おそらく1920年代の調製と思われる、昔の羽後本荘駅弁の掛紙。絵柄は鳥海山に渡り鳥と汽車だろうか。調製元の森川旅館弁当部は、羽後本荘駅の開業後ほどなく、1924(大正13)年から構内営業を手掛け、森川弁当部の名で1990年過ぎまで「すきやき弁当」などの駅弁を販売した。
おそらく1920年代の調製と思われる、昔の羽後本荘駅弁の掛紙。絵柄は鳥海山と日本海の帆掛船だろうか、静岡県側の富士山にも見える。同じ頃の掛紙と思われる並等御辨當よりも、絵柄も上等だと思う。駅名を「羽後本蔵」と誤植しており、捺印で「荘」に訂正されている。
おそらく1920年代の調製と思われる、昔の羽後本荘駅弁の掛紙。和傘にヤナギの、地域性のない絵柄。羽後本荘あるいは由利本荘は、江戸時代は六郷氏2万石の城下町。鉄道の開通で小規模ながら機関車の車庫が置かれ、奥羽本線には達しなかったが現在の由利高原鉄道が分岐し、今もすべての特急列車が止まる主要駅となった。
1928(昭和3)年11月29日の調製と思われる、昔の機織駅弁の掛紙。機織駅とは、1901(明治34)年11月1日に「能代」の駅名で開業し、1909(明治42)年11月1日に「機織」に改称し、さらに1943(昭和18)年6月15日に改称した、現在の東能代駅。長らく駅弁販売駅でなくなっていたが、2005年頃に大館駅弁の販売が開始され、時刻表上でも駅弁販売駅に返り咲いた。
角館駅から秋田内陸線の列車で約1時間半。阿仁合駅がある北秋田市は、2005(平成17)年に4町の合併でできた、人口約3万人の町。阿仁には過去約600年間か400年間に渡り鉱山があったといわれ、江戸時代には銅山で栄えたが、昭和時代に現在の鉄道が開通した頃には廃れた。この駅では平成時代以降何度も、駅弁の発売が記事になり続ける。1936(昭和11)年9月25日開業、秋田県北秋田市阿仁銀山字下新町。
2004(平成16)年12月21日の発売と思われる、予約制の車内弁当。葦でできた丈夫な正方形の弁当箱の中に松茸飯を詰め、馬肉煮込、ゼンマイ煮付、マイタケ天、アユ唐揚などとリンゴが入る。熱いお茶が付いて1,100円、まずは発売日から翌2005(平成17)年2月24日までの火木曜日に運行する鈍行列車「お座敷雪見号」の、阿仁合・比立内間の車内販売で予約販売された。阿仁町商工観光課が、近隣の自治体を集めた観光振興会議で昼食を出すために、地元のスーパーに地域色豊かな弁当の開発を依頼したもの。良いものができたので鉄道に進出したらしい。2010年頃までの販売か。
秋田内陸縦貫鉄道は、国鉄の特定地方交通線(廃止対象線)で、1963(昭和38)年10月全通の阿仁合線の鷹ノ巣駅〜比立内駅の46.1kmと、1971(昭和46)年11月に開業した角館線の角館駅〜松葉駅の19.2kmを、1986(昭和61)年11月に引き継いだ第3セクター鉄道。1989(平成元)年4月には日本鉄道建設公団の建設中止線である鷹角線(ようかくせん)の比立内駅〜松葉駅の29.0kmを開業させ、全線94.2kmが開通し、地元で80年来の悲願を実現した。
しかし国鉄が見放した、沿線人口が少なく著名な観光地もなく、鉄道の利用者は高齢者と通学生に限られるローカル線の経営は厳しく、同種の第3セクター鉄道でも最悪のレベルとなる年間約3億円の赤字を、開業以来計上し続ける。2003(平成15)年11月にはついに、最大の出資者である秋田県知事が廃止を視野に入れた検討会を立ち上げた。沿線は昭和時代からの車社会で、1997(平成9)年3月の秋田新幹線の開業による波及効果もなかった。黒字化を目標とする収支面での経営改善を求める限り、鉄道が存続する見込みはない。
※2017年8月補訂:終売を追記秋田駅から普通列車で約80分。横手市は秋田県の南部で内陸の盆地にある、人口約9万人の市。過去には2月に人が入れる雪室を造る冬の行事「かまくら」、現在はB級グルメブームに乗じた横手やきそばで知られる。駅弁は地元の老舗旅館であった平源が駅開設の頃から販売していたが、1996(平成8)年に撤退した。1905(明治38)年6月15日開業、秋田県横手市駅前町。
