1942(昭和17)年の調製と思われる、昔の鶴岡駅弁の掛紙。紙質や印刷や標語に戦時色が強く感じられるもの。鶴岡駅では1922(大正11)年11月に伊勢屋の辻豊太が駅弁を発売したが、第二次大戦中に廃業、1947(昭和22)年11月に太平食堂が進出し、1997(平成9)年頃まで駅弁を販売した。太平食堂は昭和20年代には鼠ヶ関駅でも駅弁などを販売したという。
米沢駅からJR米坂線の列車で約30分。今泉駅がある長井市は、山形県の南部で米沢盆地の北部または長井盆地に位置する、人口約2万人の市。最上川の水が五百川峡谷へ向けて集まる地に、江戸時代に黒滝の開削により河岸ができ、商業やのちの電子工業などが集積した。現在のJR米坂線と山形鉄道フラワー長井線が4方向から集まる今泉駅は、1934年から1960年代まで駅弁があり、1950年代には牛肉の駅弁が特別に売られたという。1914(大正3)年11月15日開業、山形県長井市今泉。
2024(令和6)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、「米沢牛&馬肉あい盛り弁当」(1,650円)と「米沢牛ローストビーフ&馬肉あい盛り弁当」(2,500円)を、JR米坂線の今泉駅の駅弁として実演販売。同催事の「がんばれ!ローカル線」企画で、2022年8月の豪雨で今泉駅から坂町駅までの間で運休し再開の見込みがない、JR米坂線の今泉駅と坂町駅の駅弁を名乗る弁当を、催事場で実演販売した。掛紙には商品名と宣伝文と、JR米坂線の路線図や写真を掲載した。
長方形の木質エコ容器に白飯を敷き、米沢牛の牛肉煮、馬肉煮、玉子そぼろ、漬物で覆う。肉の色と味付けがとても濃く、ブランド牛かどうか、牛か馬かも分かりにくいくらい、クセがなくて食べやすい、そぼろ丼のようなお肉の弁当。「米沢牛ローストビーフ&馬肉あい盛り弁当」も、容器と掛紙は同じだった。会場に掲示されたポスターによると、調製元は山形県長井市内でも今泉から約10km離れた焼肉店「やき肉黒獅子」とみられる。
今泉駅は、山形県長井市の米沢盆地にあり、JR米坂線と山形鉄道フラワー長井線が付いて離れて、4方向に路線が広がる駅。現在のJR仙山線と組んで東北地方を横断する亜幹線の主要駅として、1934年から1960年代まで公式な駅弁販売駅であり、牛肉弁当が売られたという。フラワー長井線は国鉄が廃止対象線としたローカル線であり、米坂線も国道の整備と1992年の山形新幹線開業による列車の分断で閑散とし、今泉駅にも店が出るような賑わいはない。今回に駅弁大会へ出現した弁当が、現地で売られることはあるのだろうか。
酒田駅からも鶴岡駅からも普通列車で20分弱。羽越本線が陸羽西線を分ける駅。かつては公式な駅弁販売駅として、1930年代から1970年代まで酒田駅とも鶴岡駅とも異なる駅弁が売られた。今回の訪問時には駅舎に売店と喫茶が出ていて、箱入りサンドイッチが買えた。1914(大正3)年9月20日開業、山形県東田川郡庄内町余目。
余目駅で買えた、箱入りサンドイッチ。駅舎に入居した喫茶と売店の機能を持つ店舗「あまるめホッとホーム」で売られていた。商品そのものは2017(平成29)年の年末までに駅前で発売か。大阪や東京から近年は全国に流行中のタマゴサンド、玉子焼サンドの、やや辛子が多めなものが3切れ、透明のトレーに詰めて白い紙箱に収まっていた。
羽越本線が陸羽西線を分ける余目駅には、大正時代または戦前昭和から公式な駅弁屋がいて、助六寿司を売ったというが、名物駅弁や当時の表現でいう特殊弁当を持たず、人知れず消えた。平成時代に鶴岡駅と酒田駅の公式な駅弁屋もいなくなってしまった。
酒田駅から普通列車で約1時間半。鼠ヶ関は新潟と山形の県境、越後と出羽の国境にあり、古くは奥州の出入口となる関所であった。現在は普通列車しか止まらない小さな駅であるが、かつてここに機関車の車庫があり、1960年代には鶴岡駅の駅弁が売られた。1923(大正12)年11月23日開業、山形県鶴岡市鼠ケ関乙。
東京駅から山形新幹線で約2時間半。赤湯駅がある南陽市は、山形県の中南部の置賜(おきたま)地方の盆地にある、人口約3万人の温泉町あるいは宿場町。赤湯温泉、鳥帽子山、熊野大社などの観光地がある。駅弁はないが、駅のコンビニで米沢駅弁の一部が売られるほか、2000年代に地元の弁当が売られたことがある。1900(明治33)年4月21日開業、山形県南陽市郡山。
米沢駅や新潟駅から列車で約1時間半。小国町は山形県の南西端で、最上川でなく荒川の上流にある小国盆地を占める、人口約6千人の町。四方を山に囲まれた豪雪地では、昭和時代に鉄道が通じ水力発電が始まり精密機器工場が興った。小国駅にはかつて新潟と山形や仙台を結ぶ列車が止まり、国鉄バスが路線を広げ、1937年から1970年頃まで駅弁も売られた。1935(昭和10)年10月30日開業、山形県西置賜郡小国町大字岩井沢。