車が多く発着したほか、岩内へ至る岩内線の分岐駅でもあり、鉄道の要衝とは言わないが主要駅のひとつであった。トンネル餅もそんな駅構内で立ち売りにて販売されていたそうな。調製元はかつて小沢駅の公式な駅弁屋でもあった。
函館本線の小樽駅または余市駅から長万部駅までの区間は、2030年度末を目標とする北海道新幹線の新函館北斗駅〜札幌駅の開業時、あるいはその前に廃止されることが見込まれ、その際にはトンネル餅も売り止めると、2022年3月にHBC北海道放送のニュースで放送された。4月には来年末か来年秋頃の終了とSNS上で紹介された。調製元は経営者家族の入院により6月で閉店、トンネル餅は惜しまれる時間なく終売となった。
※2022年8月補訂:終売を追記小樽駅から函館本線の普通列車で1時間強。倶知安町は北海道の西部に位置する、人口約1.5万人の開拓地。1890年代に開拓され、1904年に幹線鉄道の駅ができ、林業や鉱業や畑作で発展、その後はスキー場からウィンターリゾートが興り、今はニセコへ世界中から観光客が押し寄せる。駅弁は1910年代の大正時代から1980年代の昭和時代末期まで、ここが函館や本州と札幌や北海道を結ぶ幹線鉄道の中間駅だった時代に売られた。1904(明治37)年10月15日開業、北海道虻田郡倶知安町南3条西4丁目。
1919(大正8)年4月23日午前の調製と思われる、昔の倶知安駅弁の掛紙。漢数字の調製印は、大正時代に特有のものに感じる。「大正」の手書き文字は、収集者により書き加えられたもの。後方羊蹄山(しりべしやま)が絵柄と名所案内で記される。
長万部駅から函館本線の普通列車で2駅20分。黒松内町は北海道の西部で内浦湾と日本海の寿都湾にほぼまたがる、人口約2千人の開拓地。山道や鉄道の開通で交通が結節し、林業も興り急行列車が止まる町ができた。駅弁も売られたが、おそらく第二次大戦中に廃絶した。1903(明治36)年11月3日開業、北海道寿都郡黒松内町字黒松内。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の黒松内駅弁の掛紙。この絵柄は松葉と何らかの実なのか。地域や中身を表すものではなさそう。黒松内駅は大正時代までには公式な駅弁販売駅となり、第二次大戦中まで売られた模様。
長万部駅から函館本線の普通列車で1駅8分。道南で内浦湾に面した国縫は、現在の北海道へ和人が入る前から渡島半島の横断路と縦貫路の交通結節点であったと考えられ、今も国道5号や高速道路と国道230号が交わり、鉄道も1987年まで函館本線から瀬棚線が分岐する乗換駅であった。駅弁は1930年代から1960年代まで売られた記録がある。1903(明治36)年11月3日開業、北海道山越郡長万部町字国縫。
長万部駅から函館本線の普通列車で40分ちょっと。今は川や橋に名を残す野田追は、古くはこの一帯を表す地名であり、1800年に蝦夷地から和人地に組み入れたと記録される集落があり、鉄道の駅名も1959年まで野田追であった。この駅に1903年から1914年まで機関車の車庫が断続的に置かれ、その間は駅弁が売られたらしい。1903(明治36)年11月3日開業、北海道二海郡八雲町野田生。
東京駅から新幹線で約4時間。木古内町は北海道の南端で津軽海峡に面する、人口約4千人の町。かつては函館と江差と松前に行く鉄道が集まり、1988(昭和63)年の青函トンネルの開通で本州へ行く鉄道が通り、2016(平成28)年には北海道新幹線の駅ができた。駅弁が1927(昭和12)年から昭和40年代、1970年頃まで存在したことは、もはや忘れ去られている。1930(昭和5)年10月25日開業、北海道上磯郡木古内町字木古内。
木古内駅前で2016(平成28)年1月にオープンした道の駅「道の駅みそぎの郷きこない」で売られていたお弁当。同年3月に開業した新幹線木古内駅に売店はなく、同日にJR北海道から道南いさりび鉄道へ転換された在来線木古内駅からは売店も駅員も撤収してしまい、この道の駅が鉄道駅の売店の機能を担う。
道の駅の弁当であるが、掛紙には新幹線電車の側面図と「北海道新幹線始発駅のまち木古内」の文字がある。中身は白御飯を二色の「はこだて和牛」の牛肉煮で覆い、ソーセージ、コーン、きんぴらごぼう、紅生姜を添えるもの。味付けの甘さで、肉の味が飛んでしまった感があるが、見た目と機能は駅弁そのもの。価格は2016年の発売時や購入時で1,296円、2019年10月の消費税率改定で1,320円、2023年時点で1,200円だという。
はこだて和牛とは、函館市内ではなく木古内町内で1990年代から使われる、同町内で生産するあか牛(褐毛和牛)のブランド名。脂肪でなく赤身の柔らかさとうまさが特徴。特段の宣伝も拡販もなく、地元で作られて食べられる。木古内駅近くのそば屋「蕎麦処 瑠瞳(るとう)」では、和牛御膳、和牛バーガー、和牛弁当のメニューを取りそろえ、そのひとつがこの弁当である。
※2023年6月補訂:値下げを追記