盛岡駅から山田線または106急行バスで約2時間。山田線と三陸鉄道リアス線との接続駅。宮古市は岩手県の東部で太平洋に面する、人口約5万人の港町。陸中海岸観光の拠点のひとつである。駅弁は地元の割烹料理屋が1989(平成元)年3月に駅へ進出し、「いちご弁当」などの名物を生んだが、2011(平成23)年の東日本大震災以降は売られていない。1934(昭和9)年11月6日開業、岩手県宮古市宮町1丁目。
宮古駅からも世の中からも失われていたと考えられた、1990年代から約20年間宮古駅で名物の駅弁であった「いちご弁当」が、2020(令和2)年2月の鶴屋百貨店の駅弁大会で突然に復活して驚いた。催事場での実演販売で、調製元は山形県は米沢駅で「牛肉どまん中」が有名な駅弁屋である新杵屋。売り場には「岩手 宮古 魚元 女将」の写真とメッセージが掲示されていた。
掛紙も内容も風味も、宮古駅の駅弁であった頃と変わらない。炊込飯をウニそぼろで覆い、アワビで彩り、茎わかめと大根桜漬と酢れんこんを添える。東日本大震災から8年の時を経て2019(平成31)年3月に、再び3方向の鉄道が集まるジャンクションになった宮古駅での、駅弁の復活はあるのだろうか。これは2023年1月の京王百貨店の駅弁大会でも実演販売されたが、現地や米沢あるいはその他の駅弁催事では売られていない。
※2023年7月補訂:現況を追記2014(平成26)年2月に熊本のデパートで実演販売されていた宮古駅弁。会場では宮古駅の駅弁でなく、百貨店オリジナルの弁当として売られた。中身は下記の駅弁の頃の「海女弁当」と同じく、酢飯をイカ焼、カニ脚、イクラ、ウニ、ワカメ、レンコン、大根桜漬で覆うもの。その掛紙のデザインは、1990年代の宮古駅弁「海女弁当」のものではないかと思う。
調製元は2011年3月の東日本大震災で、駅弁業を休業した。この頃はこうやって、大規模な駅弁催事に出店して復興や将来の駅弁復活をアピールしていたが、いつからかそれもなくなった。調製元の料亭も2018年に閉店した模様。宮古駅弁は約20年の歴史を閉じた。
調製元の駅弁への進出に伴い、1989(平成元)年3月に発売。JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のうちひとつ。角を丸めた長方形の容器に、木目印刷の紙のふたをかけて、掛紙と輪ゴムで押さえる。中身は掛紙ほど豪華絢爛ではないが、酢めしの上がヤリイカ・ずわいがに・イクラ・焼きウニと海の幸で埋め尽くされる、海女の名を名乗るにふさわしい駅弁。
角を丸くした長方形の容器はスーパーの惣菜弁当を思わせるため、定価4桁の駅弁に使用されると寂しいが、その分だけ中身を充実させていると判断する。なお、宮古駅弁のほとんどは盛岡駅でも購入できたが、2006年にその取り扱いを終了した模様。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2020年1月補訂:発売年を追記2013(平成25)年2月の熊本県熊本市の鶴屋百貨店の駅弁大会での実演販売で売られていたお弁当。前年の2012年2月のここでも販売した模様。駅やその他の駅弁大会で売られたことは、あるのだろうか。インクジェット印刷の掛紙を巻いた小柄なプラ製容器の中身の、白御飯をとても細かいうにそぼろで覆う姿に、2005年に消えたいわき駅弁を思い出す。
透明なプラ製の惣菜容器に、おいなりさん3個、玉子焼とかんぴょうと紅生姜の太巻き2切れ、きゅうりとかんぴょうの細巻き2本ずつを詰め、ラップで巻いたもの。商品名どおりのお総菜。
東日本大震災から約1か月を経た訪問日、宮古駅とその駅前はおそらく普段の姿を取り戻していたが、山田線はこの宮古駅が終着駅で、三陸鉄道は小本駅までの暫定運行で、駅弁の姿はなく、代わりにこの商品がキオスクで販売されていた。調製元は遠く青森県八戸のコンビニ向け惣菜工場。地元の業者に頼れなかったにしても、なぜ盛岡のNREや八戸の吉田屋にしないのか不思議に思った。2017年の訪問時、売店は健在だったが弁当類は消えていた。
※2019年8月補訂:終売を追記正方形で手のひらサイズの惣菜容器に御飯を詰めて、ホタテ煮3個、油揚げ、カニかま、シイタケ煮、玉子焼と錦糸卵、でんぶ、ガリを載せる、商品名どおりのお総菜。感想は上記の駅弁「寿司詰合せ」のとおり。2017年の訪問時、売店は健在だったが弁当類は消えていた。
※2019年8月補訂:終売を追記秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2009(平成21)年秋の新商品か。真っ黒で分厚い正方形の容器を、商品名を書いたシンプルなデザインの掛紙で包み、ゴムで留める。松花堂タイプに仕切られた中身は、いちご飯、鮭そぼろ飯、ホタテ飯、カニイクラ飯の4種が各区画に詰まる。
