札幌駅から特急列車で1時間強。登別市は北海道の南西部で太平洋に面する、人口約4万人の温泉町。湧出量と多種の泉質で全国的に有名な登別温泉を抱える。駅弁は1950年代頃からの駅弁屋が2004年9月限りで撤退し、今は売られていない。1892(明治25)年8月1日開業、北海道登別市登別東町2丁目。
1959(昭和34)年に登別駅で発売。商品名を記した専用の紙箱に、9切れ分のバッテラを収める。その具がなぜか、トンカツ、焼豚、チーズ、ハムが各2切れとキュウリであり、ユニークというかゲテモノというか、非常に個性的。駅弁屋の社長がすしめしを食べながら、間違えてチーズを口に入れたことから誕生したというエピソードが伝わる。調製元の駅弁からの撤退により、2004年9月限りで失われた。
※2005年1月補訂:駅弁消滅の可能性を追記登別駅の近くの観光施設「登別マリンパークニクス」の開業を記念し、1990(平成2)年に発売。専用の青い紙箱には、ラッコとアシカとイルカに「ニクス城」と名付けられた観光施設の建物を描く。中身は暖かい日の丸御飯と、冷たいおかずの有頭海老や焼鮭や玉子焼やコロッケやかまぼこ、ホタテなどの煮物、すじこ、漬物など。北の味もあるような気がする幕の内弁当。調製元の駅弁撤退により、2004年9月限りで失われたらしい。
登別マリンパークニクスは、北欧ロマンと海洋ファンタジーを主題にしたテーマパーク。昭和30年代に数年間だけ操業した製塩工場の跡地のうち約6ヘクタールを使い、登別市と銀行各社などが設立した第3セクター会社による大規模水族館。1990(平成2)年7月に開業し、バブル経済の好景気と水族館の人気で、翌年には年間65万人もの入館者を集めたものの、以後は他のバブル期に開業したテーマパークと同じく、来客の激減で経営が行き詰まった。2001(平成13)年に登別市が約40億円の債務を整理し、運営を観光会社に任せて営業を継続、その経営手腕に加えて特急停車駅から徒歩5分の一大温泉地の入口という立地からか、入館者は増加に転じ再建策が回り始めている。
※2004年11月補訂:写真の掲載と解説文の全面改訂登別駅の駅弁屋の温泉饅頭。焦げていないのに濃い茶色をした栗まんじゅうが10個、個別包装でトレーに並べ、まるごと密封して箱詰めされ、商品の包装紙と駅弁屋の包装紙に包まれていた。昭和時代にはよくあったらしい、駅弁屋の甘味や饅頭も、21世紀には数少ないもの。
食品表示によると製造元は栗山町の美津和商会。かつて室蘭本線の栗山駅で駅弁を販売した、栗山駅前の菓子製造業兼仕出し業者。昭和時代までに駅弁から撤退した一方で、1931(昭和6)年に発売した「栗まんじゅう」が地元の銘菓へ成長し、今も駅前で売られる。この商品の中身は、その栗まんじゅうである。
2014年に登別駅へ再訪したら、この商品は売られていなかった。駅前の駅弁屋も、建物は健在ながら営業を止め、広告看板となっていた。
※2016年12月補訂:終売を追記1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の登別駅の駅売り饅頭の掛紙。収集者は1954(昭和29)年のものとみなし、掛紙に書き入れた。温泉マークを並べて「世界的の大温泉場」と高らかにうたい、登別小唄の1番の歌詞を記す、昭和時代の雰囲気。駅から温泉までは歩けば2時間はかかりそうだが、登別駅は開業時から一貫して登別温泉の玄関口であり、第二次大戦前には鉄道で行けた時代があった。この駅では当時は駅弁でなく、わさび漬、温泉饅頭、ひょうたん飴、わかさ芋のような土産物が構内営業で売られたらしい。