営業当時で、苫小牧駅から日高本線の列車で約4時間。様似町は北海道南部の日高地方で太平洋に面した、人口約4千人の港町。サケ・マス漁や日高昆布の漁業に、イチゴや競走馬の農業が盛んという。日高本線の終着駅で襟裳岬への玄関口であり、国鉄の列車とバスを乗り継いだ駅では、昭和40年代から50年代まで駅弁が売られた。駅と鉄道の廃止を機に駅弁が復刻され、冷凍食品で通信販売。1937(昭和12)年8月10日開業、2021(令和3)年3月31日限りで廃止、北海道様似郡様似町大通。
2021(令和3)年8月7日に発売。昭和40年代に様似駅で発売し、この時で30年以上前まで販売されていたという駅弁「つぶ貝弁当」を、様似町内の女性グループ「まんまの会」が当時のレシピで復刻し、駅の跡地でのイベントで22日まで販売した。また、冷凍食品にして通信販売を開始した。
掛紙は現役当時のものをカラーコピー。容器は現地の掲示や通販サイトの掲載では黒塗りの重箱であるが、ここでは冷凍食品の通信販売で黒いプラ製トレー。その中につぶ貝の混ぜ御飯だけを詰める。貝の飯なのに臭みも固さもない、滋味あふれる感じ。イベントの終了後も、かつての駅舎に入居した観光案内所で、冷凍食品として予約販売される。カラーコピー掛紙だけの販売もある。
様似駅はこの駅弁が現役だった期間、旅行者で賑わった。当時は海外旅行や航空運賃がまだ高額で、一方で鉄道は日本国有鉄道(国鉄)の「均一周遊券」により、例えば東京からでは1万円か2万円で2週間ないし3週間、北海道まで急行列車と鉄道連絡船で往復でき、北海道内の国鉄の鉄道とバスが乗り放題という安さだった。森進一「襟裳岬」のヒットは1974(昭和49)年。様似駅は日高本線と国鉄バス日勝線を乗り継ぐ駅であり、ここで駅弁が商売になった。
1990年代になると、海外や航空は安く便利になり、鉄道は周遊券や夜行列車の廃止で高く不便になり、日高でも道路が良くなり高速道路まで伸び始め、鉄道は見捨てられた。古びた日高本線は高潮や地震で度々不通となり、2015年にはほぼ全線で列車の運行を休止しバス代行輸送を実施。地元では利用しない鉄道をJR北海道と国の金で復旧しろと強硬に主張したため、その結果として2020年度限りで鉄道を廃止する手続きが取られた。日高は車で何の不便もないが、旅行者がツアーやレンタカーの力を借りず自力で訪れることは難しくなった。