盛岡駅から花輪線の列車で2時間強。列車が必ず進行方向を変える駅。かつて十和田湖の玄関口として、鉄道とバスを乗り継ぐ客で賑わったが、新幹線や飛行機と観光バスやレンタカーの時代になり廃れ、2003(平成15)年のバスの廃止で名ばかりの玄関口となった。駅弁も同年に消えたが、その後もかつての駅弁屋の商店で事前の連絡により駅弁が買えたとの報告が続く。1920(大正9)年7月4日開業、秋田県鹿角市十和田錦木字浜田。
十和田南駅の元駅弁屋によるお弁当。現役時には廉価でおかずが充実していると人気があり、駅弁販売から撤退した現在でも駅前商店での販売や予約販売で入手できることがあるが、予約を断られることもあるらしい。
十和田南駅は鉄道延伸計画の名残で、平地にあるのに列車の進行方向が変わる珍しい駅。戦後長らく十和田湖観光の玄関口の地位を誇り、駅名も1957年に毛馬内から改称されたもので、国鉄バスは新車をまず信州やここに投入して観光輸送をさばいてから配属地に送るほど賑わったものだ。しかし東北自動車道や新幹線の開通により、わざわざローカル線から路線バスに乗り継ぐ利用者が減少、急行がなくなり、駅弁もなくなり、2003年3月でバス路線も廃止された。
1995年代頃に使われていたと思われる、昔の十和田南駅弁の掛紙。奥入瀬渓流銚子の滝とともに毛馬内盆おどりが描かれる。毛馬内といえば十和田南駅の旧称。もはやここからバスで十和田湖へ行くことはできないのだから、駅名も元に戻したほうが良いと思う。「東北大陸から」とは、1995年6月からおそらく1998年3月頃までJR東日本が使っていた観光キャンペーンの愛称。
1995年代頃に使われていたと思われる、昔の十和田南駅弁の掛紙。税込み価格を改めて訂正するところから、1997年4月の消費税率改定以降のものか。この頃になると十和田南駅から十和田湖へアクセスする観光客もほぼいなくなり、駅弁の存在も幻になりかけていた頃だと思われる。
1990年代頃に使われていたと思われる、昔の十和田南駅弁の掛紙。JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のひとつとして、1989(平成元)年3月に発売か。有名な十和田湖畔の乙女の像をシルエットで描くほかに、旅情や郷愁あるいは購入意欲を持ちにくいデザインではあるが、バブルの頃なので仕方がないか。800円の価格をシールで520円に訂正している。「LOOK EAST」とは、1988年4月からおそらく1992年5月頃までJR東日本が使っていた観光キャンペーンの愛称。
1980年代に使われたのではないかと思われる、昔の十和田南駅弁の掛紙。調製元は渋谷弁当部。十和田湖と乙女の像と、与謝野晶子と前田夕暮の詩を描く。
1978(昭和53)年1月23日12時の調製と思われる、昔の十和田南駅弁の掛紙。上のものと、ほぼ同じ。