札幌駅から特急列車で約3時間。池田町は北海道の十勝平野に位置する、人口約6千人の開拓地。かつては根室本線が網走本線を分ける鉄道の要衝であり、戦後は町役場を挙げて開発した十勝ワインの産地として知られる。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋が駅前でレストランを営業、事前の予約により列車まで届けてもらえる。1904(明治37)年12月15日開業、北海道中川郡池田町東一条1丁目。
池田町ブドウ・ブドウ酒研究所の移転開業、通称「ワイン城」の完成に合わせて、1974(昭和49)年に発売。池田の特産であるワインを調理に使い、当時は特急列車の食堂車を使わない乗客にも出来立てのステーキを届けようと、現在は出来立てが美味しいからと、予約限定で列車の乗降口にて受け渡す、消費期限2時間の駅弁という、特殊な売り方を当時も今も行う。木曜定休。
この駅弁に専用のボール紙製容器には、北海道と路線図、ワイン城の外観、牧場の風景と列車が描かれる。実態と異なるこの路線図と列車は、いったい何を描いたのだろうかと、鉄道ファンの間で話題になる。中身は日の丸御飯、牛ステーキ2枚、スパゲティ、サラダ、フルーツ、タレとマヨネーズ。エキナカやデパ地下という用語のない昭和時代から、あるいは国内から新幹線と寝台特急を残して列車の食堂車が絶滅した平成時代でも、食堂はおろか売店も車内販売もほぼ消えた現在でも、列車内で熱々のステーキを食べられる不思議。
調製元は1905(明治38)年からの池田駅の駅弁屋で、駅の真正面で食堂を営む。ステーキはレストランの看板メニューでもあり、静かな駅前で客と焼き音が賑わう。価格は2004年時点で1,050円、2014年4月の消費税率改定で1,080円、2020年時点で1,200円。
池田町は、昭和時代から過疎の町。しかも町内で震度6を記録した1952(昭和27)年3月の十勝沖地震や、その翌年と翌々年に襲った冷害で打撃を受けて、1956(昭和31)年度には当時の国の自治庁から財政再建団体に指定されるほど財政が困窮した。もっとも、当時は18府県166市396町562村が財政再建団体であり、現在のように珍しいものではなかった。
翌1957(昭和32)年に丸谷金保が池田町長に就任すると、町内に山ぶどうが自生することから、ぶどうの栽培とワインの醸造で農業所得のアップを目指した。1960(昭和35)年に策定した新農村建設事業計画のもと、同年からぶどうの栽培に挑戦、1963(昭和38)年には町自らが国税庁から果実酒類試験製造免許を取得してワインを醸造し、翌1964(昭和39)年にはハンガリー・ブダペストでの第4回国際ワインコンペティションで銀賞を獲得するものが生まれた。
十勝ワインは池田の名物となり、1974(昭和49)年には6億円強をかけて池田駅から見える丘の上にブドウ・ブドウ酒研究所を移転し増強、見学コースや売店やレストランを設け、ワイン城として道東の観光名所にもなった。以後も気候や嗜好の変化に老朽化や陳腐化に対応しながら、ぶどうの栽培とワインなどの醸造や販売が、町の目玉として続けられる。
※2021年2月補訂:写真を更新し解説文を全面改訂上記の駅弁「特製牛のワイン漬ステーキ辨當」の、知られざる大盛り版。弁当の予約や注文でも、食堂のメニューでも、300円の追加でお肉を増量してくれる。それ以外は通常版と同じ。通常版が1,000円の時代は、200円の追加だったらしい。長らく使われた紙箱が、おそらく2021年2月に同じ絵柄の掛紙に替わった。
2004(平成16)年4月18日に購入した、池田駅弁のふた。絵柄は上記の2020年のものと変わらないが、現在は「牛のワイン漬」と書いてあるところが「十勝牛のワイン漬」と書かれていた。そこを手直ししたのに、不思議な路線図や列車のイラストがそのままなのは不思議。中身や売り方や風味は変わらない。
