盛岡駅からIGRの電車で約1時間。一戸町は岩手県の北部に位置する、人口約1万人の町。江戸時代に奥州街道の宿場があり、明治時代に鉄道が開通すると機関区が置かれ、国鉄バスも乗り入れて交通の結節点となった。駅弁は昭和時代かそれ以前から売られ、とんかつ弁当が東北本線の客に親しまれ、新幹線の開業を迎えたものの、2007年3月限りで消えた。1893(明治26)年2月15日開業、岩手県二戸郡一戸町西法寺字稲荷。
1960(昭和35)年頃に一戸駅で発売。「トンカツ弁当」やこの「ロースカツ弁当」は、名物としてこの駅や東北本線の列車内販売で親しまれた。一戸の特産という豚肉を使用、白飯に秘伝という醤油だれに漬けたロースカツを1枚横たえ、グリーンピースで彩り、野菜と柑橘類と漬物を添える。トンカツの駅弁では珍しく、彩りが豊か。
東北本線が十三本木峠を越える、東京駅から青森駅までの全線で最も標高が高い所を走る峠の、北のふもとの一戸駅。かつて蒸気機関車の車庫である機関区が置かれ、列車に機関車を付けたり外す駅として、列車が止まり、多くの職員が働き、駅弁の売れる駅であった。この駅弁もかつては、一日で約200個が売れたという。1968(昭和43)年10月の東北本線全線電化でその賑わいを失っても、駅弁はその味と人気で存続した。
2002(平成14)年12月の東北新幹線の盛岡駅から八戸駅までの延伸開業により、一戸駅に停車する特急列車は全廃、新幹線も素通りし、さらにこの区間の東北本線そのものが、JRの経営から切り離された。それでも一戸駅の駅弁は存続し、さらに新幹線二戸駅での販売が始まったため、一戸駅弁の購入がむしろ容易になった。なお、1980年代には北福岡駅(1987年2月から二戸駅)や金田一駅(1987年2月から金田一温泉駅)での一戸駅弁の販売もあったという。
この駅弁は調製元の廃業により、2007年3月限りで終売となった。
※2021年3月補訂:内容を変えずに文章を整理JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のひとつとして、1989(平成元)年3月に発売か。陸奥(みちのく)の故郷(ふるさと)を描いたように思える掛紙は、この地域に独特の民家建築である、母屋と馬屋が一体となったLの字型の住宅「曲り家(まがりや)」と岩木山に思える。中身は酢飯を錦糸卵と、有頭海老やホタテの酒蒸しに、かまぼこ、肉団子、きゅうり、煮物などで覆うもの。酢飯の幕の内弁当といった印象で、人気だとか美味いという評判は聞かれなかったと思う。調製元の廃業により、2007年3月限りで終売となった。
※2021年3月補訂:文章を整理「岡田茂吉師の提供する、化学肥料・農薬を使用しない、自然農法産の健康に良い自然米です。」だそうな。中身はつまり幕の内弁当で、日の丸御飯に焼鮭、ホタテ、串カツ、エビフライ、煮物、ごぼうサラダ、漬物など。上記の駅弁「みちのくふるさと弁当」と同じく、おかずがあふれるように詰められていた。
2002(平成14)年6月の訪問時点で、一戸駅の駅弁は「ロースカツ弁当」「みちのくふるさと弁当」とこの「みちのく自然米辨當」の3種類。伝統のトンカツ弁当を注文すると、ロースカツ弁当の購入を勧められた。午前中の特急「はつかり」の車内販売への積み込みを除き、調製元か駅のキオスクへの予約か注文により販売していた。調製元の廃業により、2007年3月限りで終売となった。
※2021年3月補訂:文章を整理1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の一戸駅弁の掛紙。収集者は1954(昭和29)年6月7日の調製とみなし、掛紙に書き入れた。「要外食券」当時のもの。掛紙に引用した百人一首の42番で清原元輔の歌「ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 なみこさじとわ」における末の松山(すえのまつやま)は、普通に調べると宮城県多賀城市にある国指定名勝「おくのほそ道の風景地」25箇所のひとつとなるが、現在の岩手県の一戸町と二戸市にまたがる奥州街道の浪打峠だとする説もあり、これが「末の松山浪打峠当駅より約三粁」と紹介される。この峠で1987(昭和62)年11月に開通した岩手県の農林漁業用揮発油税財源身替農道(農免農道)のトンネルは「末の松山トンネル」と名付けられた。1933(昭和8)年4月に山口良助が創業した調製元の屋号「松山堂(しょうざんどう)」は、これにちなんだものだろうか。
盛岡駅からIGRの電車で約80分。1987年1月まで金田一駅を名乗った、千年以上の歴史を刻むとされる金田一温泉の玄関口では、1980年代に一戸駅の駅弁が売られた。1909(明治42)年10月18日開業、岩手県二戸市金田一字水梨。