つまり宮古駅弁のオールスターであり、その味は保証されている。しかし逆に見れば特徴はそれでしかなく、分量は十分だが価格は高額。現地ではおそらく予約販売で対応するのだろうが、はたしてふらりと訪れて買えることは、あるのだろうか。掛紙記載「限定販売」の文字も気になる。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2017年8月補訂:終売を追記調製元の駅弁への進出に伴い、1989(平成元)年3月に発売。JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のうちひとつ。木目調の容器に透明なふたをして、アワビとウニの写真が目立つ掛紙ですっぽり包み、輪ゴムで留める。中身はウニとアワビの煮汁で炊いた御飯の上に、ウニそぼろを敷き詰めて蒸しアワビを数切れ載せるもの。陸中ではアワビとウニの汁物を「いちご汁」といい、このいちご汁をイメージしたという。
百貨店の駅弁大会での実演販売でも人気を集めるが、登場後20年を経てもいまだに、ストロベリーのほうのイチゴを連想されて買い控えられる光景をよく目にする。それでもリピーターをつかんでおり、改名することはないだろう。宮古駅に加えて1997年からは盛岡駅でも販売されていたが、2006年にその取り扱いを終了した模様。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2017年8月補訂:終売を追記2005(平成17)年1月15日に購入した、宮古駅弁の掛紙。現地でなく、東京都新宿の京王百貨店の駅弁大会で実演販売されたものを購入。掛紙も中身も、上記の2009年のものと同じ。買った場所も同じである。
調製元の駅弁への進出に伴い、1989(平成元)年3月に発売。JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のうちひとつ。1990年代の駅弁紹介本にはよく載っていた、過去の名物駅弁。小柄な長方形の容器に透明なふたをして、1992年7月から1995年3月までのJR東日本の観光キャンペーン「Bound for the Heartland,Japan.その先の日本へ。」ロゴマークが懐かしい掛紙を巻き、輪ゴムでしばる。
中身は酢飯の上をイクラと錦糸卵と鮭フレークでストライプ。そんな内容の駅弁はよくあるが、これは具の分量や食感や飯との相性か、なんとなくなぜか不思議にうまかった。現地での購入は要予約とも聞くが、ふらりと買えた報告も目にする。
個人的な思い出で申し訳ないが、1989(平成元)年6月11日、夜行の青森行急行「八甲田」を盛岡で降り、山田線の始発で宮古に出た際に駅舎内で買って食べて美味かった駅弁に風味が似ている。それは掛紙ではなく細長い紙箱タイプだったような気もするが、同じ駅弁に18年半ぶりに出会えたのかもしれない。その後に宮古駅には何度も訪問したが、駅弁販売そのものに出会うことができず、駅弁趣味を始めて催事場に通うようになっても、今回まで出会えなかった。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2020年1月補訂:発売年を追記2007(平成19)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、小倉のフグ駅弁との対決にて実演販売されたお弁当。形状に加えて光線の反射具合も貝殻を模した陶器を、下記の「まるごとあわび弁当」用のような頑丈なボール紙箱に詰める。中身は三陸産エゾアワビの大きく美しい酒蒸しをまるごと1個、三陸産イクラ、カズノコ、アワビ肝煮、茎わかめなどを御飯の上に載せるもの。価格はおっかないが、淡泊な風味を楽しめる。
催事場では宮古も小倉も、開店一番に整理券を得ないと入手が困難な大人気。しかし小倉に1,800円フグ駅弁の需要があるのかどうか、宮古で約二千円のアワビ駅弁を2種も生かしておけるのか。京王の会期とともに新作として登場し、その会期とともに消えそうな、新たなタイプの疑義駅弁だと感じられなくもない。
小さい割に底が深い容器を、ボール紙の枠にはめる。パッケージの「蟹とはらこの三陸ちらし寿司」というキャッチフレーズと中身の写真のとおり、中身は酢飯の上にカニ脚をハの字状に6本置き、その間をイクラ(はらこ)で埋める、それほど多くない両者の分量を視覚でうまくアピールした、見た目が豪華な駅弁。もちろん、他の宮古駅弁と同じく、味も楽しめる。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2017年8月補訂:終売を追記有田焼の美しい容器を、フルカラー印刷のボール紙の枠にはめる。中身は駅弁の名前どおり、酒蒸しのあわびが厚くスライスされてまるごと1個、イクラやカニとともに御飯の上に載るという、とことん豪華指向の駅弁。予約制。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2017年8月補訂:終売を追記小さな六角形の容器は、写真のとおり一面はらこ(いくら)が敷き詰められている。れんこん・しこしこ・桜風味と、その下の白御飯ですべて。見た目通りの味がしたが、こんなイクラ駅弁を先に味わってしまうと、駅弁の名前にイクラを付けながら中身にイクラは雀の涙ほどという駅弁に出会うとがっかりすることになる。
宮古駅の駅弁は2011年3月の東日本大震災で消えた。調製元の割烹はほどなく営業を再開したが、駅弁が復活することはなかった。
※2017年8月補訂:終売を追記