駅弁の名前は一般に「親子弁当」。1905(明治38)年の発売と紹介される、池田駅とともに歴史を刻む駅弁。ふたまで木製の経木折に、北海道と路線図と汽車と列車を、見る人が見ればかなり不思議に描く掛紙をかけて、ひもで十字にしばる、古風な体裁。これに白飯を詰め、鶏肉煮と炒り卵で覆い、グリーンピースで彩り、福神漬を添える。甘辛な鶏肉はまるで軟骨かジャーキーのような弾力と固さを持ち、駅弁にしても鶏飯にしても個性的。価格は2007年時点で630円、2014年4月の消費税率改定で648円、2020年時点で700円。
※2021年2月補訂:写真を更新し値上げを追記2007(平成19)年6月15日に購入した、池田駅弁の掛紙。上記の13年後と、容器や中身も含めてまったく同じ。2014(平成26)年7月限りで池田駅のキヨスクが閉店するまでは、「十勝牛のワイン漬けステーキ辨當」は売店で売らずに予約限定、この「特製親子辨當」は売店で販売し予約不可、という売り分けがされていた。
1905(明治38)年の発売。ボール紙のパッケージの中に型抜きのあるトレーを入れて、そこに「バナナ饅頭」なる、バナナの香りがするふわふわの饅頭が8個入る。もし背景を知らず、ただ食べるだけなら、バナナそのものやコンビニのバナナ使用デザートのほうがおいしいと思うし、他の土産物のほうが確実に見栄えがする。価格は2004年時点で525円、2010年現在で600円、2014(平成26)年4月の消費税率改定により620円。
バナナ饅頭が誕生した背景が、饅頭の上にかかるフィルムに記される。1904(明治37)年の池田駅の開業の頃に、当時高価なバナナの味や香りを味わってもらおうと、この饅頭を考案したという。バナナはいまや、一房百円で叩き売られる庶民の味だが、当時は事実上唯一の大量高速輸送機関である鉄道の、ファーストクラス(一等車)で客室乗務員である列車ボーイが売りに来たくらい、高級で高価なものであった。そのフィルムに記される「珍果」の枕詞は、この製品にぴったり合うと思う。
当時の池田は、函館や小樽や札幌と釧路や根室を結ぶ北海道横断幹線が、北見や網走への幹線を分ける鉄道の要衝であった。発展が見込まれたが、結局は十勝平野内の一市街という格に収まった。岩見沢や新津や米原や鳥栖などもそうだが、鉄道の要衝というのはつまり、鉄道官舎と貨物操車場に土地を占められてしまうため、市街としての発展がむしろ阻害されてしまったのかもしれない。
※2024年3月補訂:写真を更新2004(平成16)年4月18日に購入した、池田駅銘菓の紙箱。上記の2024年のものと変わらない。デジタルカメラとスキャナの進化または変化で、画像の色合いは異なる。
上記の商品「バナナ饅頭」の、大きいほうのパッケージ。通常版は8個入りのバナナ饅頭が、こちらは16個入る。値段もちょうど倍。8個入りは帯広駅などでも買えるが、こちらは池田以外での販売を見たことがない。今の池田駅に売店はないので、購入は駅前の商店や食堂で。今回は注文販売の駅弁とともに、持ってきていただけた。
ボール紙製の長方形の容器にトレーを入れて、バターライスの日の丸御飯に甘い人参やコーンを添えて、ずいぶんと上げ底された部分に十勝牛ワイン漬ステーキをたっぷり載せる。
これはさいか屋藤沢店の駅弁大会で駅弁と間違えて購入した弁当。デパートの催事では普通は「駅弁とうまいもの大会」などと駅弁と地域名産品を併売するため、たまにこんな勘違いをする。
しかし鉄道や飛行機の旅ならともかく、クルマの旅ではレストランを利用できるし、バス旅の狭く揺れる車内で弁当を食べるのだろうか。現地ではどんな形態で販売されているのかが知りたいところ。なお、下記の調製元所在地は建物のない一面の畑地であるという報告もある。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の池田駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。