昭和50年代、1980年前後の、3月30日7時の調製と思われる、昔の横手駅弁の掛紙。四角い容器に曲げて収めた仕切りで、かまくら型あるいはトンネル形になった日の丸御飯に、焼き魚、鶏肉、かまぼこ、さつま揚げ、高野豆腐、大根桜漬などを添えた、幕の内タイプの駅弁。
昭和時代末期から平成時代初期の駅弁紹介本には必ず登場した有名な駅弁で、駅弁屋の撤退により1996(平成8)年に失われたが、それを惜しむ声がいつまでも聞かれる。奥羽本線全通100年を記念して2005年6〜7月には、JR東日本の子会社である日本レストランエンタプライズ(NRE)による復刻販売が実現した。
1976(昭和51)年5月4日15時の調製と思われる、昔の横手駅弁の掛紙。絵柄は上記の1980年代のものと同じ。価格、調製元の名前、下部の交通標語、国鉄のキャンペーンのロゴマークの有無が異なる。当時の駅弁紹介記事でよく取り上げられた、日の丸御飯をかまくら型に詰めた幕の内弁当だった。絵柄はもちろん、横手の小正月行事かまくら。
1960年代の、7月20日9時の調製と思われる、昔の横手駅弁の掛紙。この掛紙で鳥海山を背景に描く横手城の模擬天守は1965年の建築。
昔の横手駅弁の掛紙。価格その他の情報がないので、第二次大戦の前か後かも定かでない。かまくらと送り盆を描く。横手のかまくらは、昭和時代から観光客を集める有名なイベント。400年以上前からの水神信仰に基づく、2月15・16日の小正月の伝統行事として、雪を盛り一部屋サイズの穴を設け、その中で子供たちが甘酒や餅をふるまう。横手の送り盆も享保5年(1720年)頃から続くという、飢饉や疫病で亡くなった霊を供養する伝統行事で、8月15・16日に盆踊りや花火大会、屋形舟を蛇の崎橋でぶつけ合う「繰り出し」を行う派手なお祭り。
秋田駅から秋田新幹線こまち号で30分。大仙(だいせん)市は2005年に8市町村が合併してできた、人口約8万人の広く大きな市。大曲駅は奥羽本線が生保内(おぼない)線のち田沢湖線を分けた駅で、1997年3月開業の秋田新幹線が進行方向を変える駅。1924(大正13)年から駅弁を販売した睦月館が1995(平成7)年に撤退、その後はこの駅のみの駅弁はないが、秋田駅弁や大館駅弁の一部がキオスクで売られる。1904(明治37)年12月21日開業、秋田県大仙市大曲通町。
秋田駅から秋田新幹線こまち号で40分強。角館駅がある仙北市は、秋田県の中部の東で2005年に2町1村が合併してできた、人口約2万人の市。角館は戦国時代からの城下町で、武家屋敷と桜並木で年に200万人以上の観光客を集める。角館駅の駅弁はないが、駅のコンビニに秋田駅弁の一部や大館駅弁が入荷する。1921(大正10)年7月30日開業、秋田県仙北市角館町中菅沢。
JR角館駅に隣接。秋田内陸縦貫鉄道の角館駅〜松葉駅は、1970年の開業時から1986年10月まで国鉄角館線であり、田沢湖線の角館駅に乗り入れていた。駅に売店はなく、駅弁もないが、鉄道会社は公式サイトでグループ・団体向けの内陸線オリジナル弁当を販売するとしている。1986(昭和61)年11月1日開業、秋田県仙北市角館町中菅沢。
秋田駅から秋田新幹線こまち号で約1時間。1923年の開業時は生保内(おぼない)駅であり、1956年に1町2村の合併で田沢湖町ができ、1966年には駅名も田沢湖駅になり、同年の田沢湖線の全通で田沢湖の玄関口となった。田沢湖駅の駅弁はないが、駅の売店で秋田駅弁の一部や大館駅弁が売られる。1923(大正12)年8月31日開業、秋田県仙北市田沢湖生保内字男坂。
秋田駅から奥羽本線の普通列車で約2時間。院内はかつて、東洋一ともうたわれた銀山で栄え、駅に急行列車が止まり、駅弁が売られた。今はそのいずれもない。駅舎は1989(平成元)年3月に、銀山の歴史を伝える資料館「院内銀山異人館」へ建て替えられた。1904(明治37)年10月21日開業、秋田県湯沢市上院内字小沢。