営業当時で、名寄駅や紋別駅から名寄本線の列車で約1時間。かつてここには峠越えの蒸気機関車が詰めており、大正時代から1961(昭和36)年まで駅弁が売られた。駅弁屋は後に興部駅へ移転し、1980年代まで「帆立しめじ弁当」が売られたという。上興部駅跡は鉄道記念館となった。1920(大正9)年10月25日開業、1989(平成元)年4月30日限りで廃止、北海道紋別郡西興部村字上興部。
営業当時で、名寄本線の列車で名寄駅から約1時間半。興部町は北海道の北東部でオホーツク海に面した、人口約4千人の町。林業よりも漁業よりも酪農がさかん。かつて名寄本線が興浜南線を分ける鉄道の駅があったが、1980年代にいずれも廃止され、跡地は今では道の駅。上記のとおり上興部駅から移転してきた駅弁屋が、1961年から1980年代まで営業した。1921(大正10)年3月25日開業、1989(平成元)年4月30日限りで廃止、北海道紋別郡興部町字興部。
1980(昭和55)年2月12日の調製と思われる、昔の興部駅弁の掛紙。ただし、調製印は京王百貨店のもの。駅弁大会の実演販売で使用された掛紙だと思われる。
かつて名寄本線興部駅で販売されていたという駅弁を、1997(平成9)年1月の京王百貨店の駅弁大会で復刻販売したもの。その後もしばらくは、冬場の関東の大規模駅弁大会を中心に散発的に販売された、現地売りがなく駅弁大会でしか買えない催事用駅弁。
掛紙は現役当時のデザインを踏襲、中身も当時に近付けて、帆立貝柱をほぐして混ぜた炊込御飯の上に帆立とシメジを載せる。あからさまなインパクトには欠けるものの味、というより風味は抜群で、道東か道北のどこかの駅弁屋が真似ればいいのにと思う。
上記の催事駅弁の、2008(平成20)年時点での姿。消えた駅弁を復刻したものなので、もう二度と変わらない弁当であるはずが、値段に加えて中身が2004年のものと異なる。シメジ混じり御飯に帆立を載せるところまでは共通だが、今回は蒲鉾・玉子焼・タクアンの付合せが新登場。ネット上や電話帳で検索しても出てこない業者名の調製印が押されていた。