1954(昭和29)年5月28日11時の調製と思われる、昔の上川駅弁の掛紙。大雪山国立公園層雲峡温泉と題する景色を描く。札幌や旭川と北見や網走を結ぶ列車が通り、大雪山国立公園や層雲峡への玄関口であった上川駅では、1932(昭和8)年2月から増屋が駅弁を販売し、後ににじます姿鮨が名物の駅弁となったが、1988(昭和63)年頃に撤退した。
札幌駅から特急列車「オホーツク」で約3時間半。遠軽町は北海道の北東部に位置する、人口約2万人の開拓地。過去には林業の町や、石北本線が名寄本線を分ける鉄道の町として賑わった。駅弁は大正時代からの駅弁屋が売る「かにめし」が親しまれ、特急列車の発着に合わせて売りに来たほか、特急列車の車内販売で予約注文を取っていたが、その車内販売の廃止に伴い2015年3月31日限りで終売。1915(大正4)年11月1日開業、北海道紋別郡遠軽町岩見通南1丁目。
昭和時代初期の発売とされる、遠軽駅で最後まで残った駅弁。昼間の特急列車「オホーツク」停車時間にホーム上で台売りされたほか、同列車の車内販売での予約購入もできた。こういう販売形態のため、常に出来立てで温かい品物が入手できた。
長方形の経木折を、カニを描いた掛紙で包む。中身は御飯の上に細かい炒り卵と紅生姜に刻み、海苔とカニ煮付ほぐし身を混ぜて敷くもの。ツヤのある細かなカニ身から煮汁がきゅっと出て、錦糸卵が食感で、海苔が香りで、紅生姜が刺激で、温かく柔らかい御飯とともに個性を出しながら風味を互いに補いふわりとした食感を出す、好評が納得できる素朴で奥の深いカニ飯駅弁。しば漬と数の子山海煮の添付も的を射ている。
遠軽への鉄路は、手宮と幌内を結ぶ北海道最初の鉄道の、岩見沢から分岐し旭川や富良野や帯広や釧路を結ぶ鉄道の、池田から分岐し北見や網走を結ぶ鉄道の、さらに北見から分岐する軽便鉄道として伸びてきた。これがさらに湧別や紋別を経て名寄につながり、その後に遠軽と旭川を短絡するルートが建設された。その後は現在の石北本線の経路が幹線格となり、遠軽から名寄までの名寄本線は国鉄再建法により1989年4月限りで廃止されてしまった。そのため、現在の遠軽駅は二方向から線路が来る行き止まり駅である。
2011年10月7日の駅弁屋での火災発生により、この駅弁の製造が中止され、特急列車車内販売での予約販売も中止されたが、2012年7月10日頃より再開された。しかし2015年3月31日限りで特急列車の車内販売が廃止、売上の9割をこれに頼っていた調製元も廃業を選び、この名物駅弁は消えた。
※2015年5月補訂:写真を更新、終売を追記2004(平成16)年4月17日に購入した、昔の遠軽駅弁の掛紙。上記の2015年のものとの違いは、調製元の電話番号のみである。遠軽駅15時17分発の特急列車「オホーツク6号」向けに駅へ売りに来た駅弁を、普通列車の乗り継ぎ待ちの時間で購入した。
1997(平成9)年1月12日18時39分の調製と思われる、昔の遠軽駅弁の掛紙。色合いと価格と調製元の名前に食品表示ラベルの内容は少々変わったが、それ以外は上のものと変わらない。19時1分発の網走行特急列車「オホーツク5号」と、19時3分発の札幌行特急列車「オホーツク8号」の利用者に向けて売られたものだろう。
昭和50年代のものと思われる、昔の遠軽駅弁の掛紙。そのカニと網と海の絵柄は、21世紀のものとまったく変わらない。注意書きや調製元表記などの文字は、時代のルールに応じて変わってきた。当時の遠軽駅は石北本線が名寄本線を分ける駅であった。
札幌駅から特急列車「オホーツク」で約4時間半。北見市は北海道の北東部に位置する、人口約12万人の開拓都市。戦前は世界一のハッカの産地であり、現在も日本一のタマネギなどの畑作地帯であり、役所や大学や商業施設が集まる地域一番の大都市である。駅弁は駅開業の頃からの駅弁屋が2009年に撤退し、今はない。1911(明治44)年9月25日開業、北海道北見市大通西1丁目。
北見駅の幕の内駅弁。ボール製紙の汎用折詰容器に駅弁の名前と駅弁マーク、そしてJRのPRを印刷したシールを貼る。食品表示シールを、ふたを開けた裏面に貼る珍しい形態。中身は梅干が偏る日の丸御飯に玉子焼や焼売や煮物や帆立の他に、エビフライ、イカフライ、椎茸フライ、カニカマ揚げと、揚げ物の存在感が大きい内容。
北海道らしさの薄い幕の内駅弁は、過去に農業で発展したものの現在はデパートとシティホテルに商業と工業の大学や工場集積が見られる、札幌を除く北海道らしくない都会的な街の性格が出てるものだと考える。2009年3月限りでの駅弁屋の撤退により終売。調理担当社員が北見プラザホテルのシェフに転身し、名物駅弁「ほたて丼」の味を夕食で提供する宿泊プランをネット上に出している。
※2010年7月補訂:終売記事に追記経木枠のわっぱ型容器を、掛紙代わりのフィルムシールで留める。そのフィルムに春夏秋冬の文字と写真があり、「道東の四季折々の味覚を旬の時期にお送りします」と宣伝されているので、時期的に春バージョンを購入したのだろう。
中身は茶飯の上にカニほぐし身と錦糸卵を混ぜて敷き桜花をふたつ載せ、おかずは焼鮭に桜色海老団子やカニカマ揚げにミートボールなど、見た目や雰囲気が春らしい。同時にカニや鮭の存在感は強くなく、とにかくウニ・カニ・イクラ・ホタテ・シャケやニシンをどーんと前面に出す北海道らしい駅弁とは一線を画すタイプ。つまり旅行者が求める北海道らしさは薄いが、普通に見て風味が良い駅弁。
この駅弁は2009年3月限りでの駅弁屋の撤退により終売となった模様。
※2009年5月補訂:終売を追記昭和50年代のものと思われる、昔の北見駅弁の掛紙。国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」の文字があることから、1978(昭和53)年以降のものだろう。公式なロゴマークを使わず、その前の「一枚のキップから」のロゴマークの文字だけ差し替えたのは興味深い。絵柄は下記の「一枚のキップから」と共通するも、位置や色付けなどが変えられている。
昭和50年代のものと思われる、昔の北見駅弁の掛紙。国鉄の旅行キャンペーン「一枚のキップから」のロゴマークがあることから、1977(昭和52)〜1978(昭和53)年のものだろう。北見にちなんだと考えられる5種類のイラストでできている。
昭和50年代のものと思われる、昔の北見駅弁の掛紙。国鉄の旅行キャンペーン「一枚のキップから」のロゴマークがあることから、1977(昭和52)〜1978(昭和53)年のものだろう。鮭を描いた、とても小さな紙片。