東京駅から東北新幹線やまびこ号で約2時間半。一関市(駅名は「一ノ関」で市名は「一関」)は、岩手県の南端に位置し、北上川沿いの北上盆地を中心街とする、人口約11万人の城下町。駅弁は明治時代からの駅弁屋のものが売られ、新幹線改札付近と西口駅舎に駅弁売店がある。1890(明治23)年4月16日開業、岩手県一関市深町。
2024(令和6)年4月1日から30日まで、一ノ関、盛岡、東京の各駅で販売。駅弁の日に合わせ、日本鉄道構内営業中央会の会員のうち31社が各社おすすめ駅弁に共通ノベルティ「千社札風カード」を添付して期間限定で販売した駅弁の、一ノ関駅バージョン。下記のように以前にも復刻された駅弁「やまびこ」が、また今回も復刻されたように見えて、今回の販売は復刻とは発表されていない。
専用の紙箱には、岩手県内の名所旧跡が賑やかに描かれる。中身は岩手県産米ひとめぼれの白飯を、ゆり根花びらで彩り、れんこんきんぴらと岩手県産鶏の照り焼きを添え、おかずに鮭の塩焼き、玉子焼き、海老フライ、盛岡名物じゃじゃ麺風うどん、パプリカ、煮物、ガリ生姜、ミニ大福。2022年の復刻駅弁とほぼ同じ、昭和時代のような幕の内駅弁。
2022(令和4)年6月23日に、一ノ関、盛岡、東京の各駅で発売。同日の東北新幹線(大宮駅〜盛岡駅)の開業40周年を記念して、その当時に販売していた一ノ関駅の幕の内弁当を、10年前の2012年に開業30周年として復刻販売したものを、さらに復刻し発売した。専用の紙箱には岩手の風景に、新旧の新幹線電車、駅弁マークと調製元のロゴマーク、JR東日本のキャンペーンのアイコン2つを折り重ねる。
白いトレーに収めた中身は、白飯に鶏照焼とれんこんきんぴら、シイタケやこんにゃくなどの煮物、エビフライと玉子焼とカジキ漬焼と盛岡じゃじゃ麺風うどん、ゆり根花びらと一関名物あんころ餅。名目は復刻でも内容は新作で、昭和までは遡らないような少し懐かしい幕の内駅弁の構成を持つ感じ。今回は2022年内までの販売か。
偶然にも、現在のJR東日本の「新幹線」は、1982(昭和57)年の東北新幹線と上越新幹線、1992(平成4)年の山形新幹線、1997(平成9)年の秋田新幹線と北陸新幹線(長野新幹線)、2002(平成14)年の盛岡駅〜八戸駅と、5年または10年おきに開業し、まとめて周年の区切りがやってくる。そこでJR東日本は2007(平成19)年から「新幹線YEAR」と名付け、5年おきに記念キャンペーンを展開する。1985(昭和60)年の上野駅〜大宮駅、1991(平成3)年の東京駅〜上野駅、1999(平成11)年の山形駅〜新庄駅、2010(平成22)年の八戸駅〜新青森駅、2014(平成26)年の長野駅〜上越妙高駅〜金沢駅は、ここでは取り上げない。1990(平成2)年の越後湯沢駅〜ガーラ湯沢駅は、ここでは新幹線なのかどうか。
※2023年9月補訂:終売を追記2012(平成24)年3月17日から31日まで東京駅の駅弁売店「駅弁屋旨囲門」で開催された「第15回東北応援東日本縦断東京駅駅弁大会」で販売されたお弁当のひとつ。1982(昭和57)年6月の東北新幹線盛岡開業の時に一ノ関駅で販売した駅弁を、東北新幹線開業30周年を記念して復刻したものだという。
一関周辺の観光地のイラストと新幹線の車両を印刷した掛紙にすっかり巻かれる、かなり細長い長方形の容器の中身は、日の丸御飯、鶏唐揚とウインナーと春巻と玉子焼、鮭塩焼とエビフライと焼売、ハンバーグとマカロニサラダ。確かにこれは昭和の昔の商品という感じで、しっかりカロリーが取れそうというか、地域の個性のかけらもない食事というか。
東北新幹線はオイルショックとイデオロギー的反対運動に巻き込まれ、国鉄の労使関係悪化や上越新幹線中山トンネル出水事故の影響もあり、1982(昭和57)年6月23日に大宮駅と盛岡駅の間で、一日わずか10往復での暫定開業という形で生まれた。うち一ノ関駅を経て盛岡駅まで顔を出す「やまびこ」は、4時間毎に一日わずか4往復。それでも在来線特急列車の半分の時間で行けるようになったため、連日満席の盛況だったという。7月23日に4往復を増発、夏休み期間中に3往復の臨時列車が走り、11月15日の上越新幹線開業とともに本来の毎時1〜2本のダイヤが施行された。
一ノ関駅のあべちう版の幕の内弁当で、この姿になったのは2007(平成19)年だろうか。ちょっと細長い長方形の赤い容器を、駅弁の名前と青空と稲穂を合わせた掛紙で包む。中身は岩手県産ひとめぼれの日の丸御飯に焼鮭、鶏照焼、帆立、玉子焼、里芋と人参の煮物に豆入り薩摩揚など。
おかずは内容も風味も分量も、必要なものはすべて揃っている。しかし肝心の日の丸御飯の味が、この駅弁の名前にしてはいまいち。常温までならともかく、このような輸送冷蔵販売の駅弁では、コシヒカリ系よりササニシキのほうが風味で優位な気がする。過去にはひとめぼれイコール仙台駅弁だったが、いまや東北の水稲作付面積の1/3がこれだから、東北地方のどの駅でも駅弁の名前に使える状況にある。この駅弁が2008年以降に売られたかは分からない。
※2017年5月補訂:終売を追記1960年代頃、昭和30年代頃のものと思われる、昔の一ノ関駅弁の掛紙。中尊寺金色堂の絵柄と松尾芭蕉の句を描き、交通道徳標語と題した鉄道利用のマナーも説く、いずれも駅弁の掛紙らしい内容。
1960年代頃のものと思われる掛紙。鉄道や旅客向けの案内や連絡先がないことから、これは駅弁の掛紙でなく、団体客向けの仕出し弁当のものだろう。伯養軒は仙台駅などの駅弁屋であるとともに、東北地方の各地に支店や食堂を持つ食品業者でもあった。注文者の「京都秀岳旅行会」は、弁当店に専用の掛紙を刷らせるほどの大口団体だったのだろう。
絵柄から1928(昭和3)年のものと思われる、昔の一ノ関駅弁の掛紙。この年は昭和天皇の即位の年で、一年を通して各地で記念行事が行われ、記念の駅弁掛紙も出回った。それらの掛紙には「奉祝」の表記があり、この掛紙は入手の状況から1920年代のものと考えられ、このように推測した。まるで特別急行列車のヘッドマークに使えそうな絵柄。
1926(大正15)年10月4日5時の調製と思われる、昔の一ノ関駅弁の掛紙。左半分に当時の駅弁として一般的な、商品名と価格と駅名と調製元に、厳美渓と金色堂のイラストでの名所案内と意見記入欄を、右半分に芭蕉の句と名所案内を記す。二つ折にして折箱に置いたのだろうか、このような形式の駅弁掛紙は初めて見た。調製元の石橋ホテル菅原清蔵は、後のあべちうとも斎藤松月堂とも異なる、1890(明治23)年11月から一ノ関駅で弁当とすしを売り、第二次大戦中に撤退した構内営業者だそうな。